第九話
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一ノ妃に喝を入れられて以降、三ノ妃は平静を取り戻して公務に勤しむようになった。三ノ妃は行事、会合、晩さん会など出席しなくてはならないものに顔をだし『妃』としての振る舞いを見せた。表情は相変わらず硬かったが挨拶やスピーチはそつなくこなし、今までの狂態は影をひそめた。
バイロンは『当番』として脇から、三ノ妃の日常業務を支えたが、三ノ妃の変化には驚いた。
『今までの荒らぶりが嘘のよう……やっぱり、一ノ妃様のささやきが効いているのね』
内容こそ聞こえなかったが、その影響は三ノ妃の行動に間違いなく反映していた
『あの時、何て言ったんだろう……』
素朴な疑問であったがバイロンには一ノ妃の一言が魔法のように思えた。
*
一方でバイロンは三ノ妃の『当番』としてその公務が滞りなくいくように立ち回ったのだが、その忙しさには目を回した。
『……くそ忙しい……』
二ノ妃と三ノ妃は一ノ妃の補佐として公務に参加するのだが、ダリス各地で行われる行事は毎日のようにあり、それに関わる庶務的なものは実に面倒であった。
衣装の着替え、ハンカチや日傘といった日常品の用意、スピーチ原稿の準備などTPOにあわせてそれらを調整せねばならず、業務を行う上での下準備は異様に時間がかかった。
おまけに毎日のように来客もあり、書記官や大臣秘書との連絡も頻繁にあった。その数も多くすべての人間の名前を憶えねばならないため、バイロンは辟易した。
『超大変……』
ただ、バイロンにとって幸運だったのは三ノ妃の当番をリンジーとともに担うことができたことである。
リンジーは記憶力、特に人の名前や行事の特徴などじつに正確に暗記していて中身のないマシンガントークを披露する人間とは思えない力を発揮した。
メイドとしての経験が浅いバイロンは行事やその準備には疎いためリンジーの暗記力と経験は実に有用であった。
一方、バイロンは女優として『板』の上でつちかった経験から、演技というスキルを発揮して対人能力の高さをみせた。来客に対し、機転を利かせそつのない応対をみせた。お茶を出すタイミング、来客時の挨拶、いづれをとっても完璧で新人メイドとは思えない『間』を体現していた。
リンジーはそれを横目にしていたがバイロンの立ち居振る舞いに驚愕していた。
『……超完璧……』
美しいだけでなく、メイドとしての心得を体現するバイロンの行動にリンジーは尊敬のまなざしを向けた。
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2人のチームワークは一週間ほどで完成され、三ノ妃の身の回りの世話はほとんど困ることがなくなった。だが、仕事に余裕ができると別の側面が見えるようになった。
それは貴族や商工業者が見せる三ノ妃への態度であった。
『この人たち……軽んじている……』
表面上は敬意を払って首を垂れるものの、その内心に秘めた見縊る気持ちはその所作から垣間見えていた。彼らは隠しているつもりなのだろうが、言葉の端々やその態度からはどことなくその匂いが醸されていた。
『活用価値がなくなったら、こんな風に扱われるのか……』
中には三ノ妃の『付け届け』に関する情報を耳にしている貴族もいて、彼らは奇異なものを見るような視線を三ノ妃に目を向けた。そこには失墜していく三ノ妃をせせら笑うような悪意さえ滲んでいた。
『ここまでいくと……気の毒だな……』
金品の絡む付け届けを受けたため、自業自得といえばそうなのだが潮が引くようにして去って行く人々と彼らの見せる態度には納得しがたいものがあった。
バイロンは権力の座から引きずり降ろされる『妃』の姿に憐憫の情を感じざるを得なかった。
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翌日、三ノ妃一向(バイロン、リンジー、そして警備の近衛兵3名)は新たに建設された水門の竣工式に出席するため第四宮を出発していた。日よりも良く、のどかな田園風景が続くなか馬車の中の3人は窓から流れる風景を何ともなしに見ていた。
リンジーはしゃべりたくてうずうずしているのだが、三ノ妃がいる手前ではそれもかなわず、口を真一文字に結ぶと妙な顔つきになっていた。バイロンはその顔を見て吹き出しそうになったが、何とかこらえると平静を装った。
3時間ほど馬車で揺られると水門が視界に入った。水門は地元農民の熱望により建設されたものだが、あきらかに貧疎なもので近くによるとその水門のチープさに何とも言えない気持ちになった。
『確かこの辺りは水害が……』
地形的な特徴もあり、大雨が降った時に川が氾濫するこの地域は歴史の教科書でも水害地域として名高いと記されていた。
『この水門……小さいわ、これで水害なんて……』
水門は取水、排水の水量調整と防波堤の役を果たすのだが、新たに建設された水門にはいずれの役割も果たせるだけの効果があるとは思えなかった。それは素人目にもわかるものでバイロンはリンジーとともに眼を見合わせた。
バイロンとリンジーは資料を見て業者やその関係者を確認したが、そこに連なる者はダリスでは名のある業者ばかりで資料上、おかしいと思える点はなかった。
『どうなってるんだろ……』
バイロンがそう思った時である、リンジーが思わずつぶやいた。
「この水門……大丈夫なのかしら」
それを聞いた三ノ妃は二人を見ると口を開いた。
「負け組になった妃はこういう仕打ちを受けるのよ」
その物言いは淡々としていて何やら達観した響きさえ感じる。
「付け届けや金品は返してしまえば、さした罪に問われることはないの。だけど公共事業の口利きはそうはいかないのよ。」
三ノ妃はそう言うと窓の外を見た。
「下級貴族出身で『妃』になることは通常ありえない……私の父は私を妃にするためにいろいろな工作をしたわ。そしてその時の工作資金を業者にかたがわりしてもらったの。陛下に見初められるためにドレスを新調したり……一級品の宝石を身につけたり……でも借りた金はいづれ返さなくてはならない……」
三ノ妃はそう言うと押しだまった。
バイロンはその姿と言動からすべてを把握した。
『この水門は三ノ妃様、いえ、生家の息のかかった業者が造った水門なんだわ……きっと工作資金を回収するために工事代金にそれを上乗せしているのね……』
バイロンはかつて社会の授業中に教師が話していた上級民の合法的脱税方法のことを思い出した。
『だけどそれだけじゃあきたりなくて利益を上げるために水門自体の品質を落としているんだわ……』
バイロンは業者との癒着を吐露した三ノ妃の顔を見た。
『マルス様が生きていればうまくごまかすこともできたんだろうけど、マルス様が死んでしまえば、それもできない……そして力のない『妃』は業者からも軽くみられる……』
バイロンは三ノ妃の生家の関わる汚職スキームに目を見開いた。
『マルス様が死んで汚職の構造も破たんした……枢密院が訴追に動いてるのはこういうことだったんだ。』
枢密院とは上級貴族と宗教者の幹部で組織された特別委員の事なのだが、彼らは特権階級の人間をさばく裁量を与えられていた。そして国の妃でさえも訴追することが可能な権限が付与されている。
つまり、マルスの死が与えた変化は三ノ妃及びその生家に『終焉』をもたらしていたのである。
『にらみがきかなくなったら手抜き工事……工事費用の上乗せだけじゃ、足らないなんて……』
バイロンは三ノ妃を取り巻く環境が劣悪であることにきずかされた。
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竣工式が終わり、三ノ妃が壇上から降りるととまばらな拍手がパラパラとその耳に届いた。明らかに『どうでもいい』という拍手の音は貧疎な水門に対する不満と『さっさと帰れ』という意図が現れていて、バイロンもリンジーも何とも言えない気分になった。
そんな時である、列席していた貴族の1人が小声でつぶやいた。
「下級貴族の成り上がりが、調子に乗りおって」
拍手の音に合わせて中傷しようとしたところ、あまりに拍手が小さいため、その声が聞こえてしまったのである。
50代の貴族の男はさすがに『マズイ……』とおもったのだろう、素知らぬふりをするとわざとらしく大きな音で拍手して自分の言動をかき消すようなしぐさを見せた。
バイロンはその姿を見て即座に行動に移った。
「お妃様、少々お待ちを」
バイロンは壇上から降りた三ノ妃にあいさつすると小走りに移動した。スカートの裾を持って芝生をパンプスでかける姿は周りの人間からはエレガントにも見えた。
「確か、この辺りから、何やら声が……」
バイロンは美しい挙動でそう言うと、貴族の男の前に立ちってその顔を見た。そしてにこやかにほほ笑むと――おもむろにそのむこうずねを蹴り上げた。
「……痛い……」
思わぬ展開に貴族の男が声をあげて屈むとバイロンは悪魔的な微笑みを見せた。
そして、右ひざが呻った。
その場にいた人々は一瞬何が起こったかわからなかったが、鼻をおさえてうずくまる貴族を見て皆茫然となった。
何とも言えない空気が式典会場を渦巻く中、バイロンは人々に対して優美な会釈を見せると何事もなかったかのようにその場を去った。だがその後ろ姿には『妃』に対する中傷はぜったいに許さないという明確な意志が浮かんでいた。
颯爽と去るバイロンの姿はその場にいた人々に衝撃を与えていた。
一方、一連のバイロンの行動を見ていたリンジーは息をのんだ。
『……バイロン……しゅごい……』
リンジーはバイロンの背中に宿るオーラの中に『武闘派』という文字を見出していた。