第三話
6
一方、バイロンの態度は庭師ニックの心に火をつけていた。庭師としてのポジションをいかしてメイドたちにその触手をのばしていた男にとってバイロンは『攻略しなくてはならない山』に変化していた。
『数々の女をモノにしてきた俺に落とせない奴はいない、必ずものにしてやる!!』
バイロンのアウトオブ眼中という姿勢はニックにとって想定外であり、プレイボーイのプライドを毀損せしめるものであった。だがそうしたバイロンの態度は余計にニックの心に火をつけた。
『あの女を絶対に落す!!……だが一筋縄ではいかない……どうすべきか』
たいていのメイドはプレゼント作戦、特に誕生日や記念日に適切なものを送ることで『関係』をきづく上での糸口をつかむことができた。だがバイロンはそうした方法に目もくれなかった。
『あいつは、それでは落ちない…やはり手段の変更が必要だ、何がいいか……』
庭師ニックはプレゼント作戦から別の手段へと舵を取ることにした。
『プランBだ。この手でいこう、搦め手から攻めればきっと攻略だ!』
こうしてニックはバイロン攻略のため新たな方策を打ち出した。
一方で、このニックの姿勢を快く思わないものがいた。それはニックの元カノ、アリーであった。ニックがバイロンにすり寄る姿は彼女の精神をかき乱した。
『許せない……ニック……だけど、あの女も!』
アリーはニックの情報を他のメイドから集めると、その行動を聞いて唇をワナワナと震わせた。いまだにニックに対して未練タラタラなアリーにとってはバイロンに夢中になるニックはゆるし難いものがあった。
『……絶対……許せない……』
結婚の約束まで取り交わしたニックであったがバイロンが現れるや否や、その約束は反故にされた。友人、知人にも結婚を匂わせ、新たな人生の門出がくると喜んでいたにもかかわらず、その思いは一瞬のうちに砕かれたのだ。
『あの、クソ女……』
ニックに対する恨みもあったが自分の人生計画を台無しに、ニックを奪ったバイロンという存在はアリーにとって憎しみの対象となっていた。
『絶対にケジメを取ってやる』
アリーの歪んだ怒りはバイロンに向けて猛然と加速した。そして、彼女はいたる所、様々な方法でバイロンに対し嫌がらせを行使した。
*
アリーはマイラが三ノ妃のことで手一杯になっていることに付け込むと、巧妙なやり口の嫌がらせをバイロンにたいして行った。ときにメイド服の裾を破ったり、洗濯後の制服にトマトの果汁を擦り付けたりと、一見すると本人のうっかりと思われるようなやり方をとった。
さらには先輩としてわざとその点を嫌味たっらしく注意するという2段構えの攻めを見せた。時にはほかのメイドに小遣いをつかませ、その叱りつける役回りを代行させる方法もとった。
『苦しめ、この糞女!!!』
バイロンが注意され肩をすぼめて小さく俯く姿は影から眺めるのはなんともいえないものがあった。
『あと何度か、注意が続けば、この子も終わり……』
粗相が続けば間違いなくメイドとしては『クビ』になる、アリーは想定通りに進展する自分の計画に内心ニヤニヤが止らなかった。
*
一方、そうした状況下に追いやられたバイロンは当然、歯がゆい思いをしていた。
『クソッ……マジうぜぇなあ……』
バイロンは内心そう思っていたが、先輩メイドに対して口答えした所で嫌がらせが加速するのは目に見えていた。それに一ノ妃の世話という極めて重要な仕事についているため粗相が許される環境下ではない……特に公務中に何かあればただでは済まないのだ……
『下手に手を出して一ノ妃様に迷惑がかかるような事態になれば一大事だわ……ここは様子を見るしかない……』
バイロンはとりあえず、嫌がらせの矛先をうまくかわす方針をとった。
*
だがそんなバイロンの思いとは裏腹にアリーの行為は日に増して陰湿になった。片付けたはずの食器が棚から消えていたり、いすやテーブル位置を微妙にかえてわざとバイロンがつまずくように配置したりと、見えない所での嫌がらせは延々と続いた。さらにはメイドの待機所でもバイロンに対する誹謗中傷を煽り、他のメイドたちに反バイロンシフトを組むように仕組んでいた。
バイロンよりも年上のアリーは知恵があるため自分に火の粉がかからないように立ち回りながらバイロンに嫌がらせという圧力をかけた。
一方、バイロンは嫌がらせの首謀者がアリーであることはわかっているものの、そのやり口が証拠を残さないため、本人を糾弾できない状態に陥っていた。
『証拠がないからマイラさんにも言えない……イラつくわ……あのくそ女……』
アリーの行為に対し徐々にバイロンも鬱積がたまり始め、その怒りは日に増して大きくなっていた。
『そろそろかました方がいいかしら……』
バイロンの中で『反撃』という選択肢が生まれ始めていた。
7
バイロンはいつものように定時報告を行うため時計台に向かうとマーベリックが焼き菓子を手にして待っていた。
「報告を聞こう」
帽子を目深にかぶった男はバイロンに焼き菓子を渡すと歩きながらバイロンの報告に耳を傾けた。
*
「そうか、三ノ妃様の精神状態が芳しくないか」
「ええ、錯乱とは言わないけど泣いたり、怒ったり……メイドにあたるんだけどその当たり方も暴力的で……妃とは思えないわ」
バイロンは『当番』として三ノ妃に従事したリンジーの話をした。
「そうか……」
マーベリックは感慨もなくそう言うとバイロンを細い眼で見た。
「お前には少し動いてもらう、今までのような観察もつづけてもらうが、それ以上の事もたのむことになる」
バイロンはマーベリックを打算的な眼で見た
「見返りはあるんでしょうね?」
「ああ。もちろんだ。お前の母親には最高の治療を受けさせよう」
マーベリックはそう言ったがその顔には明らかに徒労が浮かんでいた。
『めずらしいわね……疲れてるのかしら……』
相変わらずの鋭い眼光だが目下の隈は重く、端正な顔が歪んで見えた。
「ちょっと、待ってて」
バイロンはそう言うと人ごみの中に消えた。
マーベリックはその後ろ姿を見ながら今までの事を整理することにした。
『やはり、マルス様は殺害されている。だがその容疑者が多すぎて絞れない……』
マーベリックは今までの調査で得た情報を脳裏に描いた。
『キツネ狩りの途中、落馬して首の骨を折ったことになっているが、マルス様が落馬した現場を見た人間はいない……いくら鈍重とはいえ、マルス様も馬に乗れないわけではなかった……となると……暗殺の線は捨てがたい……』
マーベリックは証拠こそないが、マルスが落馬で死んだとは思っていなかった。
『怪しむべきは、まずは3公爵……特にレナード家の買収工作はひどい。あきらかに次の帝位をにらんでのことだ。特にあの占い師……得体がしれん……』
マーベリックの調査のなかで唯一裏が取れないのはレナード家に巣食う占い師であった。
『我々の調査で情報が上がらないのはありえない……レイドル侯爵の『鼻』から逃れるとは考えられん……あの占い師……何者だ……』
マーベリックはそう思うと、今度はもう一つの怪しむ対象に思いを向けた。
『あとは二ノ妃だな……帝位につく資格はないが、三ノ妃には並々ならぬ思いがあるはずだ』
5年前、二ノ妃の1人娘、スカーレットが急死するという事態が起きた。心臓まひでなくなったのだが、本当は毒を盛られたのではないかという説がいまだにくすぶっている
『二ノ妃様は感情を表に出さないが……性格的には根に持つタイプだ。5年越しの復讐を考えたのかもしれん』
スカーレットはなくなった陛下の血をひいていたため帝位の第一候補として燦然と輝く存在であった。頭脳明晰で愛らしく、運動神経も秀でていたため貴族からの評判はすこぶる良く、誰が見ても納得のいく人物であった。だがその健康優良児のスカーレットがある日突然、心臓はマヒで亡くなったのである。
『当時の検死は問題なかったはずだ……』
マーベリックは当時の事を思い返したが、関係者の事情聴取やその取り巻きの行動に不信なものはなかった。
『あれは三ノ妃の命令した謀殺ではないはずだ……だが、二ノ妃はそうは思っていない……』
マーベリックは厄介な事態になっていると感じた。
*
そんな時である、陶器のカップを持ったバイロンが現れた。
「はい、これ!」
陶器のコップには湯気のたつ琥珀色の液体が入っていた。
「ホットジンジャーよ」
ホットジンジャーとは生姜を粗く挽き、そこにたっぷりの蜂蜜とお湯を注いだ飲み物の事である。
「ここのホットジンジャーはブランデーが入ってるから、体があったまるわ」
バイロンは風味付けのブランデーの事を指摘するとマーベリックに陶器カップを渡した。マーベリックは無言でカップをうけ取ると早速口をつけた。
仄かなブランデーの香りが鼻に抜け、蜂蜜の甘みと切れのある生姜のフレーバーが喉を落ちていく。
「うまいな……」
生姜の辛みで蜂蜜の甘さを抑えたホットジンジャーは思いのほか美味であった。
「はい、お代!!」
バイロンが手を出すとマーベリックが驚いた顔をした。
「金をとるのか?」
マーベリックが素っ頓狂な声を上げるとバイロンが間髪入れずに答えた。
「冗談よ!!」
マーベリックは意地悪な笑みを浮かべたバイロンを見てため息を吐いた。
「お前も、だんだん『草』(スパイ、謀者)としての機転がきくようになってきたな」
それに対してバイロンは何食わぬ顔で答えた。
「謀者じゃなくて女優よ!」
バイロンは自分の機転がポルカでの女優経験に起因すると示唆した。マーベリックはそれを見ると苦笑いした。
「まあ、それはいいとして……バイロン、二ノ妃の情報が欲しい。こまかいことも含めて」
マーベリックはそう言うと何事もなかったかのようにしてたちがあがった。
「来週の報告、楽しみにしている」
マーベリックはそう言うとバイロンを細い目で見た。
「お前も疲れているようだが、宮中のことはこちらでは手が出ない、何とか自分で立ち回ってくれ……」
マーベリックはアリーの嫌がらせについて知っているそぶりを見せたが、特にそこには触れず、人ごみの中に消えていった。
バイロンはその後ろ姿を見て何やら感づいた。
『自分でやれってことね』
バイロンはマーベリックの後ろ姿がそう語っているように見えた。一方でマーベリックの話の内容から別のことにも気づいていた。
『マルス様の件で……何かあるみたいね……』
既にメイドの待機所でも色々な噂を耳にしていたバイロンであったが、帝位を巡る諍いが本格化して生きていることにきづかされた。
『二ノ妃様にも疑いがあるのか……』
バイロンは3公爵が本命だと思っていたため、二ノ妃にも嫌疑かかり始めたことに唇を噛んだ。
『この国……やばいんじゃないの……』
16歳の娘は前途多難な未来がダリスの都に訪れていることを感じた。