第四話
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3公爵、それはレナード家、ボルト家、ローズ家の3家からなりたつダリスの貴族、最高峰の存在である。彼らには帝位につく権利が与えられており、ほかの貴族からは『貴族のなかの貴族』とよばれていた。その歴史は旧くダリス建国の父、ダリス一世に仕え、魔人と戦った勇士の子孫として名をはせている。
特にレナード家は亡き陛下の遠縁ということもあり血統的にも申し分なく、帝位につくだけの十分な器量を兼ね備えていた。さらにはその経済力はボルト家とローズ家を軽くしのぐだけのものがあり、現在のダリスではレナード家の右に出る者はいない……
「こたびの一件……お前の占いどおりだな……」
甘栗色の髪を真ん中から分け、豪奢な被服に身を包んだ男はフードを目深にかぶった女に声をかけた。
「いえ、これほどまでに未来を完ぺきに予想するのは……普通は無理です……今回は出来過ぎかと……」
フードをかぶった女が謙遜してそう言うと男は目を細めた。
「お前の占い……空恐ろしいほどにあたる……マルスが死ぬことを予期するとはな」
男はそう言うと声をあげて笑った。
「邪魔なものが勝手に消えてくれるとは……じつに愉快だ」
男はマルスが死んだことに何の感慨もないようでその表情に曇りはなかった。
「これで誰にも邪魔されることなくこの国の未来に関与できる」
男はそう言うとフードの女を怪しい眼で見つめた。
「よもや、お前がヤったのではあるまいな?」
ジットリとした口調で男が言うとフードの女はそれに対し『フフッ……』と笑ってかぶりを振った。男はその様子を見て疑うような視線を投げかけたが、その表情には薄ら笑いが浮かんでいる……
「まあ、いい。いづれにせよこれからは、我がレナード家の時代が来る」
壮年の男は猛々しくそう言うと応接間を出て屋敷の奥にある自室へと向かった。すこぶる機嫌がいいらしく、その口元は常にゆるんでいる……マルスの死など歯牙にもかけぬ有様であった。
一方、応接間に残された女は男が消えるまでの間、深く頭を下げた。そこには一見すると深い敬意と尊崇の念をこめられていた……だが女の本心はそうではなかった。
『……馬鹿な男……』
フードの女は心の中でほくそ笑んだ。
『想定外の事態だけど、計画は一歩、前進……』
女は心中そう思うと懐から小さな箱を出した。象牙で造られた小箱は細工が幾重にも施された豪奢なものであった。
女はその小箱(手のひらに収まる程度)を開けるとその中を見つめた。そしていとおしそうに中のものを撫でた。
『このまま進めば、未来が……』
女はそういうと恍惚とした表情を見せた。
9
翌日からの業務は相変わらずで、バイロンの日常は淡々と過ぎた。だが、アリーの嫌がらせは見えない所で続き、バイロンの怒りはMAXに向けてそのメーターを徐々に上げていった。特に待機所で流される根も葉もないうわさは徐々に悪質になりつつあった。
『あの子、レイドル侯爵の愛人とか言ってるけど……あの齢で愛人って……昔、何をやってたのかしら……』
『学校だってろくに行ってないんでしょ、ワケアリは間違いないよね』
メイドたちは初等学校しか出ていないバイロンの学歴に文句をつけ出した。
『一ノ妃様のもとで使えるのに上級学校さえ出てないなんてね』
メイドという仕事に学歴は関係ないのだが、『妃』に仕えるという点においてそれは芳しいことではない。教養の低いその辺のメイドでは高級貴族や海外のVIP相手には仕事が務まらないのである。特殊な技能か経験があればべつなのだが、現在のバイロンにそれがあるとはおもえない……
『入ったばかりのメイドが一ノ妃様のお世話なんて……おかしいわよね……私だってまだしたことないのに!』
『私だって一度もないわ、3年も奉公してるのに……上級学校だって出てるのに!』
待機所でバイロンを取り巻く環境は徐々に悪くなっていった。性質の悪い情報を流布していたアリーはメイドたちの囁く内容を聞いて影から見るとほくそ笑んだ。
『16歳の小娘が、調子づいたらどうなるか。教えてやるわよ!!』
アリーの謀はまた一歩前進していた。
*
一方、三ノ妃の狂態に手を焼くマイラはその方に忙殺されて歯噛みしていた。
『困ったわ……』
かつての『付け届け』に賄賂性があると認定された三ノ妃は枢密院から呼び出され、その喚問から生じる精神的な圧迫でさらに追い詰められていた。
『三ノ妃様の状態……甚だしくわるい』
賄賂が認定されれば『妃』としての位も失う……息のかかった業者との癒着は民間では許されるが一国の妃となればそういかない。モラル面の破たんは妃としての称号を奪うに十分な理由になる。
マルスを失っただけでなく、その位階もなくすとなれば彼女はそのプライドのよりどころを喪失することになる。身から出た錆とはいえ、立て続けに襲う不幸な事態は三ノ妃の精神を完膚なきまで破壊するであろう……
『どうやっていさめるか……』
マイラはこの難題に頭を抱えた。
『既にメイドのほとんどが三ノ妃には見切りをつけ、業務自体もなおざりになっている。公式行事の用意さえもいいかげんなものに……』
マルスが死んだことにより宮中の力学は明らかに変わり、三ノ妃に対する姿勢は180度変わった。今まで『蝶よ花よ』という扱いだったのが、今では下級貴族の成れの果てとして見られていた。
マイラは周りの貴族の変化に驚きを隠さなかったが、貴族の持つ狡さと冷徹さには舌を巻くほかなかった。
*
さらにマイラは別の問題にも直面していた。それは待機所を取り巻く雰囲気の変化である。
『風紀が乱れている……』
バイロンに関する嫌がらせの報告はサラからうけていたものの、その余波が待機所に蔓延し、反バイロンシフトが形成され始めていたのである。
若くて容姿の映えるバイロンは先輩メイド達にとって女の嫉妬を掻き立てる存在であったが、その娘が一ノ妃の『当番』として業務に携わっていることはさらに不愉快な印象を与えていた。
『マズイわね……』
マイラは相談できる腹心がいないため、いかにしてこの状況を好転させるか難儀していた。
『ネイトがいれば……』
ネイトとは唯一マイラが信頼おけるベテランメイドのことだが、業務の途中、階段から落ちるという不慮の事故(突き落された可能性あり)のため現在、休職していた。
30歳をゆうに過ぎたネイトという存在は『妃』対策としては大変大きな役割をはたしていたのだが、その重石がないため待機所の雰囲気は実に流動的で、緊張感も欠いていた。
『このままだと……』
マイラの心労はさらに深まるばかりであった。
そして、その週末、事故が生じた。
10
事故が起こったのは一ノ妃が公務で部屋にいない時のことであった。
「バイロン、ここにあった花瓶は?」
花を活け替えた後、バイロンは花瓶を寝室に置いたのだがその花瓶が消えていた。
「あれはとても高価なものよ……どうしたの?」
アリーは静かだが非難を込めた口調で言った。
「あれはトネリアの王室から頂いたもの……まさか割ったりしていないでしょうね」
アリーはそう言うと花瓶を探す様子を見せた。そして一通り部屋を見回すとバイロンをなじるような目で見た。
「もしかして、泥棒でもいるのかしら……」
アリーは意味深な微笑みを浮かべた。
「どうするの、バイロン、あれはとても大切なものよ。トネリアから送られた文化財としての価値もあるのよ?」
濡れ衣をかけられたバイロンはアリーを睨んだ
「何、その眼? 私が言いがかりでもつけてるって言うの?」
アリーはそう言うと畳み掛けた。
「ほんとは割ったんでしょ、それで収拾がつかなくて破片を片付けたんでしょ!」
アリーは根も葉もないことを誘導尋問の様にして展開した。
「そうか、わかった……盗んだんでしょ……窃盗なんて考えられない!」
アリーは三文芝居の役者のような口調で話しかけた。
「上級学校も出てない三等品のメイドじゃ、やりかねないのかしらね~」
アリーは底意地の悪い口調で畳みかけた。
「下賤の娘、血筋の悪いメスは何をするかわからないからね……小汚い母親の股から生まれたんでしょうし!」
アリーは無表情に立ち尽くすバイロンに歩み寄った。
「何、意見でもあるの!」
アリーの顔にはニックを奪った娘に鉄槌をくらわせてやったという満足感が浮かんでいた、だがアリーはそれだけでは飽き足らなかった。
『辞めるまで、いびり倒してやる!!』
アリーがそう思って邪悪な笑みを浮かべた瞬間であった、
バイロンの拳がアリーの顔面にむけて美しい軌跡を描いた。ひねりの入ったコークスクリューパンチはアリーの鼻を完ぺきにとらえた。
『………』
アリーはまさかの展開に防御する事すらできず、後方にすっ飛んだ。受け身も取れず無様に転倒するとひしゃげた鼻から出血させた。
バイロンは鼻をおさえてへたり込むアリーを後方から見下ろすとパンプスのカカトでその後頭部を踏みつけた。
バイロンは無表情で後頭部をスタンプすると、アリーの額が床にこすれるようにしてなじった。骨折するほどの強さはないが抵抗できないギリギリの力加減は絶妙であった。
だが、アリーにとってはそれがさらに恐怖を増大させた。
『ヤバイ……やりすぎた……』
言い過ぎたことは認めるが一ノ妃の部屋でバイロンが暴力的な行為には及ぶと思っておらずバイロンの行動には度肝を抜かれた。
『武闘派メイドなんて、聞いたことない……』
バイロンは踏みつける足の力を弱めると、今度はアリーの髪をつかんで上体をおこした。そして血だらけになったアリーに微笑んだ。
「窓の掃除が終わっておりませんわ、先輩!!」
バイロンはメイド口調でそう言うとアリーの髪をつかんで、開いた窓の所の引きずった。
「ちょっと、お願い、やめて!!」
暴力的な行為に慣れていないらしく、アリーは上ずった声をあげた。
「あたし窓の拭き方よくわからないんです、先輩、教えていただけますか?」
バイロンはぬけしゃあしゃあとそう言うと血だらけになったアリーの顔を見た。
アリーはバイロンの表情を見て震え上がった。
『この娘、眼が、眼が逝っちゃってる……』
バイロンの表情に殺意を感じたアリーはその身を固くした
実の所、バイロンのこの表情はポルカで女優として培った演技なのだが、鬼気迫る状況下でアリーにはそれを見抜くだけの余裕はなく、おののくほかなかった。
「助けて!!!」
アリーがうわずった声を上げた時である、何事かと驚いたベテランメイドのサラが血相を変えてやってきた。
「サラさん、助けて、この子が……」
アリーがしどろもどろになってそう言うとサラは大きく息を吐いた。
「何てことを……」
サラはこうなるのではないかと予期していたのだが、暴力的な展開になるとは予想していなかったようで血だらけになったアリーを見て困り果てた。
「メイド長に報告します。それより……その血だらけの顔……」
サラは持っていたタオルでアリーの顔をおさえるとバイロンを見た。
「あなた、一ノ妃様のお部屋ですよ、わかってるんでしょうね!」
サラが糾弾するように言うとバイロンは雄々しく『はい』と答えた。
サラは微塵も反省の色を見せないバイロンの姿にため息をついた。