第三話
4
ベアーがいつものように倉庫でラべリングをしているとウィルソンが声をかけてきた。
「ベアー、明後日からトネリアに行くぞ。商品を引き渡して、その後、向こうの積み荷を運ぶ。」
ベアーは顔を上げた。
「マジですか?」
「ああ、ケセラセラ号に乗って行く、3泊4日の予定だ。今日の仕事はさっさと終わらせて旅支度をはじめてしまえ、それから2日目はフリーだから羽を伸ばせるぞ」
ウィルソンがそう言うとベアーは目を大きく見開いた。
「トネリアは飯がいいぞ、ダリスと違うものが食える、それに食後のデザートもあるしな」
「食後のデザート?」
ベアーが不思議な顔を浮かべるとウィルソンはいやらしい視線を送った。どうやら『食後のデザート』には特別な意味があるらしい。
「いい店、紹介してやろう。トネリアのオネェちゃんはダリスと違うぞ」
ウィルソンの意味深な言い方にベアーは強い関心をもった。
「どんな風に違うんですか?」
ベアーがいつになく真摯な口調で尋ねるとウィルソンは大臣のような厳かな口調で答えた。
「トネリアのオネェちゃんは一緒にお風呂に入ってくれるんだ……そして……いろんなところを洗ってくれる……」
そう言うとウイルソンはベアーの顔を直視した。
「そして、最後は……お風呂でニャンニャンだ」
ベアーは『お風呂でニャンニャン』という表現にすさまじいまでの興奮を覚えた。
『初めての経験は……トネリアのお風呂……悪くない!!』
少年の中で血わき肉おどる思いが生じた。
*
ベアーはウィルソンに言われた通り、サクサクと仕事を終わらせると旅支度を始めるために倉庫を出た。
「『お風呂でニャンニャン』か……」
既にベアー脳内はその言葉で一杯であったが、ひとつだけ気になることがあった。
『どうしようかな……ロバ連れて行くかな……』
今回の積み荷は蜂蜜とワインである。両方とも食品のため衛生上の観点からロバを船に乗せることは問題になるかもしれない。
「船の中でも仕事はあるだろうし、面倒見られるわけじゃないしな……」
ケセラセラ号は客船ではない、したがってロバを留め置くスペースがあるかも疑わしい。
『今回はおいていくか』
ベアーはそんなふうにおもった。
*
ベアーは夕食を終えるとジュリア(フォーレ商会の事務員)に渡された書類をロイドに見せた。ロイドは懐から万年筆を出すとその書類にサインした。
身分証明書として使う重要な書類でそこには、
『ベアリスク ライドル 貿易商見習い、フォーレ商会所属』
と記されていた。
ロイドは書き終えるとベアーに声をかけた。
「公用語を使う時が来たな」
ロイドに言われるとベアーは頷いた。
「まだ通じるかどうかわかりませんが」
「そうだな……半分ぐらいは通じるだろう……だが日常会話のスピードには追いつけん。商談はまだ無理だ。まあ、貿易書類は読めるだろうから商品の引き取りは問題ないはずだ」
ロイドはそう言うと書類をベアーにわたした。
「この書類は再発行できないからなくすなよ」
ベアーは渡された書類をしげしげと見ると大きく頷いた。
ベアーは書類を受け取った後、トネリアでの予定確認作業にはいった。
『初日に荷下ろしと……翌日が商談、その後は休み……最終日が荷揚げか……問題ないだろう、ウィソンさんもいるだろうし』
ベアーはそう思うと公用語の単語帳を手に取った。
『おれの会話力……どのくらいいけるんだろうか……』
不安はあったが初めての外国ということで期待の方が大きい、ベアーは高揚した気分で眠りについた。
5
乗船当日、日の出とともにベアーはウインチを使って積み荷を船に運んだ。だが積み荷の木樽に縄がうまく巻きつけられずベアーは想像以上に難儀した。30kg以上ある樽を引き上げるためにはしっかりと緩みなく、なおかつ、すぐに外せるように縛らなければならない。樽のような形態のものに縄を結びつけるのはそれほど簡単ではないのだ。
「これ、どうやって縛るんだ……」
ベアーが悩んでいる時であった、いつもの顔ぶれがやって来た。
「あれ、こまってるの、おにいちゃん~」
甘ったるい声をかけてきたのはルナである、その隣にはロバがいた。
「きっと私たちを置いていこうとするから……そういう目に合うんだよね」
ルナは難儀しているベアーをチラチラ見ながらロバに話しかけた。
ロバはロバでベアーに何とも言えないイヤラシイ視線を浴びせた。置いていこうとしたことに対するあからさまな当てこすりであった。
「いや、別に置いていこうなんて……」
ベアーがしどろもどろになってそう言うとルナがじろりと見た。
「何その言い方、ひょっとしてトネリアに行ったら、イヤラシイお店に行くつもりなんじゃないの~」
見た目10歳、実年齢58歳の魔女はベアーに訝しむ視線を送った。
「そ、そ、そ、そんなこと……ないよ……」
ベアーは白々しい表情を浮かべて否定したが、嘘をつくのが下手なため余計に怪しまれた。
「ちょっと、あんた、何、考えてんの!!」
ルナがベアーに詰め寄ると、ロバは興味津々な表情で二人を見た。ベアーが何とか反論しようとする姿をニヤニヤして眺めている。
『……マズイな……こういう時、どうやって切り返すんだ……』
ベアーがそう思った時である、1人の制服を着た男がやって来た。
*
やって来たのはケセラセラ号の船長、ジャックであった。齢を感じさせない精悍さのある男で50を過ぎても若々しく見える。他の船員とは明らかに違う出で立ちで、かぶっている帽子には金色の帽章がきらめいていた。
「おう、君は確か……倉庫でいた……」
「はい、見習いのベアーです」
ベアーが船長に挨拶するとルナが調子よく続いた。
「妹のルナです、よろしくお願いします。」
「妹さんがいるのか……」
船長はルナを見て微笑んだがそのあと困った顔をした。
「悪いんだが……たとえ家族であっても子供はのせられないんだよ……」
船長がそう言うとルナはそれを見透かしていたように行動に出た。
ルナはロバに向かって何やら合図するとロバは頷き、トコトコと樽に近づきロープを口にくわえた。
「今から私たちが役立つことをお見せします。」
ルナがそう言うや否やロバは口にくわえていたウインチのロープを木樽に結び始めた。前足の蹄を器用に使い、無駄のない動きでウインチのロープを樽に巻きつけると、弛みのある部分を絞り上げた。
「……す、す、すごいな……」
熟練の荷夫のような速さであっという間にロバは木樽をウインチのロープにくくりつけた。
「お兄ちゃんは、こういうのは苦手なんでいつも私とロバがやるんです。」
ルナは平然と嘘をついた。
「まだ、あります!!」
ルナが元気よく続けるとロバはどこからともなくアルカ縄で編んだネットを持ってきた。
「これからお見せするのは真骨頂です」
ルナがそう言うとロバはネットを地面に広げ、その上に4つの樽を転がした。目的の位置(ネットの中央)に樽を運ぶと、ロバは前足と鼻を使って転がしていた樽を立たせた。
その後、ロバはネットの四隅を中央に置いた樽の方にむかって包むようにした。そして最後にネットの重なりあった部分にウインチのフックをひっかけた。
ロバは作業を終えると船長に顔を向けてウインクした。
「……本当に……すごいな……」
積み荷の樽を吊るした時にネット内で安定するように4つを選び、鼻を使って転がした後に樽を立たせ、なおかつネットで包んだ後にフックをかける……
ベアーよりもはるかに優秀であった。
その様子を見た船長はベアーを見て口を開いた。
「ベアー君、君はポルカに残りなさい。このロバと妹さんを連れて行く。」
真顔で船長がそう言うとベアーは目を点にした。
「えっ……」
まさかの展開にベアーはたじろいだ。
それを見た船長は笑ったあとベアーに向き直った。
「冗談だよ」
船長がそう言うと一部始終を見ていたウィルソンが腹をかかえた。
ベアーはバツの悪い表情を浮かべたがルナとロバはそれを尻目に意気揚々と乗船した。
こうしていつものメンツを乗せてケセラセラ号はポルカの港を出発した。