第十六話
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連れてこられたマークはかなり痛めつけられているようで、誰だかわからないぐらいにまで顔が腫れあがっていた。
『ひどいな……』
ベアーはその姿を見てとりあえず回復魔法(初級)を唱えることにした。ベアーは懐から皮の表紙で覆われた冊子を取り出すと周りの人間に見せた。
「これは魔道書です。これがないと回復魔法は使えませんので」
ベアーは治安維持官たちにそうことわると、マークにその『魔道書』を持つように指示した。
「では、回復魔法を行使します。」
ベアーはそう言いうと妙に重々しい表情でマークを見た。
『……なるほど……そういうことか……』
マークはベアーの表情を読み、魔道書の表紙部分に小さく書かれた脱出計画の文言に気付いた。
*
回復魔法を施し終えると腫れ上がっていたマークの顔はだいぶマシになった。
「では、マークさん……あなたの癒し手の力をここで……」
ベアーがシナリオの最終稿ともいうべきところに行きつき、次の行動を促すとマークはすっくりと立ち上がった。そして腫れの引いた顔でベアーを見た。
「なぜ助ける必要がある?」
「えっ?」
ベアーはシナリオと違うマークの反応に目を点にした。
「汚職した治安維持官たちが梅毒で死ねばまともな治安維持官に入れ替わるかもしれんだろ」
マークはそう言うと治安維持官たちを見回した。
「お前らが死ねば、この街の風通しも良くなるだろう。弱きものにたかり、その日々の糧をかすめ取る連中が減るんだからな!!」
マークがそう言うと治安維持官たちは『ぐぬぬぬ…』という表情を浮かべた。
その時である、梅毒に感染したと勘違いした若い治安維持官が声を上げた。
「何でもする……助かるなら……何でもする。頼む、助けてくれ!!」
若い治安維持官はマークにすがった。
「賄賂を貰った治安維持官を告発しろっていうなら、そうするから。頼む、俺だけは助けてくれ!!」
懇願する若い治安維持官の見せる態度にベアーは何とも言えないものを感じた。
『なんと、さもしい……』
ベアーの目には『自分が助かるならば、他の者はどうでもいい』という若い治安維持官の浅ましさがくっきりと見えていた。
一方、周りにいた治安維持官たちは若い治安維持官にたいして声を上げた。その声色には仲間を売ろうとする姿勢に対する怒りと『告発されてはマズイ』という危機感が詰まっていた。
「何言ってるんだ、お前!」
「犯罪者と取引するのか!」
「お前、仲間を売るのか!!」
様々な声が罵詈雑言となって若い治安維持官を突き刺した。
だが若い治安維持官はその言葉に耳を貸さなかった。死にたくないと考えている者には周りの声など何の意味もなかった。
「俺は悪くないんだ、隊長が全部仕切ってる……女達や客引きからくすねた金は隊長が配分しているんだ……なあ、それを告発するから、助けてくれ!!」
それを聞いたマークは実に不遜な笑みをこぼした、そして隊長の取り巻きに対して声をかけた。
「諸君、助けてほしいなら、正義を成せ! 梅毒の治療をしてほしいなら治安維持官としての本領を見せろ。」
治安維持官達は顔を見合わせた。そこには死病のリスクと上司を告発する後ろめたさを天秤にかけるジレンマが生まれていた。
そんな時であった、ルナが突然、くしゃみをした。意図したものではなく偶然でてしまったものだが……その飛沫は飛び散り、辺りにいた治安維持官達にかかった。
飛沫を浴びた治安維持官達は死病に感染したのではないかという思いに震え上がった。
そして、これが皮切りとなった。
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刺又を持った治安維持官がその矛先を隊長に向けた。
「悪いが、俺は梅毒で死にたくない!」
1人がそう言うと別の治安維持官が隊長に近寄りその腕を固めた。
「俺も死にたくない、あんたを告発して助かるなら、そうする!!」
「お前達、どういうつもりだ!」
中年の隊長はまさかの展開におののいた。
「今まで面倒見てやっただろ!!」
汚職の片棒を担いでいること示唆して隊長は周りの部下を見回した。
「おまえたちに『小遣い』だってやったじゃないか!!』
だが、『死』の恐怖に追い立てられた連中は既に尋常でなくなっていた。次々に寝返ると自分の上司を縛り上げマークの前に突きだした。
*
マークは仁王立ちになって隊長を見た。
「部下に押さえつけられるのはどんな気分だ?」
マークは悪人以上の凶悪な顔で尋ねた。
「歯を食いしばるだけで、答えられないか?」
悔しそうに睨む隊長を見てマークは愉悦に彩られた笑みを見せた。
「まあいい、それよりもお前に一つ尋ねたい。」
マークは隊長にそう言うとその顔を覗き込んだ。
「俺を捕縛するように命じたのはだれた?」
言われた隊長は横を向いた、その顔には『絶対に答えない』という強い意志が感じられた。
「そうか、答えないか……」
マークはそう言うと他の治安維持官たちを見た。
「それなら、先ほどの話はなしだ。」
乾いた口調でマークがそう言うと、先ほどの若い治安維持官が隊長の所にツカツカと進みよった。
「すいません、隊長、僕は死にたくないんで!!」
そう言った若い治安維持官はショートソードの鞘をもつとおもむろに振り上げ隊長の二の腕を打った。
嫌な音がその場に響いた。
『折れたな……』
ベアーは直感的にそう思った。
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腕を折られた隊長は青ざめた顔でマークを見た。
「皆の期待に答えねば、腕では済まんだろう。さあ、どうする?」
鬼畜とも思えるマークの表情には人間性など微塵もなかった。むしろこの状況を愉しんでいるようにさえ見える。
ベアーは思った、
『この人は……やっぱり普通じゃない……』
梅毒というキーワードを使い治安維持官たちに恐怖を与え、一瞬にしてその場の空気を凍らしめるマークの交渉術は並みのものではなかった。
恐怖の矛先をコントロールして治安維持官達の心を操り、隊長の腕を折らせるという行為もマークにとっては計算のうちなのだろう。主導権を握ったマークには僧侶としての倫理観など微塵もなかった。
ベアーはマークの一挙手一動をつぶさに見たがその瞳の中には悪魔がいると確信した。
『この人は助けるべき人じゃない……』
一宿一飯の恩義とはいえこの不遜な存在を助けることは後に問題を引き起こすのではないかとベアーは感じた。
*
マークはその場の主導権を完ぺきに握ると隊長にたいして軽やかに話しかけた。
「さあ、どうする……腕だけではすまなくなるぞ」
若い治安維持官だけでなく、その場にいた連中も隊長に非難の目を向けた。助かりたいと考えている人間には汚職でつながった上司など既に眼中にない。
殺意と思える視線を隊長に向けていた。
ベアーはその様子をつぶさに観察したが、人の心の弱さ、そして汚職でつながった連中の卑しさは目に余るものがあった。
『こんな風になるのか……』
ベアーが人のもつ『心の闇』を垣間見た時であった、それを見透かしたマークがベアーを見た。
「少年よ、これが人だ、これが人なんだよ!!」
マークは高笑いした、そして若い治安維持官を見ると悪魔の微笑をみせた。
それを見た若い治安維持官は隊長に向かって狂気の表情を浮かべた。
ベアーはその眼を見て直感的に『マズイ!!』とおもった。
*
ベアーは隊長に向き直ると大声を出した。
「あなた、このままなら殺されますよ、周りの人間にあなたを味方する者は一人もいません!!」
ベアーは続けた、
「『上』の人間をかばってあなたが死んでも、何も変わらない。指示した高級官僚や貴族たちはあなたの『死』をほくそ笑んでワインを酌み交わすでしょう、それでもいいんですか?」
ベアーに言われた隊長は周りを見廻した後、息をのんだ。
「この先あなたの人生がどうなるかはわかりません、告発されれば茨の道が待っているでしょう……ですが生きていなければ、やり直すことも、振り返ることもできませんよ!!」
ベアーは祖父が説法に使うフレーズを声高に叫んだ。
それを聞いた体長は唇を震わせた。
そして……しばし沈黙した後、隊長はフッと息を吐くいて小さな声をあげた。
「大臣だ、治安大臣から直接、命を受けた……お前を連行しろと、場合によっては殺してもいいと言われた。」
隊長がそう言うとマークは飄々とした態度で切り返した。
「そんなことはわかっている、その『上』がいるだろ?」
「それはわからん……大臣がだれの指示でうごいているかは……」
マークはそれを見ると隊長の顔を見た。
「嘘だったら、どうなるかわかるだろうな?」
マークが駄目押しにそう言うと隊長は力なく首を横に振った。マークはそれを見てフッと笑うと周りを見回した。
「一列に並べ、これより癒し手の力を見せてやる!!」
そう言うとマークは悪魔の微笑を浮かべた。
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マークは手を胸の高さに掲げると口を開いた。
「まずは彼らからだ」
マークはそう言うと奇跡の力を演出した。
ベアー、ルナ、ユリアは顔を見合わせると治ったフリをした。
ルナは『咳が出なくなった』と言い、ユリアは『熱が下がった』と言った。周りの治安維持官はそれを見て息を飲んだ。
「お前たちはこれで大丈夫だ、ここを出てもいいぞ」
マークがそう言うと3人は奇跡の力に感心した表情を浮かべた。
それを見て騙された治安維持官達はマークの前に殺到した。
マークは悪魔的な笑みを浮かべると再び癒し手の力を行使した。
*
癒し手の演出を終えるとマークが口を開いた。
「諸君たちが梅毒にかかることはこれでないと思う。だが魔法の効果が聞き始めるのは2,3日かかる。それまではここを出ないほうがいい。」
治安維持官達は顔を見合わせた。
「今はまだ梅毒を保菌した状態だ。このまま家に戻れば家族に染すかもしれん……特に小さな子供や病を持つ身内がいるならな。」
その時である、マークの言動を不審におもった治安維持官達の1人が声を上げた。
「その子供たちには治ったと言ったぞ……なぜ俺たちはすぐに治らないんだ!!」
治安維持官の男がそう声を上げるとマークが大儀そうに答えた。
「俺を留置所にぶち込んだ連中をそうそう簡単に治すと思うか、手加減して施しているに決まっているだろう、このアホどもが!!」
マークに言われた治安維持官の男は歯がゆそうにマークを見た。
「公衆衛生上の事を考えるなら、ここから出ないほうがいいぞ……善良な街の人間にも感染させる恐れもあるしな」
マークはそう言うと治安維持官達に笑いかけた。
「では、さらばだ!!」
こうしてマークは入り口から堂々と出て行った。