第十九話
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声をかけられると思っていなかったベアーは驚いて手を離してしまった。結果は言うまでもない……無残に落ちた。
今度はわき腹をしたたかにぶつけると息がつまり呼吸ができなかった。ゼーゼーいっているベアーを見て女の子は憐れな表情を見せた。
「痛そう…」
女の子は穴の上からのぞいていた。
「ねぇ、あんた、僧侶でしょ、回復魔法、使えるんじゃないの?」
「使えるけど…」
ベアーがしどろも度になってこたえると女の子はシレッとした表情で反応した。
「じゃあ、使えばいいじゃん」
「回復魔法は自分にはかけられないんだ」
「えっ……そうなの?」
女の子は驚いた。
回復魔法であろうと解毒魔法であろうと術者は自分自身にはかけられない。僧侶の魔法の最大の不便さはこの点であろう。
「君は…一体?」
「あたし? あたしは……魔法オタクってとこかな」
女の子は意味深に言ったが、ベアーは気にしなかった。
ベアーは脇の状態を確かめると立ち上がった。
「あんたは、誰?」
女の子がそう言うとベアーは少女を見た。
「君、まだ、小さいんだから、もう少し口の利き方に気をつけたほうがいいんじゃないの」
ベアーは女の子の口調が馴れ馴れしいので注意した。
女の子は不満そうだが、ベアーに興味があるのだろう。多少、口ぶりを丁寧にした。
「あなたはどちら様ですか?」
「僕は旅をしている僧侶だよ、魔道書があるから覗いてみたんだ」
「そしたら、穴から落ちるわけ?」
赤毛の女の子は口を押さえて噴出するのをこらえている。だがその眼は明らかに笑っていた
ベアーはバツが悪いので答えなかった。
「君こそ、こんな所にいるのは何故なんだ、小さな子が来るところじゃないんじゃないの」
ベアーがそう言うと少女は何とも言えない表情を見せた。
「…あたしは…」
女の子は言いよどんでいたが、急に閃いたらしく声高に発言した。
「私はトレジャーハンターよ、ここのお宝を頂きに来たの!」
まさかの答えにベアーは唖然とした。
「ここは学校だよ、勝手にもっていくのは不味いんじゃないの?」
「つぶれた学校の備品なんて誰も気に留めないわ!」
実際、女の子の言うとおりだった。この学校は既に廃校となり必要な物は既に処分されているはずだ。残ったものをどのように使おうと咎める人間がいるとは思えない。
『この女の子……一体何なんだ……』
ベアーはふと不思議に思った。どう見てもその容姿は10歳程度である。だがその口ぶりは明らかに年齢以上のものがあった。
そんなときである、ベアーはふと『何か』を感じた、それはこの別館の図書室に入ってきたときに感じたものと同じ波動であった。
ベアーは2,3歩進むと棚の一番下に並べられている一冊の魔道書に気づいた。
「これだ」
ベアーは手に取ってページをめくった。読めない字や理解できない図が記されていた。
「何の魔法だろ…」
ベアーはとりあえず穴から這い上がった。
「あんた、ヤバイの見つけたんじゃないの」
女の子は興味津々に近寄ってきた。
「あんた、これって……」
女の子は覗き込むと急に目を見開いてベアーの手から魔道書を取り上げた。
「これ……これ…」
女の子はその眼を血走らせた。
「何なの、一体?」
ベアーがたずねると女の子はベアーの袖を引っ張った。。
「ちょっと、一緒に来て!」
女の子はそう言うとすさまじい力でベアーを引きずった。
*
女の子は何も言わずベアーを町まで連れ出した。妹に引っ張られる兄といった風に外からは見えるだろう。女の子はベアーを連れて疾風のごとく奔った。その眼は明らかに尋常ではない。
「何だよ、一体、ちょっと!!』
ベアーがそう言うと少女は急に一軒の店の前で立ち止まった。
その看板には骨董屋と記されている。少女はベアーに向き直ると鋭い視線を浴びせた。
「いい、あんたが見つけたけど、価値がわかってるのはあたし。だから売れたら折半よ」
かなり無理やりな申し出だが、やる気満々の女の子に口を挟む隙は無かった。
「だから、どういうこと?」
ベアーがわかったのは女の子が廃屋で見つけた魔道書を売ろうとしていることだけで、他はピンと来なかった。
*
女の子は店に入ると店主のところに歩み寄った。
「これだけど」
店主は新聞から目を離し、ちらりと魔道書を見るとその目つきを変えた。
「ちょっと拝借しますよ」
そう言うと変わった形のルーペを取り出し眼鏡に据え付けた。店主は60を過ぎたくらいの男で小柄でやせていた。歳の割には黒々とした髪を撫で、その髪を時折なで付けながら30分ほど魔道書を鑑定した。
「これは……写しですね…」
女の子は一瞬にしてがっかりといった表情を見せた。。
「精巧なものですが…オリジナルではありません。」
「なんだ……偽物か」
ベアーはあまり興味がなかったので何とも思わなかった。
一方、骨董屋の店主はがっかりした少女を見ると声をかけた。
「これだけ精巧なものは珍しいから…250ギルダーなら買いとってもいいですよ」
「えっ、ほんと?」
女の子の目は輝いていた、太陽よりまぶしいくらいだ。
「どうします?」
初老の店主は眼鏡を外して女の子を見た。
「もちろんよ、あんたもそれでいいでしょ」
10歳には見えない迫力があった。ベアーはそれでいいのかわからなかったが少女の気迫に押され「うん」といってしまった。
それを見た店主はレジから250ギルダー出すと女の子に渡した。
「崩さないと折半できないから、そうね、あそこの店で休みましょ。」
女の子はそう言うと店を出て茶店に向かった。
*
注文を済ますと女の子はおもむろに話し始めた。
「召喚の魔道書だと思ったんだけど…」
少女がそう言うとベアーが驚きの表情を見せた。
「えっ、それって…すごく珍しいやつでしょ?」
「そう、本物ならね、かなりの値段で売れるんだけど……『写し』じゃ…意味ないわね…」
女の子はがっかりした表情でミルクを飲んでいた。話す様は大人のようだがミルクを飲む様は10歳の子である。
「ところで君の名前は?」
「あたし、ルナよ、あっそうね、半分のお金、はい」
ルナは言ったとおり50%の分け前をベアーに渡した。
「あたしの勘も鈍ったかな、本物だと思ったのに…」
そんな時である、ルナの足元に黒猫が近づいてきた。ルナの膝の上に乗るとゴロゴロと喉を鳴らした。その後、耳の裏を脚で掻くと膝からピョンと飛び降りどこかに行ってしまった。
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その時であった。『ドン』という音でベアーは我に返った。ルナはテーブルを叩いて立ち上がると怒りの表情を浮かべて店を出て行った。
一瞬ベアーはどうなっているのかわからなかったが、ルナの表情に何かまずいものを感じた。
『なんか、よくない雰囲気が……』
ベアーは勘定を済ませるとルナを追うことにした。
*
ベアーは店を出たがルナがどっちに行ったかわからない。既にルナは消えていた。
「どっち行ったんだ?」
こういうときは今までの行動を思い出すのが一番だ。ベアーはルナとの出会いから今までのことを頭に描いた。学校の廃屋となった図書館のやり取りでルナがキレるとは思わない。そうなると……やはり骨董屋しか考えられない。ベアーはそう思うと骨董屋に向かうことにした。
*
ベアーがみせにつくとそこには閉店と書かれた札が下がっていた、瞬間的にベアーの脳裏に言葉が浮かんだ。
『あの店主、出し抜いたんだ』
ルナとベアーが持ち込んだ魔道書を『写し』と偽り、安くで買い上げたのだろう。子供だと思って足元を見たのだ。いずれにせよ、ルナの表情から何か殺気めいたものを感じたベアーとしては追ったほうがいいと思った。
『こうした時はよくないことが起こる……』
ベアーはそう思うと二人の向かった方向を考えた。
『魔道書を売るなら大きな街に行くしかない……そうなると街道しかないな』
*
べアーの予想は当たっていた、それも最悪の想定だが。骨董屋とルナは街道筋に続くあぜ道にいた。ベアーからは用水路を挟んで300mほどの所にルナと骨董商が対峙していた。
ルナの目は憎しみに彩られ赤々としていた。彼女の人差し指には炎がきらめいている。骨董屋の店主は尻餅をついて哀願していた。
「悪かった、騙す気はなかったんだ。ほんとだ、もしこれが本物なら君たちに返そうと思っていたんだ」
骨董商は明らかに嘘と思わしき言葉を並べていた。
「私の目利きではあれは偽物なんだ、だから、もう少し鑑定眼のある人に頼んでからと…」
だが、ルナはその言葉を信じるほどアマちゃんではなかった。
「あんた、子供と思ってなめたんでしょ。マニアにとって高値で取引される召喚魔法の魔道書だもんね、自分で売って一儲けしようとしたんでしょ」
ルナはそう言うと詰め寄った。
「返して、その魔道書!」
ルナがそう言うと骨董商はその表情をゆがませた。
「わかったから、その炎を消してくれ、物騒なんだよ」
「嫌よ、子供をだます人間なんて信じられる」
骨董屋の主人はしぶしぶ魔道書を渡そうとした。
「あっ、さっき、私が転んだときにページのどこかが破れたような…」
「えっ?」
ルナは素っ頓狂な声を上げた、魔道書は一字一句欠けただけで価値がゼロになる。魔法の効果がなくなってしまうからだ。ルナは急いでページをめくった。とにかく確認しなくてはならない、欠けていれば売ることができない。
その時だった、骨董屋がルナに飛び掛った。
「この小娘が、調子に乗るんじゃねえ、おめぇみたいなガキが扱うもんじゃないんだよ。」
骨董屋はそう言うとルナの首を絞めようとした。
ベアーはそれを見て急いだ。まさか、こんなことに発展するとは……