外伝 第六話
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翌日の刑罰作業が終わった後、パトリックの予想は悪い意味で当たった。
「ヤバイよ、ガンツの奴……看守の待機所に向かってる……」
鬼気迫るガンツの様子を見たミッチは青い顔をしていた。
「他の派閥の奴らは?」
「いや、ガンツ1人だけど……」
ミッチがそう言うとパトリックは立ち上がった。
「まだ、いけるかもしれない」
パトリックはそう言うと部屋を飛び出た。
*
看守の待機所は作業棟の一階にあり、刑罰作業の監督が終わると皆そこに集まった。ガンツは外からその様子を覗いたていたがその日の業務を終えて談笑する彼らの姿は昨日の事故などなかったかのように見えた。
『絶対に、許さねぇ……』
監督不行き届きで少年が死んだにもかかわらず、彼らは平然としていた。消耗品の一つがなくなったくらいにしか感じていないのだろう。罪を犯した少年の命などその辺りの石ころと変わりないのである。
『あいつだな……』
ガンツは昨日の事故で逃げ出した看守をめざとく見つけるとその一挙手一動に目をやった。やせ形でどことなく落ち着きのない男は他の看守の話に相槌を打ちながらはにかんだ笑いを見せていた。
『さあ、便所に行け……そこで殺ってやる……』
ガンツは看守が出てくるのを待った。
*
「ピート、娘の具合はどうなんだ?」
看守を束ねる看守長に声をかけられた男は沈んだ表情を見せた。
「マズマズです。」
「そうか、今日は早めに上がっていいぞ、たまには家族との時間を過ごせ」
50代のはげあがった看守長に言われたピートという名の看守は頭を下げるとスゴスゴと退散した。
そのすぐ後であった、別の看守が看守長の所に向かった。
「看守長、昨日の事故、ピートのこと聞きましたか?」
「ああ、事故のことはフラウ館長に報告してある。」
「ピートはハンドベルを鳴らして退避行動を促していません。一人少年が死んでますし……館長は処分するんですか?」
聞かれた看守長は渋い表情を見せた。
「普通ならな……」
看守長の物言いには『処分しない』というニュアンスが含まれていた。尋ねた看守はその顔を見て察したらしく押し黙った。
「館長の息がかかっていれば、俺たちにはどうにもならない……」
看守長はそう言うと同じく沈黙した。
*
ガンツはピートと呼ばれた看守の後をつけた。
『ゲートを出る前にやらないと……』
作業棟に西日があたり、長い影が赤茶けた地面を黒く覆い始めた。
『あそこだ』
ガンツは死角になるだけでなく建造物の影によって見えなくなるポイントを見定めるとピートがそこを通過する時を待った。
『今だ!!』
ガンツは大きな体を小さくして背後から忍び寄るとピートの腕をつかんでねじりあげた。
ピートは何が起こったのか一瞬わからなかったようだがのど元にあてられたガラスの破片を見て状況を理解した。
「こっちに来てもらおうか……看守さん」
ガンツはそう言うと坑道の入り口にピートを連れ出した。
*
「あんた、昨日の事故は覚えてるだろ?」
ガンツが静かな口調で尋ねるとピートは震え上がった。
「頼む……助けてくれ……」
「あいつは15歳で死んだんだ、これから先がまだあるのに……」
ガンツは続けた。
「あんたが、ハンドベルを鳴らしてくれれば、鉄砲水に巻き込まれなかったかもしれない」
「無理だ……あの状況じゃ……」
ピートは震えながら言った。
「もう手遅れだったんだよ、あの時は」
「嘘をつけ!!」
ガンツはピートの胸倉をつかむと睨み付けた。
「頼む、子供がいるんだ……病気なんだよ……助けてくれ…」
「自分の子供はよくてキャンプのガキは知らんぷりってか!!」
ガンツはブチ切れた。
「俺はそういう人間が一番、嫌いなんだよ」
ピートは鬼気迫るガンツのオーラに本能的な危険を感じた。
「頼む……何でもする、そうだ、取引の事を話そうか……君はJの派閥と敵対しているだろ、奴らの買収のことを話すから……」
ピートはガンツの気を引くようなことを言ってなんとかその場を逃れようとした。だがガンツは聞く耳持たなかった。
「いまさら、遅ぇんだよ!!」
ブチキレたガンツはピートの首をつかんで逃げられないようにするとガラスの破片を振り上げた。
だが振り上げたガンツの腕は突然、動かなくなった。
「止めるんだ、ガンツ!!」
ガンツの背後でその腕をつかんだのはパトリックであった。
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「止めるな、パトリック、これはケジメなんだ。ケジメをつけねぇと死んだ奴が浮かばれねぇ!!」
ガンツは力いっぱい腕を振り回した。だがパトリックは引きずられながらも、その腕を離さなかった。
「お前が、ここで過ちを犯せば、派閥の奴らはどうなるんだ。お前がいなくなれば空中分解するぞ。そうすればJの派閥の奴らの思うつぼだ。」
「うるせぇ!!」
ガンツは激高したがそれでもパトリックはその腕を離さなかった。
「ガンツ、お前がこの看守を殺せば、お前の派閥の奴らは今まで以上に厳しい現場に放り込まれるぞ。そうすれば新たな死人が出る、それでもいいのか!!」
パトリックの言動にガンツはハッと我にかえった。
「ガンツ、矛を収めるんだ!!」
言われたガンツはパトリックの真剣な顔を見た。夕日に映えるスーパーイケメンの表情は形容詞しがたい美しさであった。だがガンツはそれと同時にパトリックの眼の中にある悪逆の片鱗を見逃さなかった。
「クソがぁあああ!!!」
ガンツはガラスの刃を地面につきたてると咆哮した。魂を震わせたガンツの叫びがメルト山脈の山々に轟いた。
*
この後、パトリックはピートを詰問した。興奮冷めやらぬガンツがいつ襲うともわからぬ様子で圧力をかけるとピートはしどろもどろになりながら話し出した。
「俺たちはJ派閥の奴らが鉱山で見つけた『ブツ』を外に運んでいるんだ。キャンプの外にはシンジケートの連中がいて、そいつらに『ブツ』を渡すんだ。奴らはそれを確認すると俺たちに手数料を払うんだ。」
「何を運んでいるんだ?」
「白金だ……坑道の近くに地下水脈があるだろ。その水脈のひとつに砂白金の取れるところがあるんだ。」
パトリックは合点のいった表情を見せた。
『そうか看守買収の原資は白金だったのか……』
パトリックは詰問を続けた。
「その場所はどこだ?」
「それはわからない、マイクしか知らないと思う。」
『なるほど、砂白金の場所は教えないっていうことか……買収されるような看守に話すバカはいないか……』
パトリックはそう思うと次の質問に移った。
「フラウの関与はどうなっている?」
ピートはガンツの圧力に震えながら答えた。
「採掘した白金の一部はフラウ館長が持っていくんだ。シンジケートとの取引を見て見ぬふりをする見返りに……」
「採掘した白金のピンハネだな、なんて、クソ女だ!」
ガンツは再び憤った。
「この取引に関係のないまともな看守はいるのか?」
「ほとんどの看守は知っていると思う、だけど看守長だけは別だ。うすうす感づいてはいるだろうが買収はされてない……」
看守長と聞いてガンツの顔が強張った。
「あの野郎か……」
そうとう痛い目にあわされている口ぶりでガンツは苦い表情を見せた。それを見たパトリックは急激に声のトーンを変えた。
「ピートさん、最後に一つ聞きます。」
パトリックは今までにない厳しい目つきでピートを見た。
「あなたには病気のお子さんがいますね?」
「ああ、そうだ。原因不明の発熱で……学校にも行けない……」
パトリックは試すような目つきでピートを見た。
「お子さんを愛していますか?」
ピートは即答した。
「あっ、あ、当たり前だ!!」
パトリックはその反応を見てゆっくりと口を開いた
「それなら、あなたにチャンスを与えましょう」
パトリックはそう言うと取引を持ちかけた。
*
「このキャンプに蔓延する汚職を告発してください。」
「えっ……」
看守は唖然としてパトリックを見た。
「あなたが『直訴』するんです。」
「そんな……」
ピートは唇を震わせた。そこには恐怖がありありと浮かんでいた。
「直訴してこのキャンプの闇を払ってください、看守が直訴すれば都の査察官も無下にはできません。」
パトリックが言うとピートは首を横に振った。
「無理だ……俺が殺される……」
おびえる表情を見せたピートに向かってパトリックは無感情な口調で続けた。
「それなら、ガンツの刃があなたに突き刺さるだけです。」
ガンツが凄むとピートは絶望感をあらわにした。
「ここで死ぬか、直訴するか選んでください。」
顔面蒼白になったピートにパトリックは微笑んだ、そして今度は口調を変えて話しかけた。
「直訴してくれれば、あなたのお子さんのために『薬』を用意してもいいですよ。」
『薬』と聞いたピートは顔色を変えた。
「うちがフォーレ商会という貿易商を営んでいるのは知っていますね?」
ピートは頷いた。
「うちは貴族ですから通常、平民には手に入らない薬や薬草をトネリアから輸入することができます。あなたのお子さんにあう薬も用意できると思いますよ」
ピートはパトリックを見つめた。その眼には懇願とも切望とも取れる仄かな明かりが見てとれる。
「本当に薬をくれるのか……本当に……」
ピートの表情には病の娘を思う親の心が現れていた。パトリックはそれを見逃さず畳み掛けた。
「『直訴』が受理されればすぐに手紙を書きましょう、おじい様の人脈を使えばあなたの望むものが手にはいるとおもいます。」
パトリックはそう言うと天使の微笑を見せた。
ピートはそれを見て……頷いた。
「さあ、今日はお帰りください。」
ピートはその言葉に促されると夢遊病者のような足取りでゲートの方に向かっていった。
「おまえ、すげぇな……」
ガンツは飴と鞭を使い分け、ピートをコントロールしたパトリックの手腕に驚きを隠なかった。だがそれと同時にパトリックの見せた微笑の中に悪魔がいることも見逃さなかった。
『こいつは……バケモンだ……』
ガンツはパトリックと敵対しなかった自分の選択をいまさらながらに正しいと感じた。