第二十六話
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浮遊アンデットが飛び始めると海賊たちは皆顔を見合わせて不安な表情を浮かべた。不穏な空気が辺りを漂い始めると、海賊たちは右往左往しだした。
そんな時である、その状況をさらに悪化させる声が上がった。
「ヤバイ、やばいよ、アンデット、……マジで死ぬ!!!」
ルナがオルゴールを使ったと判断したベアーはわざとその場の状況を悪化させるように騒ぎ立てた。
「やばいんだって、あのアンデットは長い時間見ていると死んじゃうんだって……亡くなった漁師の日記にそう書いてあったんだ!!」
ベアーはまことしやかに嘘をつくと絶望した表情を見せた。
「俺、死にたくないよ……」
ベアーが涙目になって訴えると海賊たちは悲壮感漂う表情でブラッドを見た。その眼は『何とかしてくれ、お頭!!』と訴えていた。
だがブラッドは呆然としたままその場に立ち尽くした。以前と同じく完璧に雰囲気にのまれていた。その顔は海賊以上の絶望感が浮かんでいる。
ブラッドの態度で海賊たちの恐怖は増大し、事態は悪化した。そしてアンデットの数も続々と増えた。
『よし、うまくいった!!』
ベアーは内心、そう思うと混乱に乗じて船長のもとに駆け寄った。
「船長、大丈夫ですか?」
ベアーが小声でそう言うと船長は小さく頷いた。
「大丈夫です、あのアンデットは幻影です」
ベアーが耳元でそう言うと船長は怪訝な表情を浮かべた。
「カラクリがあるんです、今は僕を信じて!!」
ベアーはそう言うと船長の縄をナイフ(パニックになった海賊が落とした物)で切った。
「恐れなければ問題ありません、さあ、みんなを助けに!」
ベアーはそういうと船長とともに他の船員の救助に向かった。
*
火の粉を浴びた家屋に炎が燃え移るようにして恐怖は伝播した、そしてその恐怖はさらに大きくなりアンデットの幻影をさらに増やしていく。逃げ回る海賊の眼には例のモノが浮かび上がっていた。
ベアーは混乱する海賊を見て航海日誌の一説を思い起こした。
3月8日
『とんでもないことが起こった……リーデル号の探索に向かった仲間が死んでしまった。リーデル号の中に入るや否や……同士討ちをはじめたらしい……生き残ったのは外で待っていた俺だけだ……どうしよう……』
ベアーもその視界にリーデル号をとらえた。
『すごいな……他の人間の恐怖がこっちにまで伝わってくる……』
しらふの状態にもかかわらずリーデル号の幻影を見たベアーは状況が想定外だと思い始めた。
『これ以上、幻影を見続ければ……ただでは済まない……』
そう思ったベアーは救助を船長に任せてルナの所に向かった。
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一方、ルナはそろそろ潮時だと思いオルゴールの蓋を閉じようとしていた。
『これくらいやれば、十分よね』
ルナは『してやったり!』という表情を浮かべるとオルゴールの蓋に手をかけた。
だが、そこで新たな問題が生じた。
「あれ……蓋が……」
開けるときに勢いよく開けすぎ蓋の蝶番が歪んだのである
「……閉まらない……」
ルナはオルゴールのふたを閉めようと躍起になると、もう片方の蝶番が外れた。閉めるどころか完璧に蓋は外れてしまった……
『……嘘……ヤバイ……』
ルナがそう思った時であった、ルナの目にリーデル号が飛び込んできた。そして、それを認知した瞬間に彼女の精神は幻影により侵食された。
*
ベアーは遠目にルナの姿を確認したが、その行動は明らかに正常でなかった。フラフラとして落ち着きがない。幻影の持つ魔力が明らかにルナを犯していた。
「何やってんだ、ルナ!!」
ベアーは大声を出したがその声は届かない。
「速く、蓋を閉めるんだ!」
ベアーはそう言うとルナの所に行こうと浜辺を走った。
…だが…その行く手を阻む者が現れた。
それは恐怖に飲まれ常軌を逸した海賊たちとブラッドであった。既に正気を失い、人としての面影はない。
ベアーは直感的に悟った。
「……こいつら、完璧にいかれてる……」
恐怖にのまれた海賊たちはカトラスを手にするとベアーに襲いかかった。それは手帳に記されていたリーデル号の幻影を見た漁師たちと同じ結末をもたらそうとしていた。
「ルナ!!!」
ベアーは一縷の望みを託して大声で叫んだ。
*
ベアーの声を受けたルナは『ハッ…』となり気を取り戻したが、オルゴールの蓋は完璧に外れている……
「どうしよう……ベアーが死んじゃう……」
ルナはこの世の終わりといわんばかりの表情を見せた。
「やだよ……まだ新婚プレイやってないよ……」
ルナが涙目になってそう言うと隣でその様子を見ていたロバがフッとため息をついた。そして顎を使ってとオルゴールを『地面に置け』と指示した。
「それで、ふたが閉まるわけ?」
ルナが不安な声でそう言うとロバは足を上げた。
……そして……バキッと言う音が浜辺に響いた。
「あっ、そういうこと……」
ルナがそう言うや否や、その場を覆っていた幻影が霧散しはじめた。リーデル号は霞のようになるとその姿を徐々に消していった。
ルナはその状況にホッと胸をなでおろした。
『やっぱり魔導器は危ないわ……人の手には負えない……』
浜辺には修復不可能になったオルゴールの残骸が哀しげに残された。
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幻影が消えるとベアーを襲っていた海賊たちはその場にヘナヘナと座り込んだ。そして夢遊病者のような顔つきでぶつぶつ言い始めた。甚だしい精神的ショックを受けた結果がありありと窺えた。
『幻影を観すぎて……おかしくなってるんだ……治療が必要だろうな……』
だが、ベアーはそれに横目に一人の男の前に向かった。
*
ベアーはその男に近寄ると何とも言えない表情を浮かべた。
『無理だ……助からない』
髭デブのマットであった、すでにその顔には死相が現れ、回復魔法(初級)で何とかなる状況ではなかった。ベアーが声をかけるとマットがかすれた声を発した。
「悪いが……起こしてくれないか……」
言われたベアーはマットの上体を引っ張るようにして起こした。
「……すまん……」
マットがそう言うとベアーは声をかけた。
「あなたのおかげで事態が変化しました、ありがとうございます。」
ベアーがそう言うといつの間にかやってきたルナが隣に立った。
それを見たマットは懐から何やら取り出した。
「悪かったな、嬢ちゃん……」
かすれる声でそう言うとマットはポシェットをルナに返した。
「仲間を救助しているときに……中身は全部、海に落しちまったんだ……」
マットがそう言うとルナは一瞬ふくれっ面をみせたが、すぐに状況を察してマットの謝罪を受け入れる態度を取った。ベアーはそれを見るとマットに話かけた。
「そんなこと気にしなくていいんです……あなたの行為がなければ今の僕たちはなかったんですから」
ベアーがそう言うとマットは力なく笑った。
「ザマァねぇ、最後だよ……」
それに対しベアーは穏やかな表情で答えた。
「自害という行為は僧侶としては許せませんが……あなたの行いは海の男としては誇れるものだと思います。」
僧侶の教えの中には自分の命を絶つことに対する戒めがある。だが修羅場で見せたマットの行為の中に人としての矜持を見たベアーはその戒め以上のものを感じとっていた。
「あなたの行為は僕たちだけじゃなく、ケセラセラ号の船員の命を救いました。」
「義理を返しただけだ……」
「そんなことは、ありません。十分すぎるほど立派です。」
ベアーがそう言うとマットは嬉しそうな表情を浮かべた。
「よせやい、褒めるのは……」
だが、その言葉と同時にマットは血反吐を吐いた。
「どうやら……死神が呼んでるようだ……」
マットはそういうと不安な表情でベアーを見た。
「俺は……天国に…いけるかな……」
マットが息も絶え絶えにそう言うとベアーはその手を取った。
「わかりません、ですが……過ちに気付いた者には手が差し伸べられると言われています。」
暴虐の限りを尽くしてきた人間が天国に行けるかといえばそれは否であろう。海賊行為を生業に人を傷つけてきたマットがそう簡単に安息の地へと向かるとは思えなかった。だがベアーは海の男としてケジメつけたマットに『救い』があってほしいとおもった。
「長き旅の後にあなたの魂は必ずや、やすらぎの場所へと導かれるはずです。」
ベアーは願いこめてそう言うと、マットはかすれた声をこぼした。
「…あ…り…がとう……」
髭デブ、マットの最後の言葉であった。