外伝 第八話
今回は少し長めです。
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パトリックが連行されたのは薄暗い地下室であった。冷たい石床と壁面はところどころ濡れていて苔むしていた。
パトリックは後ろ手に縛られたまま様子を確認したが、すぐに誰かいることに気付いた。
「誰だ?」
パトリックがそう言うと「ううっ……」という声が聞こえた。
パトリックは一瞬でわかった
「ガンツか?」
絞るような声がパトリックの耳に入った。
「…ああ…」
苦しげな声色からパトリックはガンツが痛めつけられていることを看破した。
*
ガンツの状態は芳しくなかった左手と右足の脛が腫れ上がり熱をもっていた。
「なんでこうなったんだ、ガンツ?」
パトリックが尋ねるとガンツは消え入りそうな声で答えた。
「見つけたんだよ、例のもの……」
「白金か?」
「そうだ、鉄砲水が出た所の近くだ。偶然だったが、おかしな岩盤を見つけて……それをどかしたら水脈につながる道が……だが、その後すぐに……」
「捕まったのか……」
「ああ……」
2人の間に重い沈黙が流れた。
「お前は、何でここに?」
ガンツに言われたパトリックは手紙を出したところ拘束されたことを伝えた。
「そうか……」
ガンツはそう言うと苦しそうな息遣いで続けた。
「それで、中には何が書いてあるんだ?」
「この案件の一部始終だ……汚職のスキームと白金、それに関わっている看守たち」
ガンツは声をくぐもらせた。
「検閲されるだろ、本当のことを書いたって意味ないんじゃないのか?」
ガンツの言うことはその通りだった、全ての手紙は検閲される。実際パトリックの手紙は看守長が検閲していた。
だがパトリックは余裕のある表情を見せた。
「あの手紙はあぶり出しで書いてあるんだ」
「あぶり出し?」
「ああ、鉱山でコバルトが出るだろ、あれを使うんだ」
パトリックはコバルトを溶かした水溶液で書いた文字が無色透明であることを話した。
「一見するとわからない、だけど火であぶると字が浮かび上がるんだ」
ガンツは驚きの声を上げた。
「そんな方法があるのか……でも手紙が……届かない限りは……」
ガンツがそう言った時である、入り口と思しきところから光がさした。
*
「やあ、やあ、お2人さん!」
声をかけてきたのはカンテラを持った1人の看守であった。
「お前は……」
2人の前に現れたのはピートであった。
「捕まっちゃったみたいだね……」
ピートがそう言うとガンツが吠えた。
「『直訴』はどうなったんだ!!」
ピートはせせら笑った。
「そんなことするはずないだろ、面倒くさい。」
ピートが大仰に言うとパトリックが睨みつけた。
「病気の子供がいるんだろ、クスリが必要なんじゃないのか!!」
ピートはそれに対し声高に嗤った。
「あれは嘘だよ」
2人はギョッとした表情を見せた。
「病気の子供がいるって言うとね、周りの人間は勘違いするんだよ。俺のことを善良な父親だと勝手におもいこむんだ。ほんとにバカだよね。」
ピートは善人の心理につけこむ戦略を巧みに操り、病気で苦しむ人間を演じることで同情心をかって自分に有利な状況を作り上げていたのだ。
「そうそう、お前のファイルも見たよ。馬鹿な母親をかばって人身売買の片棒を担いだんだってな。」
ピートはそう言うと悪意のこもった目でパトリックを見つめた。
「あのファイルを見たおかげで、俺は一発でわかったよ、親子愛を演出すればこいつは騙せるってな。間違った親子愛でアホな身内を助けるような貴族のアマちゃんじゃ、俺の嘘が見破れるはずねぇだろうしな」
ピートはクスクス笑いながら続けた。
「しかし、パトリック、お前はいいところまで気付いたよな。仲間に引き入れようとした価値はあったよ」
「仲間に引き入れる……?」
ピートの意味の分からない言葉にパトリックは怪訝な表情を見せた。
「まだ、気付かないのか……マイクって誰だと思う?」
パトリックの中でもたげていた疑問が一気に氷解した
「まさか……」
「その、まさかだよ」
なんとマイクをカモフラージュにして少年たちに指示を与えていたのはピートだったのである。一見すると愚鈍に見えるマイクは意図的に『馬鹿』を演じているとパトリックは思っていたが実は違っていたのだ。
「マイクって言うガキはオツムが足りないんだ。リーダーにしてやるって言ったら喜んでホイホイこっちの計画に乗ってきた。」
「砂白金を見つけたのはマイクか?」
パトリックが尋ねるとピートは頷いた。
「いい勘してるね、あいつは地下水宮につながる『道』を見つけて砂白金を拾ってきたんだ。俺はそれをうまく処理するために細目のガキを使いながら立ち回ったんだ」
パトリックはピートの狡猾さと人間性の欠如にほぞを噛んだ。
『クソ、マイクの事にもっと早く気づいていれば……』
パトリックがそう思った時である、ピートがニヤつきながら口を開いた。
「この取引が終わるまでは、ここでお寝んねしてろ、それが終わったら……『料理』してやる」
ピートはそう言うと地下室の出口に向かおうとした。
「そうそう、最後に一言……お前の書いた手紙は届かないからな……看守長が燃やしたぞ……」
ピートは邪知暴虐を完遂した悪魔の表情を見せると乾いた笑いを地下室にまき散らした。
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さて、同じころ――
ミッチは既にパトリックとガンツが拘束されたことを悟っていた。昼食の時間に姿を見せなかったからである。
『やられたんだろうな……パトリックの言った通りだ』
ミッチは昼食を急いでとるとパトリックの部屋に向かった。
『よし、誰もいないな……』
中を確認して忍び込むと机の裏側に手を伸ばした。そこには便箋の入った封筒が張り付けられていた。
ミッチはそれを取るとパトリックの言葉を思い出した。
『ピートが日和って『直訴』がうまくいかない時は、何が起こるかわからない……ミッチ、俺の身に何かあった時はこの手紙を出してくれ。』
パトリックは淡々とした口調で続けた。
『俺が捕まった後なら、この手紙は俺が書いたものとは看守たちも思わないはずだ。そこがチャンスだ、ミッチ頼むぞ』
パトリックは2通の手紙を書き、1通は自分で出しに行き、もう1通は保険としてミッチに託していた。
ミッチはその手紙を懐に忍ばせると看守のいる別棟に向かった。
*
看守たちは昼休みでも事務的な作業に追われ忙しそうにしていた。
「すいません、実家に手紙を出したいんですけど……」
ミッチが嘘をついてそう言うとJ派閥の息のかかった看守が現れた。
「中を検閲する」
その看守は封筒の中の3枚の便箋を細かにチェックして、最後に住所を確認した。
「お前の実家はポルカなのか?」
「はい、爺さんが住んでるんです」
看守は多少、訝しんだがパトリックがすでに拘束された後のため、この手紙がパトリックの記したものだとは思わなかった。
『大丈夫だろ』
看守はそう思うと『検閲済み』のハンコを押した。
ミッチは頭を下げるとその手紙を受け取った。
『よし、うまくいった!!』
ミッチはパトリックの想定通りに事が運んだことに鼻息を荒くした。
*
郵便物を運ぶ業者は週に一度、木曜日の正午にしかやってこない。ミッチは時計を見ると急いでゲートに向かった。
『あれだ!!』
ゲートの前には郵便を託される業者の馬が繋がれていた。
『これを出せば……なんとか……なるはずだ……』
ミッチは全速力で業者のいるところに向かった。
『ああ、良かった……間に合った…』
ミッチの脳裏にパトリックの顔が浮かんだ。
『これで、何とかなるよ、パトリック!!』
ミッチがそう思って安心した時であった、ゲートの脇から一番会いたくない人物が現れた。
「よう、ミッチ、その手に持っているのは、何だ?」
声をかけてきたのは――細目の少年であった。
『待ち伏せ……』
最悪の展開にミッチは声を失った。
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男は数人の少年に暴行を受けるミッチを見ていた。
『あれじゃ無理だな……』
4人の少年がミッチを取り囲むと細目の少年が合図した。少年たちは退路を塞ぐとミッチに掴み掛かり腹部や太ももを狙って攻撃を加えた。急所と思えるところばかりを狙っての攻撃にミッチが苦悶の表情を浮かべた。
その後の一人の少年がミッチを羽交い絞めにすると細目の少年は手紙を取り上げた。
『これで万事休すか……』男はそうおもった。
だが、ミッチは何とか取り返そうと必死にもがくと羽交い絞めにしていた少年に頭突きをかまして逃れた。そして細目の少年に向かって躍り掛かった。
『……友情か……』
罪を犯した少年が仲間のために身を投げ打つ姿は男にとって何とも言えないものがあった。かつての自分にもそんな仲間がいたからだ。
男は再びミッチに目を向けた。
ミッチが手を伸ばすともう少しで手紙に届きそうになった。だが、頭突きをくらった少年がミッチを引き離すと、その顔面に一撃をみまった。
重たい一撃はミッチを吹き飛ばした。赤茶けた地面にミッチは受け身も取れず背中から落ちた。呼吸ができないミッチは咳込んで悶えた。
だがミッチはそれでも立ち上がろうとした。小さな体にムチ打ち、膝をガクガク震わせながら……
男はそれを見ていて心の中にあるわだかまりが解けていくのを感じた。
『俺は一体、何をやっているんだ……』
少年のあがく姿を見た男の頬には自然と熱いものがつたっていた。
*
「てこずらせやがってよ!!」
細目の少年は鼻血を垂らしながら抵抗するミッチを殴りつけた後、見下ろした。
「もうお前らの『負け』は確定してるんだよ!!」
そう言うと細目の少年は手紙に指をかけた。
「残念だったな!」
細目の少年は手紙を破った。そして二度と元通りにできないように、細かくなるまで引き裂いた。
「ざまあみろ、くそが!!!」
細目の少年はそう言うと塵になった手紙を空中に放り投げた。手紙の切れ端は風にのり鉱山の方へと流れていった。
細目の少年とその取り巻きはせせら笑いながらミッチのもとから去った。
*
ミッチは赤茶けた大地に跪き、敗北の味を噛みしめた。それは苦く、そして痛みを伴うものだった。
「クソッ……あとちょっとだったのに……クソっ……」
一縷の望みが絶たれたミッチは申し訳ない気持ちと自分の力のなさに絶望した。日和った自分に希望を与えてくれた友人に何と言い訳すればいいのか……
その時である、ミッチの体を影が覆った。ミッチが顔を上げるとそこには50歳を過ぎた看守が立っていた。
「……笑いに来たんですか……」
ミッチがそう言うと看守の男はミッチに言った。
「立て!!」
ミッチは男をもう一度見た。
「立てと言っている!!」
ミッチは男の剣幕に押されシブシブ立ち上がった。男はそれを見ると強い口調で言葉を発した。
「ついて来い!!」
男はそう言うとゲートの方に向かって歩き出した。ミッチは『一体、何なんだ?』という疑問を持ったがそのままついていった。
*
ゲートにつくと男は郵便を扱う宅配業者に声をかけた。
「これを届けてほしい」
男はそう言うとミッチに郵便物を見せた。
「これは……」
『検閲済み』とハンコの押された封筒には見慣れた文字が書かれていた。
「そうだ、お前の友人が私に託したものだ」
男はそう言うと宅配業者に話しかけた。
「すまないが、この手紙は速達でお願いしたい」
男に言われた宅配業者は頷いた後、手紙を受け取った。そして馬に乗ると鞭をいれた。馬は大きな声でいななくと全速力でゲートを出ていった。
「私ができるのは……これが精一杯だ。」
男はそう言うとその場を離れた。
ミッチは後にこの時のことを自叙伝に以下のように記している。
『どうやら、神様はいるらしい……』
少年の感想は素朴なものであったがその通りであった。