外伝 第九話
22
フラウはイラついていた。鉄砲水の事故の対策会議が長引いたからである。
『速く、懲罰室に行きたいのに……』
既にフラウの頭の中はパトリックのことで一杯になっていた。
『……どんな懲罰を与えようかしら……』
フラウは今までの様々な少年に懲罰を与えてきた、そして自分の思うがままの欲望をぶつけてきた。
『あんな、綺麗な子、二度と手に入らないわ……』
フラウは異様に長い舌で上唇を舐めた。
『少しだけ……味見をしようかしら』
フラウは『休憩』と宣言すると学科棟の会議室を出た。
*
その時である、後ろから声をかけられた。
「館長、お話が」
フラウが振り替えるとピートがいた。
「あとになさい!!」
すでにパトリックの事しか頭にないフラウは怒鳴りつけた。だが看守はそれに怯まなかった。
「そうはいきません、『取り分』の事です。」
フラウはピートを見ると目つきを変えた、その目は守銭奴へと変貌している。
「しょうがないわね、館長室で」
そう言うと二人は石畳の床を歩き出した。
23
看守長の助力により『手紙』を出すことに成功したミッチはその日の深夜になると、パトリックのいる地下室に向かった。
ミッチは職員待機所に人がいないことを確認するとその奥に向かった。一見すると資料室のように見える空間であったがその床の死角には南京錠のついた扉があった。ミッチは『鍵開け』スキルを発揮して鍵を外すと扉の内側に忍び込んだ。
「パトリック……」
ミッチが小声で叫ぶと程なくして反応があった。
「ミッチか?」
パトリックはまさかの展開に驚きを隠さなかった。
*
「逃げよう!!」
ミッチは盗んだカンテラをつけるとそう言った。
だが、パトリックは首を縦に振らなかった。
「ミッチ無理だ、ガンツが動けない。それに逃げるところはこのキャンプにはない」
ブーツキャンプは難攻不落と言わしめたメルト砦を改造して作った収容施設である。北の蛮族の猛攻をものともせず跳ね返した砦の構造は自然の防壁も相まって侵入はおろか脱出も不可能であった。
「たとえ、鉱山に逃げたとしても追手がかかる。すぐに足がつくはずだ。仮に逃げられても食料がもたない。」
ミッチは逆境においても思考によどみのないパトリックにおどろいた。
「それにこの地下室に続くカギを開ける能力があるのはミッチ、お前しかいない。俺たちが逃げれば、すぐにお前の所に看守は駆けつけるだろう」
ミッチの顔は一瞬で青ざめた。
パトリックはその顔を見た後、低い声で尋ねた。
「ところでミッチ、手紙はどうなった?」
言われたミッチは今日の顛末をパトリックに語った。
*
ミッチが一連のことを話すとパトリックはミッチの肩をポンとたたいた。
「よくやってくれた、ありがとう」
ミッチの労をねぎらうとパトリックは頭を下げた。
ガンツはその姿を何ともなしに見ていたが不可思議なものを感じた。
平民と貴族の間にある垣根は絶対的である。相いれることのない身分の違いは『世界が違う』と言って過言でない。だがパトリックが見せた態度にはそうしたものが感じられなかった。
「貴族が平民に頭を下げることもあるんだな」
ガンツがポツリと言うとパトリックはこたえた。
「命のかかった修羅場で平民も貴族もねぇよ、体を張った人間に敬意を払うのは当然だ」
パトリックの言動にガンツは目を瞬かせた。
*
この後、3人の少年(ガンツは少年に見えないが)はこれからの策を練った。
「取引が終われば、俺たちは消される……多分、鉱山の事故で死んだことにされるだろう」
「落盤事故か鉄砲水か……」
「ああ、理由はそんなところだろう。だが、実際には殺される、それは間違いない。」
パトリックはピートが言った『料理』という言葉に殺人の意味があることを見逃さなかった。
「じゃあ、どうするんだよ?」
ミッチが震える声を出すとパトリックは顎に手をやった
「一つ策がある……」
そう言うとパトリックは二人を神妙な表情で見つめ『策』を話し始めた。
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パトリックから説明を受けた二人は如何ともしがたい表情を浮かべた。
「本当にうまくいくのか……それ……」
ガンツは不安な声を上げた。
「わからん、だがその可能性に賭けるしかない。」
パトリックは淡々と言ったがその表情は落ち着いていて朗らかであった。
ガンツはパトリックのその顔を見ると頷いた。
「そうだな、ここでビビッてても、状況が良くなるわけでもないし……下手に逃げてもゲート以外からは外に出られない……」
ガンツがそう言うとミッチも同意した。
「そうだね、チャンスを『待つ』のも一つの選択だね」
ミッチが言った後、パトリックが続いた。
「俺はこの『策』に名をつけたいと思う。」
パトリックは大きく息を吸い込むとその名を発した。
「ケセラセラ大作戦だ!」
『ケセラセラ』とは『なるようになるさ』という意味合いで使う言葉だが、パトリックはこの逆境において『精神的な開放』を意味するその言葉に未来を託して作戦名に用いた。
3人は腹をくくったようで互いの顔を見合わせた。カンテラで照らされた彼らの顔は華々しく、そして勇ましかった。
「よし、誓いをたてよう!」
パトリックはそう言うと手を出した。
「何に誓うんだ?」
ガンツにそう尋ねられたパトリックは真顔で答えた。年頃の少年たちが納得して誓えるのは『アレ』しかない。
パトリックは雄々しく声を張り上げた。
「おっぱいだ!!」
まさかのスーパーイケメンの言葉に二人は唖然とした。この命を懸けた状況下でそんな言葉がでるなんて……だが、その言葉はその場の雰囲気を明るくし、彼らの心を軽くした。
……二人の少年の手は……自然と伸びていた。
男だけしかいないブーツキャンプでは『おっぱい』というひらがな四文字に特別な意味合いがある。猥談で花を咲かせる年代の少年たちには魔法の言葉であった。
パトリックは重なった手を見て続けた。
「俺は巨乳に誓う」
パトリックがそう言うとガンツが続いた。
「なら、俺はヒンヌーだ」
それを見たミッチも声を上げた。
「じゃあ、爆乳でお願いします。」
3人は重ねた手を頭上まで掲げた。
『おっぱいの誓い』
が立てられた瞬間であった。
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ピートにとって誤算だったのはフラウの存在であった。
『欲深すぎる……』
取引を行う上でフラウが手数料を上乗せしてきたのである。
以下はピートとフラウのやり取りである:
『これだけ多くの白金を運ぶとなれば、こちらもリスクを負わなくてはならないわ。取引が大きくなれば看守の中に気付く人間も現れるはず、そうすれば『直訴』するかもしれない。』
『その辺りはあなたが調整することです。手数料は10%で充分だと思いますけど、それにパトリックを『献上』したんですから。』
『駄目よ、彼だけじゃ。これから先、看守を黙らせるためには口止め料が必要になる、それには金目のものがいるわ、最低でも30%はもらわないと』
ゲートを開く看守の配置は館長の専権事項である。フラウはそれを利用してピートに吹っかけていた。
*
フラウとの会話を思いだしたピートはプラン変更も視野に入れた。
『面倒になれば……料理すればいいよな』
ピートの黒い企みはさらに深い闇をまとい始めた。
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『おっぱいの誓い』をたてた3人はそれぞれの役割を完遂するべく個々の活動に移っていた。
ミッチは地下室から出てキャンプ生活に戻り、看守とJ派閥の動きを観察するという役目に従事した。
ガンツは来たるべき時に供えて回復に勤しんだ。腫れあがった左腕と右足はまともに動かすことはできない、休息を取ることがガンツにとっての仕事であった。
一方、パトリックはその時に向けてシュミレーションをしていた。
『あいつは必ず来る……俺を狙って……』
自分を見つめるジットリとした視線の中に強い欲望が潜んでいることをパトリックは気づいていた。
『さあ、来い。……お前が、おれたちにとっての切り札だ』
だがパトリックには不安もあった……手紙の事である。
『おじい様は気づいてくれるだろうか……』
貿易商は商談の中で秘密の手紙を『あぶり出し』を用いて送ることがある。だが身内からの私的な手紙にその手法が使われることはほとんどない。はたしてロイドは『あぶり出し』に気づくのだろうか。
『ケセラセラ大作戦』の成否はそこにすべてが集約されていた。