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第十三話

32

執事長、シドニーはイラついていた。冷静沈着な面持ちが崩れ、その表情には焦りが浮かんでいる。


そしてその視線の先にはメガネ女、ナターシャが土下座していた。


「やりすぎたようですね、ナターシャ」


声色は優しいがその表情は嗤っていない、明らかに糾弾する意思が顕在していた。


「申し開きは?」


シドニーがそう言うとナターシャは震えたまま沈黙した。


「花瓶の件でお前が余計なことをしたがために、ひと1人を殺めねばなりませんでした。これがどういう意味か分かっていますか?」


シドニーが乾いた口調でそう言うとナターシャは恐縮したまま地面を見つめた。


「レイドルの犬を処理するリスクをあなたは理解しているのですか!』


さらにシドニーは続けた


「それもマルス暗殺に関わった者をふたたび用いるとは……なんと愚かな……」


ナターシャはシドニーの逆鱗に顔をあげることができなかった。


シドニーはゆっくりとナターシャに近づくとその顎に手を当てた。


くにに帰りなさい」


言われたナターシャはシドニーの顔を見ることさえできず平身低頭して額を床にこすり付けた。


「それだけは御勘弁を!」


 『郷に帰る』というのはすべてキャリアを失い、ただの平民になるということである。すなわち宮中で働いていた誉れあるメイドとしての地位を失うということになる。野心家のナターシャにとっては何としてでも避けたいことであった。


だがシドニーはそれを許さなかった。


「これだけの失態をおこして、都に残れるとおもいますか?」


殺意のこもったシドニーの言葉にナターシャは色を失った。


「嫌なら、ケジメをつけてもらいます」


 シドニーの顔を見たナターシャはあまりの衝撃に言葉を失うとフラフラと立ち上がった。その顔には絶望という文字が浮かんでいる……そしてナターシャは『心ここに非ず』といった表情で部屋を出た。


その後ろ姿を見送ったシドニーは舌打ちした。


『あの、バカ女が……』


思慮に欠けた欲深いナターシャの行動は思わぬ波紋を広げていた。


『レイドルがこの一件に気づけばマズイ……このままでは監督責任を問われる可能性がある……』


シドニーは虚空を凝視すると次の計画に思いを寄せた。


『先にこの件を処理しないと……あの方にも迷惑がかかる』


シドニーはそう思うと再び策謀を巡らせた。


そして一つの結論に至った。



33

一方、シドニーに圧力をかけられたナターシャであったが、自分の策におぼれたことをいまさらながら思い知らされた。


『マルス暗殺はうまくいったのに……』


シドニーの命によりマルス暗殺に暗躍したナターシャは実行犯たちを陰で支える仕事に尽力した。キツネ狩りの経路と時刻を調べたメイド、マルス殺害を担った傭兵、警備をしていた近衛兵の注意を引くために暗躍した盾持ち……ナターシャは彼らを金銭と甘言で操って見事マルス暗殺をやり遂げさせていたのである。


『あれは完璧だったのに……』


 だがナターシャはそれでは飽き足らず、自分の利益のために彼らを用いた。それは花瓶の一件であった。バイロンに花瓶窃盗犯の濡れ衣を着せてクビにし、さらにはメイドの監督責任をマイラに取らせて待機所から追い出す。そして満を持して第四宮のメイド長として君臨する……


計画はうまくいくハズであった。


『クソッ……何でこんなことに……』


だが結果は悪い方向に向かった。


バイロンが花瓶の一件で機転を利かせてその場を乗り切ったことでナターシャの計画が崩れたのである。


『あの小娘が……あんなに……うまく立ち回るなんて……』


さらにはそこから別の綻びも生じた、


『あの禿げ頭……』


 ナターシャが実行犯として使ったメイドの事を洗い出したマクレーンは金の流れを執拗に追いかけて実行犯だけでなく、ナターシャまでも特定していた。


『……ほとぼりが冷めるまで両替商は使うなと言っていたのに……』


 メイドの後をつけたマクレーンはメイドがナターシャから渡された小切手を入金している現場をおさえていたのである。


『なんという失態……』


 この一件はシドニーが先手を打ってマクレーンを殺害して処理したのだが、ナターシャの失態は消えるものではなかった……むしろ状況は悪くなっていた。


『これ以上、下手に動けば……マルス暗殺に関しても露見してしまう……でもシドニー様はケジメをつけろと……』


ナターシャは『ケジメ』という言葉の意味に絶望した。


『嫌よ……死ぬなんて……』


 ナターシャはシドニーの見せた眼の中に黒い焔が沸き起こっていたのを見逃していなかった。


『私……きっと……殺されるわ……』


ナターシャは恐怖に打ち震えた。


そしてその恐怖は……彼女の精神を歪曲させた。


『クソ……全部、あの小娘のせいだ……』


 シドニーによって精神的に追い詰められた結果、ナターシャは正常に物事を考えられなくなっていた。そして歪んだ思考が彼女を絡め取った……


『どうせくにに帰るなら、あの小娘に鉄槌を喰らわせてから……そう、それがいいわ』


 人生設計を狂わされたメガネ女、ナターシャはそう思うと一人のメイドの事を思い出した。


『あいつを使えばいい』


ナターシャはバイロンを最も憎むべき相手、アリーの事を思い起こした。



34

さて、同じころ、バイロンとリンジーはマイラの執務室に呼ばれ想定外のことを聞かされていた。


「先ほど飛脚の知らせにより三ノ妃様のお父上がなくなったことがわかりました。」


まさかの言葉に二人は唖然とした。


「我々の業務に変化はありませんが、三ノ妃様には厳しい事実だと思います。」


マイラはそう言うと二人に声をかけた。


「お父上が死んでも、公務が優先されます。三ノ妃様もそれはわかっていると思いますが、今の心境は大変苦しいものがあるとおもいます。」


マイラはそう言うと二人を見た。


「大変だと思うけど……頑張って、少し様子が落ち着いたら休みを用意しますから」


マイラなりの配慮が示されたが二人は驚きの情報に目を白黒させた。


                        *


 翌日の公務は想像以上に淡々としていて、何事もなく過ぎた。バイロンは父親が死んだことで三ノ妃がふさぎ込んでいると思っていたが、そんなそぶりは微塵も見せず三ノ妃は堂々と公務を務めた。


むしろ今まで中傷していた上級貴族の方がその姿に面食らっていた。


 バイロンは周りの様子を見ながら状況を確認したが今までと違う空気に不思議なものを感じた。


 一方リンジーであったが、相変わらずの調子でマシンガントークを披露していた。だがしゃべり疲れると鼻をほじりだした。


「ねぇ、なんか変な感じしない、バイロン?」


 言われたバイロンは『鼻をほじるリンジーの方がおかしい』と思ったが確かに言われた通りで公務会場に妙なざわめきが漏れていた。


『何だろう……』


バイロンがそう思った時である、会場の入り口の扉が大きな音を立てて開いた。


そしてそれと同時に甲冑に身を包んだ5人の男女が入ってきた。


                        *


「御公務中、失礼仕る!」


中央にいた男は良く通る声でそう言うと三ノ妃の所に向かった。


そして、妃の目の前まで進むとおもむろに羊皮紙に書かれた文章を見せた。


「三ノ妃様、大変ぶしつけで申し訳ございませんが、御一緒に御同行お願いいたします。」


齢40過ぎた筋骨たくましい男はそう言うと三ノ妃を見つめた、その眼には反論を許さぬ厳しさが宿っている。


『めっちゃ、怖ぇぇ……』


 バイロンは心中そう思ったが三ノ妃のメイドとしての役目を果たさねばならないと思うと前に出た。そして男を睨み付けると声を張り上げた。


「この場をどこと心得る、この不届きもの! 三ノ妃様の御前であるぞ!!!」


 バイロンが良く通る声でそう言うと甲冑を身に着けた筋骨たくましい男がバイロンを見て鼻で嗤った。


「お前は字が読めんのか?」


言われたバイロンはカチンときたが羊皮紙にサインされた名を見て一瞬で沈黙した。


『なに、これ、一ノ妃様の……サイン』


呆然とするバイロンを横目に男に帯同していた若い甲冑の二人は三ノ妃の脇を固めた。


「では、参りましょうか」


筋骨たくましい男は声をかけると三ノ妃とともに会場を出て行った。


式典会場に残されたものは想定外の展開に唖然とした。


『あれは枢密院の人間じゃないな』


『ああ、甲冑を身に着けていた』


『じゃあ、あれは?』


『近衛兵だ……有事の際に身に着ける鎧だ』


貴族連中はさらに続けた、


『これで三ノ妃も失脚だな』


『ああ、一ノ妃様のサインがあったんだ、間違いない』


『しかし、父親が死んで、その翌日に失脚とは……少々気の毒だな』


『たしかにな……』


公務の行事に出席していた貴族たちはさらに続けた


『しかし、一ノ妃様も厳しい決断をされたな』


『枢密院で訴追されてもせいぜいが退位で終わりなのに……』


『畳みかけてつぶすとはな……恐ろしいお方だ』


バイロンは連行される三ノ妃を茫然として見守ったが、その背中を見て哀しくなった。


『一ノ妃様はどうして三ノ妃様をここまで追いつめるのか……』


父親が亡くなった後、さらに彼女を捕縛する一ノ妃の厳しさにバイロンは顔色を失った。


『これが帝位につくものの仕打ち……』


一ノ妃の意図がいかなるものかバイロンにはわからなかったが権力者の振るった鉄槌に身震いせざるを得なかった。



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