第十二話
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バイロンは休日になるといつものごとく時計台に向かった、マーベリックに対する定例報告のためである。
マーベリックはいつもと同じような出で立ちで黄昏ていたが、その顔色は悪く疲労が見てとれた。
「こっちだ」
バイロンに気付いたマーベリックは無機質な口調でそう言うといつものごとく歩き出した。
「今日は、スイーツなしなわけ」
バイロンが不満げに言うとマーベリックは『ついてい来い』という仕草をみせた。
*
2人は微妙な距離をあけて並行して歩いた。そして5分ほど進むと途中の路地に入った。マーベリックはそのまま進むと旧い石壁で造られた店の前で足を止めた。
そこはアンティークショップのようで一目で年代物とわかる商品が窓から覗いていた。マーベリックはその中に入るとバイロンに手招きした。
*
店内には年代物のオルゴールや古い書籍が整然と置かれていたが、独特の間接照明の灯りはそこはかとない淫靡さを演出していた。バイロンは怪しげな表情を見せたがマーベリックはそれに構わず足早に店の奥へと向かった。
突き当りの土壁に目をやるとマーベリックは壁面についた燭台をひねった。そうすると壁が回転扉のような動きを見せた。バイロンは驚いたがマーベリックはそれに構わずさらに進んだ。
「階段……」
奥には急な階段があり、マーベリックはその段をはねるようにして上った。
『何があるんだろ……』
バイロンがそう思って階段を登っていくとその視野に妙に開けた空間が現れた。
「いい匂い……」
バイロンの鼻孔にかぐわしい香りが立ち込めた。
「座れ」
マーベリックはそう言うとバイロンの前にクリーム色のテーブルクロスが敷かれた机と品のいいアンティーク椅子が現れた。
バイロンは机の上にある皿を見て思わず息をのんだ。
『……おお……』
そこには数種類のカナッペがあった。
カナッペとはクラッカーのような食感のある生地の上に好みのモノを載せた品である。そのバリエーションは豊富で前菜として楽しむこともできれば、デザート感覚、おやつ感覚でも楽しめる一品である。
「さあ、食べなさい」
妙に真摯な態度にバイロンは不信感を抱いた。
「これ、どんな意味があるの?」
バイロンがじろりと見るとマーベリックは口を開いた。
「この前のホットジンジャーのお返しだ。私は『借り』は作らない」
マーベリックが神経質そうな表情で言うとバイロンはニヤリとした。そしてカナッペを手にとると口の中に放り込んだ。
『……うまし……』
薄くスライスしたバゲットを軽く焼いて、その上にスモークサーモンとクリームチーズをのせたカナッペは思いのほか美味であった。
『スモークサーモンの塩気とクリームチーズの酸味があうのね……』
バイロンはもう一つエビとアボカドの載ったものに手を出した。
『アボガド……いける……さっぱりしているけどコクがある、エビと合うわ!』
バイロンが黙って頬張る姿を見ていたマーベリックはバイロンに声をかけた。
「いろいろ問題を起こしたようだな」
言われたバイロンは喉にバゲットを詰まらせた。
「同僚のメイドを殴って一ノ妃様の当番を外されたと聞いたぞ」
言われたバイロンはチラリとマーベリックを見るともう一つのカナッペに手を伸ばした。
『反省なしか……』
マーベリックはその様子を見ると立ち上がった。その顔にはこれ以上この件で詰めてもバイロンが話さないだろうという思いが浮かんでいた。
「では、今週の報告をしてくれ」
マーベリックはそう言うと隣接した台所にあった大なべを持ってきた。
「牛のほほ肉を赤ワインで煮たものだ」
蓋を開けるや否や高級感漂う匂いがバイロンの鼻をついた。
『ヤベ~、超うまそう……』
バイロンが鼻の穴を大きく膨らませた時である、マーベリックが冷たい視線を浴びせた。
「報告が先だ!」
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『お預け』を喰らったバイロンはこの一週間のことを不愉快な表情でつたえた。
「三ノ妃の当番だけか……」
マーベリックは二ノ妃につながる情報が噂話程度しかないことに落胆した。
その時であった、バイロンが口を開いた。
「ちょっと三ノ妃様の事で気になることがあるんだけど……」
バイロンが切り出すとマーベリックが『話せ』と目で合図した。
「この前、公務で水門の竣工式に言ったんだけど……」
バイロンはそう言うと三ノ妃が見せた馬車での言動をマーベリックに伝えた。
「三ノ妃様は厳しいだろうな、生家の問題が昏い影をおとしている。水門建設に関わる業者との癒着は既に枢密院で捜査されている、時間の問題だろう。」
「三ノ妃様は直接『口利き』をしたの?」
バイロンが尋ねるとマーベリックは首を横に振った。
「それはない、『妃』としての公務についていればその暇はないだろう。せいぜいが付け届けを受け取る程度だ。」
「なら、三ノ妃様はそれほど重い罪ににとわれないんじゃ……」
バイロンが続けようとした時である、マーベリックが鼻で嗤った。
「父親が業者とつるんでいるんだ……『妃』という存在が『知らぬ存ぜぬ』ですむわけがない。それに生家の父親はやりすぎた……下級貴族として成り上がろうとしたために性質の悪い業者と手を組んだんだ。」
マーベリックはそう言うとバイロンを見た、その眼は『三ノ妃は終わりだ』と告げていた。
バイロンは三ノ妃の見せた表情の中に『如何ともしがたい……』という精神的な苦しみをみていたが、マーベリックの話でそれを理解した。
*
マーベリックは陶器でできたスープ皿を取ると牛肉の赤ワイン煮を流れるような動きでそこに盛った。そして鮮やかな手つきでジャガイモのソテーと人参グラッセをその脇に置いた。最後にクレソンで彩りをそえると、おもむろに黒こしょうをかけた。
「食べてみろ」
バイロンは皿を渡されるとひったくるようにしてそれを取った。そして早速、ナイフをほほ肉に入れた。
『何、これ……裂けていく』
長時間煮込んだほほ肉は切る必要がなく、肉の繊維にそって崩れていった。バイロンはそれをフォークの背にのせると口に放り込んだ。
『黒こしょう……パンチ効いてるわ……』
煮込み料理は単調な味になりがちなのだが、黒コショウの風味はそれを感じさせないフレーバーを添えていた。
『ヤバイ……このジャガイモ……うまい』
外のカリッとした部分と内側のほっこりとした食感は絶妙でコクのあるソースと抜群の相性を見せた。
バイロンは5分と立たずに料理を平らげるとスープ皿をマーベリックに見せつけた。
「おかわり」
仏頂面でバイロンがそう言うとマーベリックは大きく息を吐いて、先ほどと同じ行為を繰り返した。
「花瓶の件、まだ話を聞いていないぞ」
言われたバイロンは『その事も知ってるのか……』という表情見せた。そしてあったことをそのまま素直に伝えた。アリーのこと、自分のカバンが盗まれてその中に消えた花瓶が入っていたこと、詳細まで含めてすべてを話した。
内容を把握したマーベリックは切れ長の眼を細めた。
「花瓶の事件はお前だけの問題ではない、うちの人間にけしかけてくる対象がいるなら、それ相応の応酬もせねばならない。」
マーベリックがそう言うとバイロンが口を開いた。
「でも、相手がわかんないわよ、状況的にはある程度絞れるとは思うけど」
バイロンがそう言って人参グラッセを放り込むとマーベリックが答えた。
「お前のいる世界は特殊で狭い、そしてその分内容が濃い……利権を争う上での歪みが顕在化しやすい場所だ。アリーというメイドが自分の感情だけで花瓶をお前のカバンに隠すとは考えにくい、誰かが仕組んだはずだ。」
マーベリックはリンジーと同じ見解を述べた。
「お前は間違いなく誰かの標的になったんだ」
マーベリックは淡々と続けた。
「花瓶のケースに関しては相手を見つける必要がある。」
「見つけてどうするの?」
バイロンがそう言うとマーベリックはいつもと違う朗らかな表情を見せた。
「制裁を加える」
バイロンはマーベリックの表情の中に悪魔的なものを感じた。
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バイロンと別れた後、マーベリックはレイドル侯爵の屋敷に戻るべく川路を歩いていたが、その途中、妙な人だかりができているのに気付いた。
普段なら、とくにこれといったこともなく通り過ぎるのだろうか、虫の知らせのようなものを感じたマーベリックは水路に集まる人々に目をやった。
『………』
輪の中心にある存在に目をやった時である、マーベリックの背中に戦慄が走った。
『マクレーン……』
そこにはドザエモン(水死体)となった男の姿があった。
マーベリックは如何ともしがたい表情を一瞬浮かべたが、その後、何事もなかったかのように再び歩き始めた。
『消されたか……』
マーベリックは想定外の展開にほぞを噛んだ。
『連絡を密にすべきだったな……』
金で買えるエージェントとして有能だった男は重要な情報を伝えることなく此の世からその姿を消した……
だが、マクレーンの死は彼の注視していた対象が明らかに『問題』があることをマーベリックに知らしめた。
マルス暗殺に関わる対象としてレナード公爵とその占い師に狙いを定めていたマーベリックであったがその線は泡が消えるようにしてなくなった。
『よくやった、マクレーン……』
だがそうしたおもいと同時に、報告されるべき内容が失われたことはマーベリックにとっては極めて都合が悪かった。
『証拠がなければ、表には出せない……』
マーベリックはそう思うと歩きながら思案した。
『二ノ妃の調査を一時取りやめ、こちらに力を傾けるか……』
マーベリックはそう思うと心の中でマクレーンに誓いを立てた。
『必ず仇はとる』
『裏』で情報を取る人間には『死してその屍を拾うものなし』という言葉があるがマーベリックの行動はまさにその通りであった。
マーベリックはマクレーンの遺体を一瞥する事さえなく、そのままに何事もなかったかのようにその場を歩き去った。