第十五話
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ルナが考案した作戦をシルビアとベアーは精査した。
「どう、私の作戦は?」
ルナが自信たっぷりにそう言うと2人は顔を見合わせた。
「いけるかも……」
シルビアがそう言うとベアーもうなずいた。
「やるだけやってみましょう、この案なら誰も傷つかないし……それにマークさんの奪回もできるかもしれない……」
ベアーが言うとシルビアが眼を輝かせた。その眼の輝きは娼婦のものではなく、純粋な喜びに希望を見出した少女のようであった。
「じゃあ、早速!!」
シルビアはそう言うと準備をするべく宿屋を出ていこうとした。ベアーは立ち上がって小走りに走るシルビアを見たが、その眼にあるものが映った。
『揺れてる……おっぱい……スバラシィ……』
一歩進むごとに揺れる胸にベアーは息をのんだ。
ベアーは横目にルナを見て、その平らな『部分』と比較した。
「何、見てんの、あんた?」
ルナは視線に気付いたようでベアーを細目で見た。
「別に何でもな……」
ベアーが続けようとした時である、時すでに遅く、ルナの平手が呻りを上げていた。
*
こうして3人はルナの作戦を遂行するべく準備を進めた。
「この作戦の成否はあんたの演技にかかってるからね!」
ルナはそう言うと演技指導を始めた。
「いい、お芝居みたいな演技は駄目よ、訥々とした感じでやるの。リアリティーを出さなきゃダメ……妙な感情表現が入ると嘘だってばれちゃうからね!!」
ルナの熱い演技指導にベアーはたじろいだ。
「そんなに、うまくできないよ……」
ベアーがそう言ったが、ルナはルナは聞かなかった。
「もう一回、最初から!!」
ルナはそういうと台本を見ながらベアーのセリフをと感情表現を確認した。
*
それから3時間ほどすると、練習している2人のもとに用意を終えたシルビアがやって来た。
「これでいい?」
シルビアの隣にはロバがいて、その背中にはフードをかぶった人物がのっていた。
ルナはそれを見て頷いた。
「いけるわ、じゃあ、行きましょう!」
ルナはそう言うとベアーとフードの人物とともに治安維持官の詰所に向かった。
*
ダーマスの治安維持官の詰所は街のはずれにあった。詰所にもかかわらずその建物は堅牢な砦のようで、建物を覆う壁には有刺鉄線が張りめぐらされていた。
「でかいな……刑務所みたいだ……」
ベアーはドリトスの寺院にも匹敵するその大きさと刑務所を思わせる無機質な壁に息をのんだ。
そんな時である、シルビアが声を上げた。
「この地下が留置所になっていて……そこにマークがいるはずなの」
シルビアは他の娼婦やポン引き達にマークの居所をつかませていたようで、その表情には自信があった。
「じゃあ、行きましょうか!!」
ルナは気合の入った声を出してベアーとシルビアを鼓舞した。
その様子を見たベアーは驚きを隠さなかった。
『何であんなにやる気があるんだ……確かに命を助けてもらった恩はあるだろうけど……』
ベアーはふとそんなことをおもったがルナはベアーとフードの人物の背中を押すと檄を飛ばしてと詰所の中に入るように指示した。
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夕方の詰所は忙しそうで複数の治安維持官が足しげく行きかっていた。捕まえた容疑者を連行する者、関係者から事情聴取する者、事務作業に従事して山積みの書類に筆を走らせる者、それぞれが自分の仕事に追われていた。
ベアーは受付に行くと早速、留置所にいる容疑者との面会を求めた。
「あの、マークさんという僧侶に合いたいんですが」
メガネをかけた20代の治安維持官はベアーを見ると嘘さんくさげな表情を向けた。
「会えないよ、マークは無理だ」
ベアーはべもない言い方で突き放されると、状況を打開すべく早速行動に移った。ベアーはフードの人物の手を取ると一歩前に進んだ。
「さあ、フードを取って」
ベアーがそう言うとフードをかぶった人物は咳をしながら羽織っていたローブを脱いだ。
その人物の顔を見た瞬間であった、いままで感情のない受付の男の顔色が変わった。
「……何だ……その娘は……」
受付にいた若い眼鏡の治安維持官は声を震わせた。その表情にはありありと恐怖が浮かんでいる
ベアーはそれを見てサラリと答えた。
「彼女は梅毒にかかっています。」
そう言った瞬間である、メガネの治安維持官は大きく目を見開いた。通常、死病にかかった感染者が出歩くことはありえない。厳重に隔離されコントロールされるように法律で定められているからだ。
だが若い治安維持官の目の前には明らかに感染者がいた。
ベアーはフードの人物とともに治安維持官に近寄った。
「僕は解毒の魔法を使って彼女を治療しようとしたんですが……うまくいきませんで……」
ベアーはそう言うと哀しげな表情を浮かべた。
「何とか、彼女を助けてあげたいんです」
ベアーがそう言うと若い治安維持官は体を震わせた。
「何を言ってるんだ、梅毒って死病だぞ、そんなもの治るか!!」
メガネの治安維持官はそう言うとテーブルの下にあったベルを手に取りそれを力いっぱい振った。
*
辺りにベルの値が響くや否や、今までの忙しさが嘘のように静まり、それと同時に緊急事態に対応するべく手の空いた治安維持官たちがやって来た。
「どうしたんだ、一体?」
尋ねたのは昨日の夜、マークを連行した『隊長』であった。
「隊長、梅毒……梅毒の奴らが……」
震えながら受付のメガネがそう言うと隊長と呼ばれた中年の男はフードを取った娘、ユリアの顔を見た。
その顔や腕は梅毒の症状、バラの花びらのような発疹がうっすらと浮かんでいた。
隊長はそれを見て廻りの治安維持官たちに一歩下がるように目配せした。
ベアーはその様子を見ながらルナの考えた作戦を頭の中で整理した。
*
以下は作戦を考えた時のルナとの会話である:
「ユリアっていう子はさあ、マークさんの魔法でもう回復に向かってるんでしょ、それなら私たちが梅毒に感染するリスクはないんじゃない。うまく彼女をつかえばマークさんを留置所から出せると思うわ」
「でも、どうやって?」
ベアーが困惑した表情を浮かべるとルナが続けた。
「ユリアを詰所に連れて行くのよ、まだ治りきってないから病変が皮膚に残ってるはずでしょ、それを見せれば治安維持官の奴らも感染すると思ってチビルでしょ、そこにつけこむわけよ。病気をうまく使えば治安維持官奴らも感染を恐れてマークさんの癒し手としての力を頼るんじゃない?」
ベアーはルナの策に渋い表情を浮かべた。僧侶として職業倫理から後ろめたさを感じたのである。
「そんなことしていいのかな……」
「いいのよ、どうせ袖の下を貰ってる連中なんだから、冷や水をかけてやればいいわ」
「確かに……」
ベアーは昨夜の酒場で治安維持官のやり取りを聞いていたためルナの案も悪くないと思いなおした。
ルナはベアーを見ると自信にあふれた表情で口を開いた。
「名付けて、『なんちゃって梅毒作戦』よ!」
*
こうして『なんちゃって梅毒作戦』を遂行したわけだが、作戦は思いのほかうまく展開した。
ベアーは再び口を開いた。
「この娘の梅毒を治すためには癒し手という特殊な僧侶の力を借りるほかありません、どうかマークさんにお願いしてください」
ベアーはルナに言われた通り、集まってきた治安維持官たちに訥々と語りかけた。そしておもむろに咳をした。
「実は昨日から熱が出るんです……だぶん、ぼくもすでに感染していると思います……どうかマイクさんを……」
ベアーが言い終らぬうちであった、隊長が大声を出した。
「そんなことができるか、こいつらを隔離しろ!!」
だが、ベアーを見た周りの治安維持官たちは感染を恐れて尻込みした。刺股を持った人間でさえ嫌がっている。ベアーとユリアを中心とした場所から距離を取ろうという考えが見て取れた。
「何をやっている、お前達!!」
隊長がそう言った時である、入り口のドアから咳込み居ながらひとりの少女が入ってきた。
顔色が悪く、ゴホゴホと咳をしている。
「おにいちゃん……咳が止まらないの……」
ベアーは少女を見て口を開いた。
「妹です……僕に染った梅毒がきっと妹にも感染したんだ……」
ベアーは悲壮感にあふれる表情を見せた。だが芝居とばれないようにするため声のトーンはわざと落としている。
「皆さんもご存じだとおもいますが、梅毒は体液で感染します。ですから感染者の飛沫も危険かもしれません。ひょっとしたら、もうここにいる方たちにも……感染しているかも」
ベアーがそう言った時である、受付でベアーと話したメガネをかけた治安維持官が発狂した。
「いやだ!!! 死にたくない、俺は結婚したばかりなんだ!!!」
メガネの治安維持官はベアーと話した時、ユリアの飛沫を浴びたと思ったのだろう、メガネをかなぐり捨てると隊長の所に駆けこんだ。
「助けてください……隊長、お願いします。死にたくありません!!!」
涙目になった若い治安維持官は隊長にすがりついた。その様子は『未来が閉ざされる』という思いと、『死』への恐怖で彩られている。
「お願いです……隊長……」
ベアーはそれを見ながら隊長と周りの治安維持官に語りかけた。
「マークさんをお願いします、彼の癒し手の力があれば梅毒でもなんとかなります。手遅れにならないうちに」
ベアーがそう言うと隊長はベアーを見た。
「本当に治るのか……」
隊長は疑心暗鬼の表情を浮かべた。
「間違いありません、彼の癒し手の力は船乗りの間でも噂され、ダリスにも届いています。」
ベアーはまことしやかな嘘をついた。
その確信に満ちたベアーの表情を見た隊長は声を上げた。
「マークを連れて来い!!」
こうして『なんちゃって梅毒作戦』の第一段階は無事に進んだ。ベアーは順調に作戦が進んでいることに手ごたえを感じた。