第十九話
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それから5時間ほどであろう、真夜中になった時である。ドタンという大きな音を立てて貨物室のドアが開いた。あまりに異様な状態にケセラセラ号の船員たちはみな目を覚ました。
中に入ってきたのはスタイリッシュ海賊の一味であった。だがその顔は明らかに尋常ではなかった、青ざめているだけでなく異様な汗を拭きだしていた。
「船長、来てくれ!!」
海賊として今までケセラセラ号の乗組員を嬲っていた連中が血相を変えて船長に頼み込んだ。
「やばいんだ……やばいんだよ」
そう言うとスタイリッシュ海賊の1人はその場に座り込んだ。
船長はその様子から何かが生じたことを察知すると一味の1人に話しかけた。
「何があったか話してみろ」
船長がそう言うと一味の1人は口を開いた。
「巡視船をかわすために航路を西に取ったんだ、そしたら、アレが出たんだよ……アレが……」
そう言うと男は体をブルブルと震わせた。心底、恐れているようで男の精神状態ははなはだしく乱れている。それ以上はまともな言葉も話せなくなっていた。
船長はそれを見ると貨物室を出てデッキに向かった。
「何だろうね、『アレ』って……」
「わからない……」
ベアーとルナは顔を見合わせると船長の背中を追うことにした。
*
デッキに出ると異様な空気が辺りを包んでいた。
「なんか生暖かいような……寒いような」
ルナがそう言うとベアーも同意した。
「空気が二つあって、それがせめぎ合ってる感じだね……」
ベアーは肌にまとわりつく空気の質感の違いに何か嫌な印象を受けた。
2人は船長のいる操舵室の方に足早に向かうと、その途中、スタイリッシュ海賊の一味が先ほどの男と同様に震えあがっていた。
「ヤバイよ……噂は本当だったんだ……」
午前中の勢いなど微塵もなく、その顔には悲壮感がありありと浮かんでいる。
ベアーは彼らの指差さす方向に目をやった。
『何にも見えないぞ……』
ベアーの視界に暗闇しか映らなかった。だが船員たちは皆、その方向を見て震え上がっている。
『一体、何があるっていうんだ……』
ベアーがそう思った時である、ルナが急に震え出した。
そして……
「あれ、幽霊船よ……」
そう言ったルナの表情はスタイリッシュ海賊と同じく真っ青になっていた。ベアーには見えないがルナにははっきりと見えているようでその様子は尋常ではなかった。
「目の前にあるでしょ、あんたどこに見てんのよ!!」
ルナが発狂寸前の口調でそう言うとベアーの目に何やら乳白色の浮遊物が目に入った。
『これ、アンデットか……』
ベアーは僧侶という職業柄、時に霊魂やそれに近いものを感知することがあるが、今回もどうやらそのたぐいのものであろうか……
『よくわかんねぇな……じいちゃんの言ってた感じとちがう……』
ベアーがそうおもいながら目をこらしていると、操舵室から海賊の頭ブラッドとその配下の髭デブ、そして船長が出てきた。
「マズイ……舵がきかない……」
船長がそう言うとベアーたちを見た。
「このままだと、あの船にぶつかる……」
船長の顔も青ざめていた、今までの様子と明らかに違う。常に冷静沈着であった船長の姿はベアーに衝撃を与えた。
その時である、ベアーの視界に異様に大きい塊が目に入った。その塊はおとぎ話に出てくるような形状であった。
「あっ……これ幽霊船……」
ベアーは目の前にある暗闇そのものが幽霊船であることにやっとのことで気づいた。
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ルナはベアーを見ると大声で叫んだ。
「あんた僧侶なんだから……何とかしなさいよ!!」
『アンデットといえば僧侶!』そんなイメージがあるのだろう、ルナは希望を込めた目でベアーを見た。
一方、舵がきかなくなり半ばパニック状態になっているブラッドと髭デブもルナと同じ目をベアーに向けた。そこにはすでに海賊としての威厳は微塵もない、恐怖に打ち震える子羊のような目になっていた。
「すまないが、ベアー君、お願いできるか?」
船長に言われたベアーはやむを得ないと思い、亡くなった死者の魂をあの世に送るべく祈祷の文言を口にすることにした。
「では、やってみます。」
ベアーはそう言うと祖父が葬儀の時に口にする文言をしずかに語り出した。
『神よ、われらは、亡くなりし御霊のための祈りを捧げ奉る。
この世から去りし魂たちの罪と過ちを赦し給いて
安息の地へと導き給え
大いなる慈悲と広き心で終わりなき命の源に
この者たちの御霊を導きたまえ』
ベアーが祈祷すると周りに集まり出していた乳白色のアンデットはその浮遊している体を震わせた。
『効いてるぞ!』
ベアーはそう確信した。そしてとどめを刺すべく、同じ文言を繰り返した。
浮遊アンデットは小刻みに震えながら徐々に小さなくなって行く……
『よし!』
ベアーが手ごたえを感じてそう思った時である、突如その動きが変わった。
浮遊アンデットはひときわ大きく震えると……その体を二つに咲いて分裂しはじめた。そして分裂した浮遊アンデットは再びもとの大きさに戻った。
それを見たルナがベアーに目を向けた。
「ちょっと、あんた……増えてんジャン……」
ベアーはその状況を見て真顔でつぶやいた。
「効かなかったみたい……」
ベアーが半笑いになってそう言うと、分裂して数をふやした浮遊アンデットは再び動き出した。そして、ケセラセラ号と海賊船を覆うとその視界を完璧にさえぎった。
「どうすんのよ!!!!」
ブチ切れたルナはベアーの首をつかんで思い切り締め上げた。
「やめろ……おれ…が…アンデット……に…なる……」
甲板にいた船員も海賊も僧侶の祈祷が効かないことに慌てふためき、この世のものとは思えぬ悲鳴を上げた。
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この後、幽霊船は衝突する寸前にUターンするとケセラセラ号と海賊船を曳きつれるようにして大海原を前進した。
一難去ったのは良かったが、まったく舵はきかず、如何ともしがたい状態がしばらく続いた。船長は方位磁石を確認したがそれさえも機能しておらず、自分たちの位置さえ認識できなくなっていた。
「どうにもならんな……」
船長は見えない綱手に引きずられるように海を渡る状態を渋い表情で黙視していた。
ケセラセラ号と海賊船は幽霊船の後を金魚のフンのようにして暗い海を進んで行く。ベアーはその様子を目を細めてみた。
『……何か違和感が……』
ベアーの中で妙な感覚が沸きだした。
『……死者の魂……なのかな……』
そんなことを思った時である、どこからともなく現れたロバがベアーのもとにやって来た。相変わらず不細工でふてぶてしい顔はこの状況下でも変わらず、ベアーはその泰然とした態度に目を見張った。
「お前、よくそんなに落ち着いてられるな……」
ベアーがそう言うとロバは幽霊船をチラリと見た。
そして……何事もなかったかのように戻って行った。
ベアーはその姿に不思議なものを感じた。
『動物って……こういう時、めっちゃビビるんじゃないのか……』
ベアーは天変地異や未知の事態が生じたときに動物が異常行動をとると祖父から教えられていた。
『あいつ、何で、あんなに落ち着いてるんだ……』
ベアーはロバのケツを見て思った。
『ひょっとしてニャンニャンか……ニャンニャンの効果なのか……』
ベアーはロバが平常心を保っている理由がニャンニャンではないかとおもった。
*
一方、甲板ではケセラセラ号の老機関士が船長が話をしていた。
「船長、あれですか……リーデル号……ですか」
「ああ、とっつぁん、そうかもしれん……」
リーデル号とは100年前にこの近海で沈没した豪華客船の事である。当時は『モンスターに襲われ沈没した』とか『嵐に巻き込まれた』と噂されたが、実際の所は良くわかっていない。資料や文献も残っておらず人々の間では7不思議のひとつとなっている。
たが、船乗りの間では『リーデル号』という単語は禁忌の言葉になっていた。なぜなら……リーデル号を見たものは誰一人として帰港できないというジンクスがあるからである。
「まさか、本当だとはな……」
船長がそう言うと老機関士も途方に暮れた表情を見せた。だがその後、顔を上げると口を開いた。
「船長、一度、酒場で妙な話を聞いたことがあって……」
老航海士はそう言うとその話を船長にした。
「一人だけリーデル号を見て帰ってきた人間がいるんです……その返ってきた人間の話だとリーデル号には秘密があって、それに気づいた者は助かると……まあ、よもやま話だと思いますが……」
その話を聞いた船長は老航海士を見てフッと笑った。
「こうした時は眉唾の話でも希望が持てればそれでいいんだよ、とっつあん、ありがとう。」
嘘の話の中に希望を見出した船長はそう言うと再び『海の男』としての熱いまなざしを取り戻した。