第十八話
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翌日もベアーはいつものルーティーンをこなした。サクサクと仕事をこなし老婆からの指示も的確にこなせるようになってきた。当初は筋肉痛で四苦八苦していたが今ではそれもなくなった。心身ともにチーズ作りに対応できる能力を身に着けていた。
ベアーは乾燥室に行くとチーズを種類別に並べ整理した。
「しかしチーズって、色々だよな…」
チーズの種類に生チーズと乾燥チーズがあることは知っていたが、乾燥チーズが熟成期間で味が変わることや白カビやアオカビを使って発酵させるタイプあることは知らなかった。また水分の多さによって硬い(ハード)タイプや中くらいの硬さ(セミハード)のチーズがあることも知った。
ベアーがしげしげと乾燥室のチーズを眺めていると後方から声が飛んだ。
「ベアー、店の方にチーズを運んでおくれ!」
老婆に言われたベアーは台に乗せたチーズをいそいそと店舗に運んだ。
*
老婆のチーズ工房は生チーズ20%、乾燥チーズ80%の割合で生産している。昨今はクリームチーズが人気で乾燥チーズの売れ行きは下がっているが巷の風潮に流されることを嫌う老婆は生チーズの生産量を増やすことは無かった。
チーズを運び終えると老婆がベアーに声をかけた。
「一日、5ギルダー増やして店番をするのはどうだい?」
仕事に慣れてきたところを見計らって老婆は交渉を持ちかけた。店番をさせることで本人が休みたいのであろう。ベアーは特に反対する必要がないので、素直に応じた。給料も上がるし接客もおぼえることができる、一石二鳥である。
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翌日からはチーズを仕込み終えると夕方までの3時間ほど店番をすることになった。もちろん初めてなので商品の名前や値段をおぼえたりと初日はなかなか大変だった。
だがそんなベアーに対し老婆は思わぬ一言をかけた。
「明日からは一人でやるんだ、わからなかったら、呼んどくれ」
わずか一日の店番であったが老婆はベアーに任せることにしたのである。ベアーは不安な表情を見せたが老婆は気にせず奥に引っ込んだ。
『……大丈夫かな……』
こうして、ベアーは店番を任されるようになった。今まで客商売をしたことがなかったので多少緊張したが、給料が上がったので『やむをえまい』と飲み込むことにした。。
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もともと老婆は無口で無愛想なので、客にとってはどちらかというと入りづらい店であった。しかしベアーが店番をするようになり客は店に入りやすくなったのであろう、今までの客層とは違う年代も来るようになった。
今までは飲食店の仕入れや、年長者が多かったが、ベアーが店番をするようになり主婦層が増えた。主婦からするとベアーのような少年のほうが買いやすいのだろう。
「生チーズあるかしら」
「どのくらいですか」
「200gでいいかしら」
「200gですね」
ベアーは手早く生チーズを切ると袋詰めした。
「助かるわ、おばあさんだと量り売りしてくれないの」
チーズがうまいのに仕入れの人間しか来ないのは、老婆が量り売りをしないからである。歳をとってだんだんと細かい作業をするのが面倒になってきたのだろう。こうした細かい作業をベアーは厭わないので少量しか買わない客にも入りやすい店になってきた。
「ありがとうございます」
料金を払うと主婦は店を出ていった。
次に来たのは赤ちゃんを連れた若い亜人の母親だった。
「乾燥チーズを300g下さいな」
「はい、乾燥のほうですね」
ベアーは300g切り取ると紙に包んだ。
「あなた、いつから働くようになったの?」
「4週間ほど前ですけど」
「そうなんだ、ここのチーズおいしいけど、おばあさん、なんか、いつも怒ってるでしょ、だから買いに来るの嫌で…」
亜人の母親はすまなさそう言ったが、こうした客が多いことをベアーはここ2,3日では気づいていた。
もちろん老婆は怒っているわけではない。だが、朴訥としたしゃべり方や、愛想のない表情は客商売に向いているとは確かに思えない。ベアーも愛想が良いわけではないが客から見ればベアーのほうが買いやすいは間違いない。店の売り上げという点ではベアーの存在はプラスにはたらいていた。
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18時ごろになると店を閉める。既にあたりは暗いので客が来ることはない。売り上げを計算するのに老婆を呼んだ。老婆は慣れた手つきで売り上げを計算した。
「夕餉にしよう」
売上金を見てニンマリした老婆は黄色い歯を見せてベアーに笑いかけた。
その後、母屋に戻るとベアーたちはシチューを食べた。代わり映えのない乳清のシチューだが、今日は中に鶏肉が入っていた。やはり野菜だけよりボリュームがあって若いベアーには良かった。老婆のシチューは常に味付けが違うし、中に入っているものも変わるため、飽きるということはなかった。ちなみにベアーのお気に入りはかぼちゃとチキンの組み合わせである。
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こうした毎日が続き、7日に一度の給料日(休日)は町に出てドリトスの町を見てまわった。魔法都市の面影は微塵もないが、羊飼いが犬を使って羊を追う光景は何ともいえないものがある。ベアーは田舎育ちなのでこうした牧歌的風景は精神に安らぎを与えた。
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いつもと同じ日常を過ごすと日付の感覚が薄れ、あっという間に2ヶ月が過ぎていた。
「いつまで、続けようかな…」
目標金額まではあと3週間も働けば達成できる。旅の支度もそろそろ始めなくてはならない。無口な老婆との淡々とした日々は悪くないが、やはり貿易商の見習いに入る気は変わらなかった。
「来週の休みで旅の用意をして、再来週で都までのルートを決めよう。」
都までは馬車も出ているし、徒歩で行っても5日程度である。だんだんと気温が高くなってきているが、川沿いのルートをたどれば水浴びには事欠かない。徒歩での旅に支障はないだろう。
ベアーの気がかりはロバの存在であった。ここ最近、ロバは特に変わったこともなくノビノビしている。相変わらずくしゃみをすると不細工だが健康そうだ。これから先、ロバをどうするかはなかなか難しい問題だが、貿易商の見習いに入れば手放すことになる。極力いい環境でロバを放してやりたいと思っていた。
そんなことを考えていると老婆が声をかけた。
「ちょっと早いけど給料だよ」
「えっ?」
「明日から3日間ほど隣村に行くから、お店は休みでいいよ」
今までこうしたことはなかったのでベアーは驚いた。
「あの、どこか具合が悪いんですか?」
「はあ?」
老婆は怪訝な表情をしたがすぐに切り替えした。
「チーズの品評会に出るんだよ」
「品評会?」
「そう、年に一度、この辺りで一番のチーズをどこが作るか、それを競うんだ」
「へえ」
「あたしは審査員なんだ」
ベアーは感心した。
「歳はいってるけど体は元気だよ」
老婆はそう言うと自分の部屋に戻っていった。
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翌日、老婆は日が昇ると同時に家を出て行った。ベアーは昨日の残りのシチューを暖めて食べると予定を立てた。見ていない所はほぼないが、パンフレットでは書かれていない僧侶の学校跡に行こうと思った。
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ベアーが向かった先で目にしたのは石造りの校舎と離れにある図書室で構成された小さな学校であった。雑草が生い茂り、窓ガラスは割れているので朽ちた印象は否めない。特に出入りが禁止されているわけではないのでベアーは学校の中に入ってみた。
内側はベアーの村の学校と違い宗教めいた感じがした。一つ一つの部屋に魔道の残り香のようなものがある、ベアーはその残り香をたどってみた。どうやら強い部分とそうでない部分とがある。
「図書室のほうが強いな……行ってみるか」
ベアーはそうひとりごちると図書室に入ってみた。そこは埃にまみれた魔道書が山のようにあった。手入れをされていない魔道書はカビていたり、虫に食われていたりと散々だがその中で気になる一冊を見つけた。
『明かりの魔法?』
かつては松明や行灯がなくても『明かりの魔法』がつかえると夜でも難なく歩くことができたそうである。250年前には明かりの魔法がかけられた杖があり、杖を持っている人間なら魔道の力がなくても明かりがついたと記されていた。
「へえ、この魔法、便利だな、おぼえてみようかな」
ベアーはペラペラとページをめくってみたが、想像以上に難解で1分経たずにやる気をなくした。
『どうせ、おぼえてもどうにもなんないし……松明あれば十分だし…』
ベアーはそう思うと魔道書を元の場所に戻そうとした、
そのときであった。
*
ベアーは一瞬、何があったかわからなかったがしたたかにケツをぶつけたのは間違いない。痛みよりも驚きで目が点になっていた。
「どうなってんだ……」
見上げると半径30cmほどの穴が開いていた。
「俺、落ちたのか、 っていうか……床抜けたのか?」
辺りは暗くなっているが、上からの光で多少は様子がわかった。どうやら書庫のようだ、棚に本がびっしりと並んでいた。
「どうやって上がるんだ……」
どこかに階段があるのだろうが暗くて見えない。
「ついてないな…」
ベアーは上から注ぐわずかな明かりを頼りに辺りを動いてみたが芳しくない。しまいには棚に足をぶつけ、泣きそうになった。
「何なんだよ!」
怒り心頭といったところだがどうにかなるものではない。ベアーは本を積み上げ落ちた穴から這い出すことにした。原始的だがこれが今できる最良方法だろう。ベアーは辺りの本棚から魔道書をかき集めるとそれを階段状に並べていった。
*
この方法はどうやら正解のようだった。魔道書は分厚く一冊一冊が安定しているので階段状に積み上げるには適していた。
「よし、これで終わりだ。」
30分もすると落ちた穴に届く高さに積みあがった。ベアーは慎重に登り、落ちた穴に手をかけた。床が腐っていないかどうかを確認た。
『大丈夫そうだな……』
ベアーはそう思うと掛け声と同時に穴の縁に飛びついた。チーズ作りで腕力がついたことが良かったのだろうか、意外と簡単に登れそうだ。ベアーは頭上に光が当たるのを感じた。
『よし、これで出られる!!』
穴から頭を出し、何とか目途がついたと安心したと時であった、思わぬ声が空から降ってきた。
「あんた、何やってんの?」
初等学校の中学年、年齢で言うなら10歳前後だろうか。目をクリクリさせた赤毛の女の子がベアーを覘いていた。