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第二話

枢密院で議論が行われた結果、マルスの死は一般民衆には知らされず次の帝位につく者が決まってからその通達がなされることになった。民衆に貴族政治の混乱を見せないためである。


 だが、不思議とそうした情報は漏れるもので、ダリスの都ではマルスの死に関してのうわさが飛び交っていた。


『あのバカ坊ちゃん死んだのか?』


『なんでもキツネ狩りで落馬したって』


『おれは崖から落ちたって聞いたぞ』


『そうなのか……』


 貴族政治に関心のない民衆であったが、次の帝が死んだという噂はさすがに聞き捨てならないもので、又聞きした話に自分の意見を添えて口ぐちに言い合った。


『白痴だっだろ、マルスの坊ちゃん……ひょっとして殺されたんじゃないの……』


『いや実はさ、俺もそう思ったんだよ、貴族の奴らってずる賢いだろ、ほんとは毒でももってさあ、ヤっちゃったんじゃないの』


無責任な会話ではあるが民衆は酒を飲む格好のネタとして酒場で花を咲かせた。


『もしそうなら……誰がやったんだろうな……』


『そりゃ、帝位を継ぐ奴らだろ……』


『昔さあ……二ノ妃のお子様が病気で死んだとき、三ノ妃が毒を持ったって噂がながれたろ……ひょっとしてその復讐じゃねぇの』


烏帽子をかぶりビールを煽った男がそう言うと他の連中も小さく頷いた。


『女の恨みは、怖いからな……ありえるよな』


『でも二の妃様は、皇位継承権がないだろ、トネリアから輿入れだから……やっぱり3公爵のほうが怪しいんじゃねぇの』


禿げ上がった職人風の男がそう言うとカウンターで飲んでいた連中は再び同意する顔を見せた。


『そうだよな……そっちかもしれねぇなあ……』


妙に不穏な雰囲気が酒場を覆いだした。


『今回の事故が本当は暗殺だったら……やばいよな……』


先ほどの烏帽子の男がそう言うとカウンターに料理を運んできた恰幅のいい給仕の女が声を上げた。


『でも、あの坊ちゃんだったら、ほんとに落馬して死んだんじゃないですかね……見るからにトロそうだったでしょ』


『まあ、それもありうるな……』


無責任な客と店員は口々に自分の意見を述べた。


『だけど、殺されたとなると……次の帝位を巡っての貴族の争いもガチなんじゃねぇのか』


『そうだよな……』


 酒が入って気が大きくなっているとはいえ、不透明な政治の混乱が予想できるだけに酒場で飲んでいる連中も徐々に軽口を慎み始めた。


『うちは貴族のお偉いさんの仕事を末端で請け負ってるから……ことのしだいによっちゃ……仕事がなくなるかも……』


 権力の移譲というのは業者にとって大きな意味を持つ。貴族の人事異動があれば今まであった仕事がなくなる可能性があるのだ。


『うちも同じだ……伯爵家の仕事を受けてるから……ひとつ間違えたら……』


先ほどの烏帽子の男がそう言った時である、一番酔っぱらっていた商業者風の男がカウンターの隅で声を上げた。


『大丈夫だよ、一ノ妃様がいるからなんとかなるって!!』


 べろんべろんに酔っぱらった男がそう言うと今まではなしていたの連中は顔を見合わせた。


『そうだよな……世継ぎが決まんなくても一ノ妃様がいるなら取りあえずはいけるよな』


 一ノ妃の存在は民衆にとって一種の重石になっていた。手堅い政策と、安定した言動、諸外国とのやり取り、いづれをとっても大きな間違いがなく安定感抜群の帝であった。


『まあ、一ノ妃様なら、このあともうまくやってくれるだろうし、大丈夫だろ』


 禿た職人がそう言って、新たに猥談を始めると不穏な空気が一変し、酒場に再び活気が戻り始めた。酒場で噂話に興じる彼らの声から不安感から払拭されると再びビールとワインの注文が増えた。


 べろんべろんに酔っぱらった男はそれを見るとアルカ縄で編んだ帽子を目深にかぶり千鳥足になって酒場を出た。


 男はしばらくその足でその辺りをフラフラしていたが、人気がない路地に入ると先ほどの動きとは全く異なる挙動を見せた。


『かなり、噂が飛び交っているな……中にはかなり正確なものもある。』


 酔っ払っていた男は帽子を取り、口ひげをはがした。そこには端正な顔立ちをしながらも爬虫類のごとき目をした男の姿があった。


 男は、なんと、レイドル伯爵の執事、マーベリックであった。マーベリックは乱した髪を手櫛でととのえるとヘビのような目で虚空を見た。


『しかし、一ノ妃様の御威光は衰えていない……この点は安心できる』


 マーベリックは市井にあふれる情報を分析するために変装して夜の酒場を訪れていたのだが、思った以上に早くマルスの死が知られてることに驚きを隠さなかった。


『誰かが情報を流しているな……なぜだ……』


マーベリックはマルスが死んだという知らせを流布した人間がいると考えた。


『マルス様が死んで利益を得るのは三公爵の方々、ないし二ノ妃様。だが二ノ妃様はトネリアの人間だ。皇位継承権はない……となるとやはり三公爵か……』


マーベリックは執事の服装に戻ると思慮深い顔で闇に消えていった。



マルスの葬儀が終わり宮中に日常が戻ったが、三ノ妃の狂らんは変わらずで、その行動は常軌を逸したままであった。


 子を失った悲しみもあるのだろうがそれ以上に権力の座から引きずり降ろされることにすさまじい憤懣を見せ、辺りかまわず怒鳴りちらすと妃とは思えぬ様相を見せた。


 特に三ノ妃に仕えているメイドたちはそのとばっちりをもろに受け、平手で殴られるものや足蹴にされるものが後を絶たなかった。なかにはヒールで踏みつけられ、脇腹を骨折する者さえ現れた。


 第四宮を預かるメイド長マイラは、メイドたちからのクレームを受けたものの『妃』という位を持つ者に意見するだけの力がなく、三ノ妃の凶行をただ見ているだけの状態に陥っていた。


『どうにかならないかしら……』


三ノ妃の行動はマイラにとって深い悩みの種となっていた。


                        *


 一方、その頃、バイロンは相変わらず庭師たちに言い寄られ、毎日のように花束やスイーツといったプレゼント攻撃にさらされていた。


 特にニック(アリーの元彼の庭師)のアタックは猛烈で何とかバイロンを落とさんとあの手この手を使っていた。時には他のメイドを懐柔しバイロンと話す機会を得ようというテクニックさえ用いた。


 だがバイロンは全くニックに興味がなく、にべもない態度を見せていた。いくらイケメンとはいえ『手が速い』軽率な男はタイプではなかったからだ。


『ラッツの方が全然マシ。』


 マーベリックに連れ出された時、体を張ってバイロンを助けようとしたラッツの行為は記憶に新しい。愛嬌のある顔と機転の利くフットワークの軽さ、そして自分を思うラッツの気持ちは都のプレイボーイにはないものがあった。


『男は顔じゃないのよね……』


バイロンはそう思うと同時に別の人物の顔を思い描いた。


『どうしてるかしら……ベアー……』


 舞台で活躍する姿を一番に見てほしかった人物である。だがその機会は一度も現れず、その声さえ聞くことなくポルカを離れてしまった。


『……会いたかったな……』


 同郷のよしみということもあるが、娼館で初めの客としてあらわれ、その窮地を救ってくれたことは記憶のなかに刻み込まれていた。


『……あの時、ベアーが助けてくれなかったら……私どうなってたんだろ……』


 人生の岐路ともいうべき事態に対し、ベアーの行動はバイロンの未来を一変させた。彼女は娼婦という道を選ばずに女優としての一歩を歩むことになったのだ。


『ほんと人生って……わからない……』


バイロンの旧友に対する思いは感謝だけでなく特別な思いにかわりつつあった。


そんな時である、バイロンはラッツの一言を思い出した。


『そう言えば、ラッツが言ってたけど、ベアーって……ロバ飼ってる言ってたわね……』


バイロンはベアーの飼うロバに思いをはせた。


『どんなロバなんだろ……きっと……かわいいロバなんだろうな!』


 ベアーの飼うロバは『かわいい』とは対極的な顔なのだが、自分を助けてくれた人物の飼うロバだけにバイロンは勝手な想像を膨らませた。


『働き者でベアーのことを助けてるんだわ、きっと!』


 実際のロバは娼館で『ニャンニャン』してくるほどの猛者なのだが、それを知らないバイロンは聖人君子に使える従者のような存在としてロバを美化していた。


 想像とは人にとってとても重要なものだが、それは時としてとんだ勘違いを引き起こすものでもある。バイロンの思いは全くもってその通りになっていた。



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