第七話
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翌日の早朝バイロンはマイラに呼び出された。
「今日からあなたには三ノ妃様の当番についてもらいます。」
花瓶の一件で疑いが払しょくできないバイロンは一ノ妃の当番から外されて閑職とおもわれる仕事を言いつけられた。内心、不愉快な点もあったが、自分のカバンに花瓶が入っていたのは紛れもない事実であり、その疑いがぬぐえないのであればやむを得ないともいえる……
マイラはその辺りの事を念頭に入れているらしく微妙に視線を合わせないバイロンに語気を強めた。
「あなたに言い分があるのはわかりますが、先輩メイドを殴ったんですから、その位は我慢なさい!!」
マイラは突き放すように言うとバイロンに三ノ妃の予定表を渡した。
「三ノ妃様はかなり荒れていますが、公務は出て頂かなくてはなりません!」
マイラはそう言うとポツリと小さな声でつぶやいた。
「期待していますよ」
マイラはバイロンをチラ見すると執務室を兼ねた自室に戻っていった。バイロンはその後姿を何ともなしに見送ったが三ノ妃の狂態を自分の眼で見ていたこともあり、気が重くなった。
『ああ、マジかよっ!!』
時々現れるDQNな側面が現れたバイロンであったが若干の配慮があるマイラの一言にとりあえず憤懣をおさえた。
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三ノ妃の当番は2人体勢で行われていたが、そのうち一人が病欠したためバイロンは初日からひとりで三ノ妃と対面することになった。
『……一人でやるのか……』
式典などで三ノ妃の顔こそ見知っているがその性格に関しては待機所で話される程度しか知らない……
『マルス様が死んで三ノ妃様は狂らん……どうするんだろ……』
バイロンは内心気が重かったが、やむを得ないと腹をくくると三ノ妃の部屋へと足を向けた。
*
三ノ妃の部屋にバイロンが入るや否やであった、その鼻に異臭がついた
『臭い……』
バイロンはすぐにわかった。
『お酒ね……』
客間のテーブルには高級品とわかるワインのボトルが散乱し、机の上には傷んだフルーツの残骸が四散していた。
『あちゃ~、これ絶対……荒れてるわ……』
バイロンは散乱した物を横目に声を上げた。
「お妃様、三ノ妃様!!」
だが反応はない……
バイロンは寝室へとその足を向けた。
「メイドでございます、お妃様、お着替えを」
バイロンがドア越しにそう言うとドアにむけて何か堅いものがブチあたった。バイロンはその音を聞いて顔を歪めた。
『……これメンドクサイ奴だわ……』
バイロンはコルレオーネ劇団で飲んだくれてフラフラになった役者や、性質の悪い客などを様々見ていたが、それと同様の『匂い』を部屋の中から感じ取った。
『どうしよう……』
一般の下々であれば、髪をつかんで無理やり流水に三分ほど晒して正気をとりもどさせるのだが、さすがにダリスの妃に向かいそうした方法は取れず、バイロンは思案せざるをえなかった。
『どうするかな……とりあえず掃除から始めるか……そうだな、お妃様の事は後回しにしよう』
バイロンはそう判断すると早速、掃除を始めた。
*
コルクが抜かれた瓶が倒れ、じゅうたんにワインのシミができていた。普通なら必死になってシミ消し作業に追われるのだが、その数があまりに多くバイロンはため息をついた。
『めんどくせぇ~』
バイロンがそう思った時である、おもむろに寝室のドアが開くと顔をむくませた三ノ妃が現れた。三ノ妃はバイロンにちらりと目をやると実に不愉快なそうな表情で口を開いた。
「何の用?」
それに対しバイロンは物おじせずに答えた。
「公務の予定を持って参りました。」
バイロンはそう言うとマイラの書いた予定表を提示した。
三ノ妃はそれを面倒そうに見ると人差し指をたてた後に指を振った。それは明らかに『捨てろ』と言う意味であった。
バイロンはその様子から三ノ妃の意図を悟ったが、公務を行う上での必要事項を補佐するメイドとしては予定表の破棄はできないことであった。
『どうしよう……』
バイロンは三ノ妃の顔を見た。
『ひどい顔……』
アルコールの飲みすぎでむくんだ三ノ妃の顔はパンパンに張れ、通常時の1.2倍のおおきさになっていた。
『本当は……綺麗なはずなんだろうけど……』
まだ30代中盤の三ノ妃は年相応の美貌を整えていたが、バイロンの目の目にいる存在はクリーチャーと間違えるほどに酷かった、
「何を見ているの!」
三ノ妃はバイロンの視線を感じるとのボルテージをあげて睨み付けた。
「掃除をしたら、さっさと出て行きなさい!!」
三ノ妃はそう言うと不機嫌なオーラを全開にした。
だがバイロンは引き下がらなかった。
「三ノ妃様、御公務は出て頂かなくてはなりません。妃の務めを果たしていただかないと」
バイロンはそう言うとグラスに水を注ぎ三ノ妃に差し出した。
「どうぞお飲みください」
三ノ妃は言うことを聞かぬ新人メイドの態度に激高した。
「お前、誰に口を聞いている!!」
三ノ妃はバイロングラスを引っ掴むと、その手でバイロンにグラスの水を浴びせた。
「調子に乗るな、メイド風情が!」
三ノ妃がそう言うとバイロンは三ノ妃を見つめた。その眼には明らかな非難の色がうかんでいる……
「何だ、その眼は……」
三ノ妃は床に転がっていたワインボトルを拾い上げて振りかぶった。
「この、うつけが!!」
バイロンはとっさに身をかわすと、三ノ妃が体勢を崩した。
「……お前……」
つんのめった三ノ妃はバイロンに避けられたことで余計に逆上した。
「そこに、なおれ!!」
言われたバイロンは素知らぬ顔をした。
『ボトルで殴られる何てまっぴらごめんよ!!』
バイロンはそう思うと三ノ妃の攻撃を女優として培ったステップで軽やかに避けた。
「貴様っ!!!
三ノ妃はさらに執拗な攻撃を繰り返した。だがバイロンの動きは軽快でボトルはかする事さえなかった。
「おのれぇぇ!!!」
三ノ妃が奇声を上げた時である、部屋の扉がおもむろに開いた。
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入り口に立っていたのはなんと、一ノ妃であった。一ノ妃は70歳を越えたとは思えない身のこなしで二人に近寄った。
「騒がしいと思ったら、鬼ごっこですか?」
一ノ妃は二人を見るとその表情を窺った。
「楽しそうですね、私も混ぜなさい」
「えっ……」
バイロンも三ノ妃も目を点にした。
「誰が鬼ですか?」
2人が茫然としていると一ノ妃は三ノ妃のもつボトルを手に取った。そしてそれをおもむろにテーブルに叩きつけた。ボトルはガシャンという音を立てて割れるとギザギザになった破片がシャンデリアの灯りで煌めいた。
一ノ妃は二人にそれを見せるとにこやかに笑った。そして……突然、大声を上げた。
「お逃げなさい、速く!!!」
怒鳴られた二人は、その声に驚いたが一ノ妃の眼を見るとチビリあがった。
『マジじゃん、この人……』
後にバイロンはこの時のことを述懐している、そしてそれは日記の中で以下のように記されていた。
『ガチで殺りに来てる……』
一ノ妃の見せる表情の中には明らかな殺意があった。
*
全く持って想定外の展開がバイロンと三ノ妃を襲ったわけだが、この後、二人は一ノ妃に執拗なまでに追いつめられ、最終的に客間の隅へと追いやられた。書籍を納めた本棚と食器類を納めた水棚が逃げ道をふさぐ形になり2人は完璧に逃げ場所を失う状態に陥っていた。
一ノ妃は軽い身のこなしで二人の前に現れると右手に持った凶器を見せた。輝く破片は明らかに二人の喉元に向いている。
「ちょっと、あんたメイドなんだから、私の盾になりなさい!!」
素っ頓狂な声で三ノ妃がそう言うとバイロンは食い下がった。
「嫌です、そんな高いお給金はもらってません!!」
「何、言ってんの、私は妃よ、下々のメイドが口答えするんじゃないの!!」
「この状況下で、口答えもくそもありません!!」
バイロンが反論するとさらに一ノ妃がその距離を詰めた。その顔は朗らかで二人のやり取りを愉しんでいた。
『何なの、この状況……』
バイロンがそう思った時である、何とか生き残ろうとする三ノ妃はバイロンの腕をつかんで一ノ妃の方に差し出した。
すると、それを見た一ノ妃が三ノ妃に微笑みかけた。
「下々の人間を盾にして、自分は助かろうという腹か?」
一ノ妃は実に柔和な表情でそう言った、だがその眼は嗤っていない……
詰められた三ノ妃はブルブルと唇を震わせた。
「いえ、そんなわけでは……」
三ノ妃が小声でそう言うと一ノ妃は畳み掛けた。
「民を統治する者がそのような行いをして許されると思うか?」
一ノ妃は静かだが反論を許さぬ口調で三ノ妃を詰めた。
「人の上に立つ者が己が助かりたいがために、その従者を突きだすというのか?」
一ノ妃さらに詰められた三ノ妃は視線を逸らせて誤魔化そうとした。だがその行為が一ノ妃に火をつけた。
「その浅ましさ、貴族としては恥ずべきことぞ!」
一ノ妃は憤怒の表情を浮かべるとたたみかけた。
「身近なものに対する慈愛を欠く者が国を背負っていけると思うてか!!!」
激高した一ノ妃は三ノ妃の首にワインボトルの刃をあてがった。
「ここで死ぬか、妃としての誇りを取るか、決めろ!」
一ノ妃の圧力は三ノ妃に有無を言わせぬものがあった。
三ノ妃は小さくなるとその身を震わせた。
「お前がマルスを愛するあまりに行った行為の数々、多少は大目に見てもいいと思っていた。だが、マルスが死んだ今、かつての行為はお前の身を滅ぼすことになりかねん、特に枢密院からの喚問は避けて通れぬぞ!」
一ノ妃はそう言うと三ノ妃に近づいた
「あとはお前が決めろ……」
一ノ妃は三ノ妃をギュッと抱きしめると、その耳元で何やら囁き、慈しみのある表情をみせた。意味深なやり取りであったが、三ノ妃はその後、小さくなってうつむいた。
その後、一ノ妃はバイロンを見ると殺意の浮かんだ目で睨みつけた。
『やべ、めっちゃ、怖ひぃぃ……』
一ノ妃はバイロンをねめつけると口を開いた。
「お前は何も見ていない……いいな!」
言われたバイロンは直立不動になると即答した。
「イエッサー!!」
一ノ妃は駄目押しともいうべき『睨み』をもう一度バイロンに浴びせるとくるりと踵を返し、部屋を出て行った。
*
一ノ妃が出て行った後、部屋にはバイロンは三ノ妃だけがのこされた。何とも言えない空気が部屋を支配し、2人の間に形容しがたい雰囲気が生じた。
三ノ妃は重いため息をつくとバイロンを見た。
「着替えるわ」
言われたバイロンは怪訝な表情を見せた。
「公務に出るのよ、速く用意なさい!」
想定外の展開にバイロンは首をかしげるほかなかったが、状況が好転したのは間違いない……バイロンはこの波に乗ろうと思った。