第八話
18
その頃、レナード家では晩餐会が催されていた。多くの有力貴族、そしてそれに連なる商工業者が顔をだし、貢物とおもわれる品々をそれとなく執事やメイドに渡していた。
その様子をレナードは執務室の窓からのぞいていたが、三ノ妃から乗り換えた連中の行動の機敏さに舌をまいた。
『ドブネズミどもめ……』
その内心たるや、浅ましい貴族やその取り巻き連中の行動に笑いがとまらなかったが、レナードはあくまでポーカーフェイスを装うと集まった貢物の山に目を向けた。
『なかなかだな』
帝位という権力の座を手に入れれば、公共事業の割り振りや許認可にも幅が効くことになる。それにあやかりたい連中は少しでもいいポジションをきずくためにできる限りの付け届けを率先して行っていた。
「以前よりもはるかに増えた……やはり帝位の威光はすさまじいな、まだ玉座についておらんのに、このありさまか」
レナードが満悦の表情でそうひとりごちた時である、執務室のドアがノックされた。
「レナード様!」
呼びかけたのはレナード家で30年にわたり執事を務めてきた年輩の男である。
「どうした、ペイト?」
レナードが尋ねるとペイトはレナードに耳打ちした。
「そうか、パストールの会長があいさつに来たか」
パストールとは隣国トネリア最大の貿易商である。その資本力はダリスの国家予算さえ凌ぐと言われている。
「ぜひ、挨拶したいと、向こうの方から申し出がございました。」
ペイトは実にうれしそうな声を出した。そこにはレナード家の持つ力が隣国まで及んでいるという思いがあった。
「あいわかった、すぐに行く」
レナードがそう答えると、脇に控えていた占い師の女がタイミングよく声を上げた。
「他の者にレナード様とパストール会長が合い見まえるところを見せてはいかがですか?」
占い師の女はレナードがトネリア最大の貿易商、パストール商会の代表者と会う姿をダリスの貴族連中に見せる演出をたくらんだ。
「パストールの会長ともなれば、ダリスの商工業者も一目おかざるを得ません。レナード様の人脈の広さ、そして質の高さを彼らに披露するのです。」
「それはいい、良いかんがえだ、ルーザよ!」
レナードはルーザと呼んだ占い師の女の考えに手を打って喜んだ。
「ペイトよ、すぐに用意しろ、客として招いた貴族と商工業者たちに、私とパストールの会長が会うところを見せ付けるのだ!」
レナードが興奮した声でそう言うと老年の執事ペイトはルーザを一瞥した。その顔には若干の不満の色が出ていたがペイトはそれを悟られぬように一礼して執務室を出た。
「どうやらあの執事は私のことを嫌っておいでのようですね」
勘のいいルーザがそう言うとレナードは『気にするな』という姿勢を体全体で示した。
「ペイトは『手練手管は高級貴族の使うものではない』という先代の考えが染みついた男だ。だがこれからはお前のような知恵のある人間の補佐が必要になる。」
レナードはそう言うとフードをかぶった女、ルーザを抱き寄せた。
「これからも頼むぞ」
小さな声で『はい』とルーザが答えるとレナードはその唇を奪った。
「あとで……続きを!」
レナードは好色な顔でそう言うと執務室を出た。
19
パストールとの謁見は晩餐会にあつまった貴族にとって、レナード家の力を見せつけるには十分すぎるほどの力を発揮した。
「おい、あれは、パストールの……」
「ああ、会長だ」
「レナード家はパストールともコネがあるのか……」
「ダリスにわざわざ会長が足を運んでくるなんて……」
貴族とその場に居合わせた商工業者たちは目を大きく見開いた。
その一方で、商工業者の連中は貴族と違う視線も向けていた。
「レナード様が次の帝位の椅子に座ることを見越して、表敬訪問を兼ねているんだろうな」
「ああ、商人だ、その点は目聡いな」
「しかし、パストールが出てくれば、俺たちの商売はどうなるんだ……」
「何とも言えんな……」
パストールの資本力は絶大でダリスの業者で太刀打ちできるものはいない、仮にレナード家と手を組むことになればダリスの商工業者はその下請けとして甘んじることになるだろう……
「芳しいとは言えないな……」
「ああ……」
その場にいた貴族以外の連中には穏やかでない緊張感が走っていた。
*
ビール樽のような体系の男はその口元に白いひげを蓄え、商人とは思えないような風格があった。どちらかといえば軍人のような雰囲気を身にまとっている。
その男はレナードの前に進むと深々と頭をさげた。
「パストール商会の会長がわざわざこんな田舎まで足を運んで下さるとは、光栄です」
レナードが下手に出るとパストールの会長は実に腰の低い態度でレナードに応対した。
「とんでもごございません、商人ごときに高級貴族の方がわざわざ声をかけて頂けるとは……」
パストールの会長は慇懃な態度で接したが、そこには明らかに商人としての打算が浮かんでいる。
「これからは長いお付き合いをして頂ければ大変うれしゅうございます」
平身低頭しながらパストールの会長が柔和な笑顔を見せると、レナードも打算的な笑みを見せた。
「ダリスの商工業者にも配慮していただけるなら、こちらも喜んで関係を構築したいと思っていますよ」
レナードが周りにいるダリスの商工業者を配慮してそう言うとパストールは大きく頷いた。
「もちろんわかっております、あこぎな商いは致しません」
会長はそう言うと従者に目配せした。
「トネリアの名物でございます、大したものではございませんが……」
そう言うと屋敷の入り口から白金で造られた実に美しい細工が運ばれてきた。
「ほう、これは……」
レナードの前には鷹をあしらえた白金細工が献上された。
「ダリスの国旗には鷹が飛んでおりまする。そして帝の身に着けるマントにも鷹が――ぜひレナード様にも、鷹の紋様をのマントを羽織っていただきとうございます」
意味ありげな口調で会長がそう言うとレナードは意味深な笑いを見せた。
「会長のお気持ち、心に留めたいとおもう」
そう言うとレナードは執事のペイトに白金細工を受け取らせた。
「では、手前はこれで」
パストールの会長は目的を遂げると深々と頭を下げてその場を辞した。
その姿を周りの貴族たちは遠巻きに見ていたが、パストールとレナードが手を組んだというのは誰が見ても明らかであった。
『パストールを味方につけたのかレナード様は……』
『あの財力があれば、怖いものなしだな……』
『ああ、これでボルト家とローズ家がたとえ手を組んでも……相手にならんだろうな』
その場に居合わせた貴族たちは口々に情勢分析を始めた。
『今のうちにパストールに恭順の姿勢を見せたほうがいいかもな』
『ああ、早いうちに動いたほうが……』
しかし、この考えが吉と出るか凶と出るか……それはこの時点では誰もわからなかった。
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市井の情報を集めていたマーベリックであったが、パストールとレナード家の関係は即座にその耳に入った。
『芳しいことではないな……』
ダリスとトネリアでは国力が全く違う。国の広さ、産業の裾野、そして人口、いづれを取ってもダリスに太刀打ちできるものはなかった。特にその経済力に関しては雲泥の差がある。
『一つ間違えれば、飲み込まれる……そうすればトネリアのおもちゃだ……』
商業の中でも金融が発展しているトネリアの力はすでにダリスで大きな旋風を巻き起こしていた。特に進んだトネリアの金融知識はダリスの貿易商や両替商にとって垂涎のものになっていた。
『利殖行為に勤しみ、本来の生業から手を引く業者もあらわれている……』
金融の持つ力、金の持つ魔力、そうしたものに絡め取られ、すでに先物や債券などの取引に手を出す業者がダリスでは増えており、中にはトネリアの仕組みをダリスに移行するべきと主張する者も出始めている。
『レナード家がパストールと組んで金融面に手を出せば、ダリスは確実に飲み込まれる。』
マーベリックは軍事的オプションを取らずとも金融という『貨幣の刃』が死に至る斬撃をダリスに与えるのではないかと思い始めていた。
『帝位を巡る騒動の中にパストールが手をこまねくとは思えない……』
レナード家とパストールの関係はマーベリックにとっては危惧の対象へと変貌した。
*
一方、マーベリックはもう一つの懸案に頭を掲げた。
『マルス様の暗殺、いまだに何もわからんとは……』
ダリスの銀狼とよばれるレイドル侯爵の情報網に何もかからないのは明らかに異常であった。
『うちの草でさえ、何も得られないとは……』
マーベリックは全く手がかりがない状況からマルスの死が暗殺だと確信していた。
『死体から毒は検出されず……怪しむべき外傷はない……馬から落ちて首を骨折……』
死体検案書に怪しむような記述はなかった、だがマーベリックの勘はそうは告げていなかった。
『これだけ網をかけて何も出ないのは確実に誰かが介在しているからだ……だが被疑者が多く……手がかりもない……どうしたものか……』
マーベリックが茶屋で途方に暮れているとその前に禿げ上がった中年の男が現れた。
「よう、大将、どうよ!」
煌々と輝く頭皮の持ち主ははマーベリックに声をかけた。
「何かわかったか?」
マーベリックが鋭い眼で男を見ると男はニヤリとした。
「一杯いいですかい?」
男が温和な顔でそう言うとマーベリックは小さく頷いた。男は注文を取りに来た給仕にビールと鶏の香味揚げをすばやく頼んだ。
「礼の件ですが、手掛かりが見つかりやした。」
男はそう言うと運ばれてきたビールを煽った。
「マルス様の暗殺に関わったとみられるのは3つの可能性があります」
男はうまそうにビールを飲むと、今度は揚げたての香味揚げに手を伸ばした。
「やっぱり骨付きに限りますね!」
「鳥の話はいい、続きを!」
マーベリックが遮るように言うと男は恐縮した様子を見せて懐から何やら紙片を取り出した。
「この3つですね」
男の書いた紙片には3人の名前が書かれていた。
「それぞれ勢力が違いますが、マルス様が邪魔だったのは間違いありません」
メモ書きされた名を見たマーベリックは怪訝な表情を浮かべた。
「レナードと二ノ妃はわかる、だがなぜ……この名が?」
尋ねたマーベリックに対し禿げ上がった男はかぶりを振った。
「あっしがおっかけたのは金の流れです。そこからこの名が浮かんだんです……ですがその人物の動機に関しては謎です……それにまだ裏がありそうで……」
男が血色のいい顔で答えるとマーベリックは唇を噛んだ。
「調査対象が増えるな……」
調べる対象が一つなら『草』を総動員して短期間で洗うことも可能になる。だがそれが3つとなるとそうはいかない。
『分散するとなると時間がかかる……それに抜け道ができる……』
マーベリックは思案した。
「レナードと二ノ妃はこちらで見る、お前が見つけてきた対象はそっちで対応しろ」
マーベリックはそう言うと男に鹿皮でできた小袋を渡した。
「覚られるなよ!」
マーベリックは睨みを利かせてそう言うと立ち上った。
*
残された男はマーベリック店を出るのを確認するとさっそく袋の中を確認した。
『おっ……金貨か……大将、気合はいってんな……』
禿げ上がった中年の男は手にした対価が想像以上であることに驚いた。
『うまくやりゃ、稼げそうだな』
男の中で金銭に対する欲望がもたげてきた。
『何かつかめば、褒美がグレードアップするな……』
男はそう思うと後ろポケットに入れていたピンク色の紙を取り出した。
『……借金が返せる……それだけじゃない……おつりもくる』
男はそう思うと打算的な笑みをこぼした。