第六話
13
バイロンが部屋に戻るとリンジーが興奮した面持ちで話しかけてきた。
「凄いよ、バイロン!」
リンジーの顔はバラ色に輝いている。
「先輩にあれだけ啖呵を切るなんてすごい!!」
通常こうした時は腫れ物に触らないような態度をとるのだろうがリンジーはそれとは逆に持ち前の天真爛漫さを発揮した。
「あれだけ追い詰められた状況で、毅然と対応するなんてすごいよ。私、尊敬しちゃう!!」
リンジーはさらに続けた、
「だってカバンからなくなった花瓶が出てくるなんて、超びっくりじゃん、私だったら、ボコボコになってたと思うよ!!」
リンジーは食堂で見たバイロンの姿に『勇者』の姿を投影しているらしく、バイロンに心酔する姿勢を見せた。
「リンジー、あれは……」
バイロンは『演技だ』と言いかけたが、リンジーはその言葉を待たずマシンガントークを続けた。
*
この後リンジーのトークはとどまることしらずしばらくの間、援護射撃が続いた。話の後半は身振り手振りのジェスチャーまで入れて、いかに自分が感動しているかをバイロンに伝えた。
以下は要約である。
≪バイロン、マジ、サイコー!!≫
一言で済む内容なのだがリンジーはその一言を幾重にも重ねて20分間話し続けた。バイロンは途中で聞き飽きて『どうしよう……』かと思った。
『演技って言ったら……マズイだろうな……』
間が悪いというか、話の腰を折るというか、リンジーの称賛トークを根底から覆す内容を吐露するのも悪いと思ったバイロンはとりあえず沈黙した。
*
称賛型マシンガントークを終えるとリンジーはいつもの表情に戻りポツリと呟いた。
「一ノ妃様の部屋でバイロンが花瓶を盗むなんてありえないのにね、近衛兵もいるしバレちゃうじゃん」
リンジーはそう言うと今までのトークと異なる冷静な見解を展開した。
「私ね、アリーさんはバイロンのカバンを盗んだり、花瓶を隠した犯人だとは思わないんだ。アリーさんがいくらバイロンのことを嫌いだからって、そこまでやらないはず……わざわざばれるような窃盗行為を擦り付けるなんて、やらないはずよ。」
リンジーはそう言うと机の上にあったクッキーを手に取り口に放り込んだ。
「一ノ妃様の『当番』ってメイドにとっては誉れあることでしょ、それをわざわざないがしろにするような粗相をするなんて、考えられない」
言われたバイロンは口を真一文字に結んだ。
『それも、そうね。わざわざ、花瓶を盗んで私のカバンに入れるなんて、あの状況下ではできすぎてる……』
バイロンは内心そう思うとリンジーの顔を見た。
「リンジー、もう少しあなたの意見聞かせてくれる」
バイロンがそう言って自分のクッキー(中央にゼリー状のマーマレードジャムがのせてある。)を差し出しすとリンジーは頬を紅潮させた。そしておもむろにクッキーを数枚手に取って持論を展開しだした。
*
リンジーの見解はまとめると以下の3点であった。
1
一ノ妃のいる部屋の花瓶を盗むほどメイドはバカではない。なぜなら近衛兵がメイドの事を監視しているため、粗相は別として盗みなどできる環境にない。
2
窃盗がばれればタダですまない。場合によっては死罪もあり得る。さほど高くない給料でそんなリスクを負うのは割にあわない。ましてトネリア王家からの贈り物を盗むなんてありえない
3
一ノ妃に仕えるメイドはメイドの中で最高峰の存在になる。仮に宮中から身を引いた後でも上流階級では引く手あまたであり、その給料は現在の3倍は払われる。したがって窃盗という行為でメイドとしての名声を失うのはありえない。
リンジーの説明はどれも的を得ていてバイロンはリンジーの考えにほぼ同意した。
「じゃあ、アリーは花瓶窃盗事件の被疑者じゃないわね……となると、花瓶は誰が盗んだのかしら、それにこの部屋から私のカバンを持ちだしたのは?」
バイロンが素朴な疑問を口にするとリンジーが答えた。
「昇降機に乗ってあの階に行ける人物か、近衛兵が警備する階段を使える人間かのどちらかね。それからバイロンのカバンが盗めるのはこの部屋のカギを持っている人間、例えば私とあなた……あとはすべて部屋のマスターキーを持っているマイラさんね………」
言われたバイロンは顔をしかめた。
「私とサラさん、そしてアリー、後はマイラさん……そのくらいよね、昇降機を使えるのは……」
一ノ妃の部屋は第四宮の最上階に位置していて、その階に行くには昇降機を使うか近衛兵が警備している階段をつかうかのどちらかになる。外部からの人間は厳しく近衛兵がチェックするため内部の人間以外は犯行は不可能になる。
『一体、私のカバンを盗んで、花瓶を入れたのは誰なの……』
バイロンは答えの出ない疑問に顔をしかめた。
14
その日の午後、第四宮のメイド長、マイラはすべてのメイドと執事を統括する執事長シドニーに呼び出されていた。
「三ノ妃様に手を焼いていると報告が入ったが……どういうことか説明しなさい。」
シドニーは脇に控えたメガネ女、ナターシャ(バイロンが研修していた時に要所要所で嫌がらせをしていた女)にマイラを詰問させた。
マイラはそれに対しありのままを報告した。
「複数のメイドが三ノ妃様によって傷つけられ、中には骨折した者もおります。精神状態が芳しくない三ノ妃様のお世話はかなり厳しいものです。」
マイラが正直にそう言うとメガネ女、ナターシャはマイラを陰険な眼で見た。
「そうならないようにメイドたちを躾けて、立ち回らせるのがあなたの仕事でしょう。これだけの被害が出ているのはあなたの指導の仕方が悪いんじゃないですか?」
ナターシャはマイラをいたぶるように発言した、そこには積年の恨みを晴らすような勢いがあった。
「第四宮のメイド長は、あなたには荷が重いんじゃないですの?」
かつて第四宮のメイド長の座を争い、マイラに破れた過去があるナターシャの糾弾は執拗で陰険であった。
一方、マイラはそれをじっと耐えていた。
『メイド心得 その1、忍耐こそすべて』
メイド手帳の最初のページに記されている一節だが、マイラはその言葉通りの姿を見せていた。
だがその姿はメガネ女には腹立たしく映った。
『この女……』
かつてメガネ女とマイラは第四宮のメイド長の職を巡って争ったたことがあったのだが、その時、選ばれたのはマイラであった。そして、その理由がまさに『忍耐』の部分であった。当時の執事長(シドニーの前任者)は忍耐を欠くナターシャの性格を見抜きマイラをメイド長に推挙していた。
その時の事が脳裏に浮かんだナターシャは怒りが込み上げてきた。そしてその怒りをぶつけるべくマイラをはげしくののしった。
「何はともあれ、三ノ妃様の生活が滞りなくいくようにお世話するのがメイドの務め、マルス様がお亡くなりになったとはいえ、そのお心をいやしていくのがあなたの仕事でしょ!!」
そう言うとナターシャはさらに畳みかけた。
「嫌なら、他の人間に代わってもらえばいいんじゃありませんの!」
陰険を通り越し、人間の品性を疑うような質の悪さを露呈させたナターシャはマイラをいびり倒すことに興奮し、脳内麻薬が鼻腔から漏れ出るほどの快感を得ていた。
それを見たシドニーは大きく息を吐くとナターシャに声をかけた。
「もうおやめなさい、それ以上は!」
あまりの性格の悪さに辟易したシドニーはそう言うと、話の切り口を変えた。
「三ノ妃様の事はあなたの監督の及ばない所もあるでしょうから、多少の配慮もできるでしょう。ですがあの一件はどう申開きますか?」
シドニーはバイロンとアリーの一件について言い及んだ。
「一ノ妃様の部屋で粗相、いえ暴力行為があったことは許されざる事態です。いくら三ノ妃様の狂態に手を焼いているとはいえ、他のメイドの監督が行き届いていないのは明らかです!」
シドニーがそう言うと脇で控えていたメガネ女、ナターシャがほくそ笑んだ。
「それに花瓶の件ですが、あれは非常に由々しき問題です。今回は盗難されたものが偶然見つかったからよかったものの、見つかっていなかったら、この程度ではすみませんよ!」
ナターシャが意地悪く畳み掛けると、マイラは唇を強く噛んだ。
「マイラさん、申し開きされてはどうですか?」
シドニーがそう言うとナターシャはマイラをニヤニヤしながら見た。
今まで抑えていたマイラの感情が昂ぶり、握った拳がぶるぶると震えはじめた。
シドニーはそれを見ると冷徹な声をかけた。
「どうしたの、怒りに任せてその拳で私を殴るの、あのメイドみたいに」
シドニーはバイロンのことをほのめかしながら冷ややかにそう言うとマイラを睨み付けた。
マイラはそれを見るとうつむいて押し黙った。そこにはメイドの世界における執事長の絶対権力に服従する姿勢があった。
シドニーはそれをみてニヤリと嗤うと冷淡な表情で続けた。
「けじめをつけるチャンスをあげましょう。その内容であなたの職を解くかどうか決めます。」
言われたマイラは深く一礼するとくるりと踵を返した。その肩は小刻みに震え、彼女の怒りと心労があらわれていた。
*
マイラが部屋を出るとナターシャが声をあげた。
「うまくいきましたね、執事長!」
ナターシャがそう言いうとシドニーはティーカップに指をかけた。
「おおむねといったところかしら。」
シドニーは満足していない表情を見せた。
「花瓶の件でマイラの精神は相当揺さぶられています。」
ナターシャはそう言うと『面白くてしょうがない』という表情を見せた。
「三ノ妃と花瓶の事件、そしてメイドたちに対する監督、どれをとってもうまくいってない……マイラにはかなりのプレッシャーでしょうね」
シドニーはそう言うとメガネ女、ナターシャを見た。
「あの花瓶、どうやって『仕込んだ』の?」
言われたナターシャは『えっ?』という表情を見せた。
「あなたの考えそうなことはお見通しよ」
シドニーが死んだ魚のような目でそう言うとナターシャはバツの悪い表情を見せた。
「花瓶を隠す程度ならこちらも大目にみます。ですがバイロンというメイドを犯人に仕立てる演出は蛇足です。」
シドニーがそう言うとナターシャが申し開こうとした。
だがシドニーはそれを手で制すると殺意の浮かんだ眼でナターシャを睨み付けた。
「あのバイロンという娘はレイドル侯爵の犬です。そのあたりの小銭で寝返る連中とは違います……一つ間違えればこちらに火の粉がかかる……」
ナターシャは花瓶の件でマイラを追い落とすだけでなく、バイロンまで潰そうと画策したのだが、その方法がシドニーの逆鱗に触れた。
「秘密裏に事を運ぶには最小限のリスクでことをおこなうのが定説、余計な行動は裏目に出ます。」
シドニーは厳しい物言いで続けた。
「以後、慎むように!!」
言われたナターシャは平身低頭した。そして恨めしそうな目を一瞬見せた後、部屋を出た。
ナターシャが部屋を出たのを確認するとシドニーは紅茶を口に含んだ。そして鍵のかかった引出しをあけて一枚の羊皮紙を取り出した。
『……あのお方の計画通り……』
シドニーは羊皮紙に書かれた文言に目をやった。
『小さな綻びが呼び水となり、それはいずれ大きな変化となる……』
シドニーは大きな未来予想図の中にあるパズルのピースが一つ埋まったと確信していた。