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第十五話

 狼はベアーの喉もとめがけて飛ぶように向かってきた。すべてがスローモーションのように見える。人が死ぬときは走馬灯のように自分の人生が脳裏に巡るといわれているが、そうでもなさそうである。絶対的な恐怖と絶望に縛られたベアーは身動き一つとれなかった。


 その時である、ベアーの脳裏に少年の顔がふと浮かんだ。何故、浮かんだのはわからない、だが、楽しげに笑う少年の顔がはっきりと浮かんだ。


 その刹那、恐怖に縛られた体が自由を取り戻し、『死んではならないという』感覚が生まれた。それは何とか生き残ろうとする本能と合致し、ベアーの体に熱い血潮を流し込んだ。


 襲ってくる狼の牙がベアーの衣服を切り裂き、肉を喰らおうと執拗に追いかけてくる。狼の鼻をおさえ、なんとか口を開かないように必死になった。だが、脇から別の二頭が襲ってきた。2頭はゆっくり近づくとベアーの顔を見て牙を見せた。


『畜生、駄目か…』


 脇の二頭が同時にベアーの喉笛を噛み切ろうと襲い掛かった、それはベアーの人生の終わりを告げていた。


まさにその瞬間であった、花火のような音と同時に何かが爆発した。


 2頭の狼は悲鳴をあげると一目散に藪の中に入っていった。ベアーに噛み付いていた狼は血だらけになってその場に倒れた、即死である。ベアーは何が起こったかわからなかったが、助かったようだ。


                                *


 辺りを見回すと瓶の破片が飛散していた。どうやら食用油の入ったビンが熱で爆発し、その四散した破片が狼たちを襲ったようだ。偶然とはいえ、なんというタイミング。こんなことがあるとは夢にも思わなかった。


『超ラッキー……』


 そのあとベアーは火を絶やさぬように小枝をくべ、朝まで過ごした。途中、ロバの様子を見たり、辺りの気配を窺ったりしたがどうやら狼は離れていったようだ。


『俺、生きている…傷もないし…』


 狼に襲われ、しりもちをついたときに軽い打撲を負ったが、そんなものはたいしたものではない。ベアーは生きていることに不思議さを感じていた。


                                *

 

 翌日は快晴で、明け方から小鳥の囀る音があちこちの枝から聞こえた。ベアーは荷物をまとめロバの背に乗せるとまた歩き始めた。川辺をくだり、半日進めば丘陵地帯はおわりである。ベアーは足早に進んだ。


 しばらくすると川が見えだした。所々、釣り人も見える。何の魚を釣っているのかわからなかったが、面白いように釣れている人もいれば、全く釣れない人もいた。


「竿があれば、俺もやるんだけどな』


 ベアーがひとりごちた時である、上流のほうから何か箱のようなものが流されてきた。ベアーは気になったので箱を覗こうとした。運よく、箱は岩にぶつかり方向を変えベアーのほうに流れてきた。ベアーが手を伸ばすと指が箱の縁にかかった。


「お~い、その、その箱の魚はわしのだ、返してくれ~」


 独りの老人が血相を変えてベアーのほうに走ってくる。ベアーは自分の物ではないので老人に返そうとおもった。


                                *


走ってきた老人は小柄な亜人で変わった形の耳をしていた。


「すまんな…」


老人は走ってきたので荒い息をしていた。


「どうぞ、これ」


 ベアーは老人に箱を渡すとスタスタと歩みだした。中の魚はめずらしかったがべつに気にもならなかったので箱を返すともとの道に戻ろうとした。


「ちょっと待ってくれ、君」


老人は振り向いたベアーによってきた。


「いやあ、助かった。この魚は伯爵様のところから逃げ出したものなんじゃ。もう見つからんと思っておったから…」


亜人の老いた男は何度も頭を下げた。


「別に、いいですよ、無理して取ったわけじゃないですから。」


「いやいや、それでは困る、ぜひ伯爵様にお目通りしていただかなければ」


そう言うと老人はベアーの手をとった。ベアーは困ったが老人の強い申し入れを断れなかった。



16

伯爵の家はそこから20分ほど丘を上がったところにあった。鬱蒼とした森の中から城のような住まいが現れたときは驚きで声がでなかった。


「でっかい屋敷……」


ベアーがそう言うと老人は手招きした


「こちらへどうぞ、伯爵様をお呼びしますので」


そう言うと老人はベアーを連れて屋敷に入った。


                                *


玄関を抜けるとホールになっていてその奥に2階へと続く階段が見えた。


「すごいですね、いろいろな飾り物…」


ベアーは息を呑んだ。


左右の壁面には甲冑、剣、槍といった武具、防具が置かれ中央の柱には絵画が飾られていた。ベアーがその絵を見ていると老人が説明を加えた。


「こちらの女性はわがルドルフ家の初代当主でございます。」


初代当主といわれた絵画の女性は金髪をカチューシャで束ね、金のネックレスをしていた。美しい女性だが眼光が鋭く厳しい表情で描かれていた。


「伯爵様は二階の書斎にいらっしゃいますので、ついてきて下さい。」


 ベアーが書斎に行くと禿げ上がった紳士が椅子に座っていた。小太りで背は低いが育ちのよさそうな温和な表情を浮かべている。


「君かね、うちのラドーナを捕まえてくれたのは」


「ええ、はい」


「いやいや、助かったよ、あれは都への献上品で、あれが無いと恥をかくところだった。」


中年の紳士はベアーに握手を求めた。


「別に、流れてきた箱を拾っただけで、僕は何も…」


ベアーがそう言うと中年紳士は神妙な表情を浮かべた。


「いや、そんなことは無い。ラドーナは普通の人間や亜人には捕まえることはできない。ラドーナは資質のあるものの所にしか行かないんだ。」


「えっ、どういう意味ですか?」


「ラドーナは魔法魚といわれている。」


これを言ったのは亜人の執事である。さっきからしゃべりたくてうずうずしている様子だった。


「魔法魚ですか?」


「そうです、30年周期でこの辺りに現れる魚ですが、特別な針と竿を用いないと釣ることはできないんです。あの流れた箱も魔女に頼んでわざわざ創ってもらった物なんです。」


「魔道の力を持つものにラドーナは反応するんだ。」


「そんな、魚いるんですか?」


伯爵と執事は同時にうなずいた。


「伯爵様、お食事はどうされます」


「そうだな、君も一緒にどうかね、うちの鱒のフライは美味いぞ」


断ろうとベアーは思ったが腹の虫がなった。抜群のタイミングであった。


「すぐにご用意いたします」


そう言うと執事は書斎を出て行った。


「食事までくつろぐといい、私はここで少し仕事を済ますから」


伯爵がそう言ったのでベアーは部屋を出ることにした。


                             *


 書斎は2階にあるので1階に降りてさっきの甲冑や武器類を見ようと思った。壁にかけてある槍や剣はどれも飾り物のようには見えず、実戦で使えそうなものばかりであった。飾るというよりはいざとなったときのための用意に見えた。中には不思議な形をした杖や、宝石のはめ込まれた杓丈もあった。ベアーが一番気になったのは分厚い本であった。


「魔道書だ」


 本のタイトルに「呪いのかけ方」とかいてある。『呪い』の魔法は中等呪文に分類される。かつて貴族が敵対する相手に使う魔法としてポピュラーだったが、今では使える術者はいないだろう。


「こちらにいらっしゃったのですか、食事ができましたのでどうぞ」


執事に声をかけられベアーはダイニングルームに通された。既に伯爵は席についている。


「ささ、熱いうちに食べようではないか、うちのフライはなかなかだぞ」


 フライだけでなく鱒のカルパッチョやムニエルも用意されていた。ベアーはそれを見て空腹がMAXになるのを感じた。一方、それを見た伯爵はニヤリとするとフライにたっぷりのタルタルソースをかけた。ベアーはそれを見るとつばを飲み込んだ。


「こんなの初めてだ」


 ベアーはタルタルソースが初めてだった。自家製マヨネーズにパセリ、みじん切りにしたピクルス、ゆで卵を混ぜ、隠し味にレモンを絞ったものだが、これほどうまいとは思わなかった。レモンを絞ったことで風味が増し、味がしまっていた。誰が考えたか知らないが天才だと思った。


「うまいだろ、どうかね?」


 ベアーは夢中で食べていたので伯爵の声が聞こえなかった。久々にまともなものを食べたので会話どころではなかった。


伯爵はその姿を見て微笑ましく思った。


「ベアー様、こちらはムニエルでございます。」


 蒸しあげた鱒をさらにソテーして表面の皮をパリッとさせていた。たっぷりとかけられたバターソースには香草が入っていてバターの油脂分をさっぱりとさせていた。


「おいしいです、すごく」


「この時期は鱒が一番うまい時期だ、たっぷり食べたまえ」


ベアーはフライとムニエルをお替りした。その後、さらにカルパッチョを平らげ満足した表情を見せた。


                                *


食事がひと段落すると伯爵がベアーの声をかけた。


「ところで君は何をしているのかね」


ベアーはそれに対して即答した。


「旅です、うちは僧侶の家系なんですが最近の状態だと僧侶を続けるのは厳しいので……」


「転職の旅か、それでドリトスのほうへ」


「はい、ドリトスで僧侶を辞めた後、新しい職を見つけるつもりです。」


「職か……君は何になりたいんだね?」


「一応、貿易商を考えています。」


「ほうほう、貿易商か」


伯爵は感心していた。


「あの、魔道書が飾ってあったんですけど…」


「ああ、あれか、あれは本物だよ、私は本物しか集めない」


ベアーは不思議そうな顔をすると、それを見た亜人の執事が助け舟をだした。


「旦那様は実際の歴史で使われたものを集めるコレクターなんです。当家で飾られたものは美術的な価値よりも歴史的価値に重きをおいた物でございます。」


ベアーはよくわからなかったが、とりあえず感心した表情を浮かべた。


「私の魔道書のコレクション見せてあげよう」


伯爵はそう言うと地下にある書庫にベアーを通した。


                                *


「ここにあるのはマニア垂涎の品々だ。」


「旦那様は知る人ぞ知る、魔道書のコレクターなんです。」


「へえ」


ベアーは昔、魔法関連の品々を集めているコレクターがいると祖父から聞いたことがあったが、ここにそうした人間がいるとは思わなかった。


伯爵は満足そうに自分のコレクションを見せるとご満悦になっていた。そんな時である亜人の執事が伯爵に声をかけた。


「伯爵様、そろそろお時間が」


「そうか、もうそんな時間か、すまんな、用事があって出かけなくてはならない」


「あっ、すいません、僕、もう帰ります。」


「うん、また会おう、もし君が面白い魔道書を見つけたら私のところに知らせてくれ」


 こうしてベアーはルドルフ伯爵の邸宅を後にすることになった。ベアーが執事に案内されてロバのところにいくとロバはあくびをしながらたたずんでいた。


「ラドーナは本当にありがとうございました。おかげで私も首にならずにすみました。」


「いえ、僕は何も…」


亜人の執事は包みを持っていた。


「これは鱒を燻したものです。あぶって食べると大変おいしゅうございます。」


 ベアーは執事に感謝すると包みをもらって屋敷を離れた。亜人の執事が丁寧に頭を下げている姿が印象に残った。


                                 *


 川辺は意外と人が多くにぎやかだった。複数の家族が火をおこしているので暗くなっても狼に襲われる心配もないだろう。ベアーはここで休むことにした。


 ベアーは火を起こすともらった鱒を枝に刺して焼き始めた。燻された保存食だが、水分が抜けうまみだけが残っていた。


「うまいな、これ、昼のやつよりうまいぞ」


 保存食にうまいというイメージがないベアーにとっては目からうろこであった。川魚は生臭いという思いがあったが、塩をして長期保存ができるように燻してある鱒の身はそんなものは全く無く、むしろうまみが凝縮しカルッパチョよりもうまいと思った。麦飯があれば何杯でもいけるだろう。祭りの晩に食べた鯖の半身とどちらがうまいか、甲乙つけがたかった。


『明日の昼にはドリトスにつく。まず行政地区でバイト先を見つけよう』


ベアーは茶を沸かして飲むと火を絶やさぬよう気をつけながら体を休めた。



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