第二十話
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一方、海賊たちも混乱していた。ケセラセラ号という獲物を捕らえ、勝利の雄たけびをあげていたのも束の間、幽霊船に遭遇するや否や一転して死の淵に追いやれたからだ。想定外の事態はデッキの上を狂乱状態に変え、その矛先は海賊の頭へと向いた。
「どうするんだよ、お頭、こんな話聞いてねぇぜ!!」
スタイリッシュ海賊からどんくさい海賊に成り変わった連中はブラッドに詰め寄り始めた。
「こんな予定きいてねぇぞ、何で幽霊船なんか出るんだ!!」
海賊の1人がそう言うともう一人がまくしたてた。
「安い金(給料)でこんなリスクなんか負えるかよ、あんた責任とってくれよ!!」
そう言うと他の海賊たちも声を上げ始めた。
「あんたが、東に航路を向けろとか言うからこうなったんだ!!」
「そうだ、あんたの判断ミスだ!!」
もともと海賊にしかなれないような連中のため、その精神には忍耐という文字はない。口々にブラッドを糾弾する言葉を投げかけた。
だが、ブラッドも相当困っているようで返答に窮していた、その顔色は悪い……
それを見た海賊たちはさらに不安を募らせた。
「どうするんだよ、お頭!!」
バンダナを巻いた一人の海賊が詰め寄った、すでに精神の限界を超えているのだろう。恐怖、怒り、絶望、すべてが絡み合った表情でまくしたてた。
「何とかしてくれよ、話しが違うだろ!!」
ベアーは激高する男を横目に見ていたが、極限状況に追い込まれた人間の見せる姿に何とも言えないやるせなさを感じた。
『ダーマスの詰所で見た治安維持官の姿も酷かったけど……これはそれを輪にかけて酷いな……』
幽霊船リーデル号の存在に恐れを抱くのは当然であろう、だがパニックになったところで現状が改善するわけではない。何か策を練るべく知恵を絞るのが筋である……だがブラッドを責める海賊たちにはそんな様子は見られなかった。
ベアーはその様子を見ていて祖父の言ったことを思い出した。
『人間は弱いものだ、大きな流れの前ではそれに流されるほかないだろう、まして未知の事象に対しては……だがその弱さは制御することができる。学ぶこと、経験すること、人の話に耳を傾けること……そうしたことを通して成長すれば、たとえ未知のものであっても必要以上に恐れることはなくなる。』
ベアーは『恐れ』のもたらす影響が人の思考を混濁させることを祖父の口から何度となく聞いていたが目の前で展開している事態は想像以上であった。
『恐怖に飲まれた人間は人としてのタガが外れ、倫理も道徳も失う。そして最後は道を外して畜生道に落ちる……気付いた時には鬼畜にも劣る存在に変わっているんじゃよ……』
ベアーは逆上する海賊の姿を見て祖父の言葉の意味をリアルに体感した。
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そんな時である、閉ざされた視界が急に開けた。なんと海賊船とケセラセラ号を覆っていた浮遊アンデットが突然消えたのである。
その場にいた全員は何が起こったかわからず呆然とした。
『一体、どうしたんだ……』
皆がそう思った時である、一人だけ平常心を保っていた人間が冷静な声をあげた。
「取舵、一杯!!」
船長の怒号とおもえる声が飛ぶとケセラセラ号の操舵手が舵に向かって走り、船長の指示通りに舵を左に切った。
「何かにつかまれ!!」
今まで以上の大声で船長が叫ぶとベアーとルナは近くにあったマストにしがみついた。
*
その後、起こった急転直下の事態は想像を絶する展開になった。なんと今までケセラセラ号と海賊船を曳航していたリーデル号が霧の様にして消失し、その代りに大きな岩礁が現れたのである。
小さな島とも思える岩礁群は海賊船とケセラセラ号の行く手を阻んだ。幽霊船がいなくなったことで一安心と思いきや、まったくその反対の事態、否、生命にかかわる危機が生じたのである。
海賊船の操舵手はうごくようになった舵に手をかけ、何とか岩礁を避けようとした。
……だがその思いは届かなかった……海面下にあった硬い岩礁の一部が船底を襲ったのである。
「ヤバイ……」
操舵手の悲痛な声が轟いた。
海賊船の船底には亀裂が入り、そこから浸水し始めた。
「嫌だ、死にたくない!!」
海賊たちの悲痛な声が辺りに木霊した。
*
ベアーは沈みゆく海賊船のクルーを見て震え上がった。
「どうなってんだ……」
一方、船長はそれを見るとケセラセラ号のデッキにいた海賊たちに声をかけた。
「助けなくていいのか?」
ブラッド及びその配下はまさかの事態に言葉をなくし沈黙したまま立ち尽くしていた。
船長はその様子を見るとすさまじい形相で一喝した。
「海の男なら救助するのが当たり前だろ!!!」
船長はそう言うとブラッドに近寄りその頬を拳で殴った。
「お前の配下だ、しっかりしろ!」
船長の剣幕に気圧されたブラッドはオドオドし始めた。状況をコントロールする能力がないのだろう、その顔は不安げで海賊の頭には思えなかった。
船長はそんなブラッドをよそにケセラセラ号のクルーに救助のための浮き輪と、錘のついたロープを持ってくるように命じた。
クルーたちは船長の号令のもとすぐさま救助活動を開始した。
*
ベアーは船長及びクルーたちの救助活動を見ていたが、その迅速な動きと無駄のない行動に舌を巻いた。
しかし、それ以上に驚いたのは自分たちを殺そうとした海賊たちを救助するというその姿勢であった。
『すごいな……普通なら見捨てても……おかしくないのに……』
ベアーがそう思った時である、同じことを思っていたルナが船長に向かってツカツカと歩いて行った。
「船長さん、どうしてこんなやつらを助けるんですか?」
ルナが不愉快にそう言うと船長はルナを見た。
「海難事故の時はどんな人間でも助けるもんだ。それが海の男のルールだ!!」
船長の顔に迷いはない、たとえ海賊であろうと手抜きをする様子は微塵も感じられなかった。ルナはその様子に圧倒された。
「命のやり取りをした人間ってのは、どんなクズでも多少はまともになるもんだ。特にこういう修羅場じゃな」
船長は自分の経験談からそう言うと突っ立っている海賊に向かって声を上げた。
「速く、手伝え、バカ野郎!!!」
怒鳴られた海賊たちは一瞬にして縮み上がった。
修羅場で見せる船長の姿はまるで竜神が降臨したかのような輝きを放っていた。
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救助活動はうまくいった。浮き輪やロープにしがみついた海賊たちはケセラセラ号のクルーと船上にいた海賊の手で甲板に引き上げられた。
ホッと一息といっていいだろう、誰一人として死ぬことなくこの事態対応できたのは奇跡に近かった。
だがその中でそれを『良し』としないものがいた。
その人物は救助が終わるや否や態度を豹変させた、そして船長に向かってカトラスを向けた。
「よくもコケにしてくれたな!」
ブラッドであった。危機的状況で面子を潰され、無能な側面を晒した海賊の頭は逆上して船長に刃を向けた。
「これから、この船は俺たちのモノだ」
ブラッドはそう言うと配下の海賊たちに目配せした。
「全員、海に放り込め!!」
海賊の頭らしくブラッドは雄々しく言い放った。
だが……誰もその指示に従う様子を見せなかった。下を見てうつむいたまま立ち尽くした。
船長はそれを見るとブラッドに言った。
「生き死にのかかった状態でまともな指示もせず、自分の配下が海に飲まれても呆然としていた人間の言うことを聞くと思うか?」
船長は厳かな口調で続けた。
「海賊船であろうと自分の配下の命を守るのが船長の務めだ、仲間を見すてるとは、笑止千万、恥を知れ!!」
船長がブラッドを一喝した。
だがブラッドはそれに対しさらに逆上した。犯罪者的な思考からこの状況下で引いたら自分のメンツが完璧につぶされると思ったのだろう、ブラッドは暴力で事態を収拾するという単純な策を行使した。
「ごちゃごちゃ、うるせぇんだよ、そんなが綺麗言が通用するか!」
そう言うとブラッドはカトラスを振りかぶり船長に向けて一刀を振りおろそうとした。
『マズイ……』
ベアーはカトラスの描く軌跡を見て最悪の事態を覚悟した。