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外伝 第五話

12

翌日、パトリックは自由時間に図書室に向かうと『行政官の心得』という本を読もうとした。『直訴』という項目を調べるためである。


 『直訴』とは行政官の汚職を告発するための制度だが、手続き上は複雑でマニュアルなしではなしえない。パトリックはその内容を把握するために『行政官の心得』をおさめた棚に向かった。


だが、『行政官の心得』はあるべき場所になかった。


 パトリックは図書室に渦巻く作為的な雰囲気を嗅ぎ取ると周りの少年たちに目を向けた。舌打ちする者、ニヤつく者、にらみつける者、少年たちはわかりやすいまでに敵対的な態度を見せていた。


『わざとやっているのか……』


 パトリックは再び、本をおさめた棚に目を向けた。だが、そこには『行政官の心得』だけでなく持ち出し禁止の辞書や事典さえ置かれていなかった。


『こいつら……』


 J派閥とそのいきのかかった看守たちは徹底的なパトリック排除の姿勢を打ち出していた。パトリックの知的探究心を根底から削り取るつもりなのだ。


『これはJ派閥の宣戦布告だな』


パトリックそう思った。


                           *


 その時である、まるで計っていたかのようにして細目の少年が現れた。


「やあ、パトリック、偶然だね」


あからさまにわざとらしい声を出すと少年は空になった本棚の前に立った。


「あれ、辞書も辞典もないね……困ったな……なんでだろう?」


三文芝居の役者が見せるような大仰な動きで少年は本棚を指差した。


「ここにある図書は持ち出し禁止のはずなんだどな……誰かが持っていっちゃったのかな」


 そう言うと細目の少年はパトリックを見た、その顔は陰険かつ邪知深かった。


「どうだい、学ぶことを奪われるのは?」


パトリックが睨み付けると細めの少年は愉快そうに笑った。


「人間はね、10代をどう過ごすかでその先の人生が変わるんだ。この2年間、学ぶことを奪われれば、君の将来はどうなるんだろう?」


細目の少年はほくそ笑んで続けた。


「きっと駄目になっちゃうよね……吸収力のある大事な時期に知識を得られないんだから。成長期が終わると人間の学習能力は急激に落ちるんだ。君がここを出る頃は18歳でしょ、その頃には知識を増やしたり、暗記する力が衰えてるよね。」


少年は確信した物言いで続けた。


「つらいかい、パトリック?」


細目の少年は知識に渇望するパトリックの心を見透かして嘲笑った。


「君に最後のチャンスをあげよう」


細目の少年はそう言うとパトリックに条件を持ちかけた。


                          *


「うちの派閥に入るんだ、マイクもそれを望んでる。」


「断ったら?」


細目の少年は小さな目を大きく見開いた。


「君は行政官に関する調べものをしているよね『直訴』だっけ……マイクはすでにそのことを知っている、もしマイクがフラウ館長に『直訴』のことを話せばどうなるかな?」


パトリックは細目の少年をねめつけた。。


「随分、生意気な眼だね」


少年はそれを見て鼻で嗤った。


「『直訴』のことをフラウ館長が知れば逆鱗に触れるだろうね、監督責任を問われる彼女なら何をするかわからないよ。例えば落盤事故が起こりやすいところに君を配置して事故死に至らしめるなんて……彼女ならやるだろうね」


 細目の少年はパトリックの『直訴』という戦略を先読みし、その戦略が通用しないことを声高に言った。


「うちのボスは君より頭が切れるんだ。さあ、パトリック、膝まづいてマイクに忠誠を誓うんだ!!」


細目の少年は雄々しい声を上げてパトリックに詰め寄った。



 だが、パトリックは屈しなかった。スーパーイケメンは細目の少年を見るとはっきりした口調で言い放った。


「宣戦布告は受け取った、マイクにそう言っておけ」


細目の少年は想定外の回答に口をパクパクさせた。


「なんだと……マイクは容赦しないぞ。看守を使ってお前を追い込むんだぞ!!」


細目の少年は憤ったが、パトリックはにべもない口調で切り返した。


「脅しに屈するほど、俺は落ちぶれてない。」


 パトリックはそう言うと颯爽と踵を返し図書室を出て行った。細目の少年は悪鬼のような表情でその後ろ姿を見送った。


                            *


 図書室を出ると外でやり取りを見ていたミッチがパトリックに声をかけた。


「大丈夫なのか、やばいんじゃないか……」


 さすがのミッチもフラウとJ派閥の両方を敵にするパトリックの戦略に驚きを隠さなかった。


「相手が弓を引いたなら、こちらも撃ち返す。」


「撃ち返すって……おれたちには撃ち返す『矢』がないんだぜ……」


 ミッチは汚職の物的証拠がない状態ではパトリックの言ったことが実現不可能だと思った。


だが、パトリックは飄々と答えた。


「矢がないなら、作ればいい」


「えっ……?」


 ミッチが怪訝な表情を見せるとパトリックは微笑した。端正な顔立ちの少年が見せる微笑みは天上人さえも嘆息させる美しさをはらんでいた


だがミッチはその微笑の中に『あるもの』を見つけていた。


『パトリックの中には……『悪魔』……が棲んでる。』


ミッチの背中は総毛だっていた。



13

翌日であった、ミッチが内勤作業(馬車の車軸研磨)をしていると、けたたましい音が作業棟に響いた。


『事故だ』


ミッチがそう思うと同時にハンドベルを手にした看守が大声を上げた。


「落盤事故だ、救出準備!!」


 キャンプでは大きな事故があった場合、全ての受刑者と看守は事故現場に救助に向かうようになっていた。普通、看守と囚人という間柄では共同作業がうまくいかないと思われがちだが看守を助けた少年には刑期短縮という恩典があるため、救助活動はギクシャクすることなく捗っていた。


 ミッチは作業を手伝いながら坑道から出てくる看守と少年たちの中にパトッリックがいないか確認した。


『あっ、いた……』


ミッチは右足を引きずりながら歩くパトリックを見つけた。


「大丈夫か、パトリック……」


 ミッチがスコップを投げて近寄るとパトリックはミッチに耳打ちした。


「右足の様子を確認するふりをして、作業着の裾に巻き込んだ鉱物を取れ」


ミッチはギョッとした。


 採掘した鉱物の窃盗は重罪になる、ミッチは『懲罰』を恐れてたじろいだ。


「腹をくくれ、ミッチ。奴らは事故の起こりそうな場所にわざと俺たちを配置するはずだ。このままならジリ貧だぞ、最悪、落盤事故で消される!」


ミッチの脳裏に『懲罰』で虐待されたことがちらつきだした。


「マイクたちもフラウも俺たちの弱みに付け込んで道具として活用するだろう。腐った奴らに卑屈に扱われるか、勝負するか、決めるんだ!」


 暗い地下室の中で手足を縛られた後、中年の女に思うがままに嬲られた記憶がミッチの中でよみがえった。『懲罰』という名の虐待はミッチの精神を歪曲させ、人としての尊厳を崩壊させた。


ミッチは震えながらパトリックの顔を見た。


 悪意ある行為を強いているにもかかわらずパトリックの顔は自信にあふれ雄々しかった。スーパーイケメンの放つオーラにミッチは体を震わせた。


「俺……俺……」


 逆境にめげず、リスクを負っても戦うことを決めたパトリックの決断はミッチの日和った心に喝を入れた。


「俺……やるよ」


 ミッチはポツリと言うと早速、作業着の裾に隠してあった拳半分ほどの鉱物を自分の作業衣の内側に隠した。



後にミッチはこの時のことを自叙伝の中で以下のように記している。



『あれが、俺の人生の始まりだった、自分の足で歩き始めたのはあの時からだ』



ゴミのような人生を歩んでいたミッチが変わった瞬間であった。


                           *


 事故の救助が終わり一段落すると、夕食になった。ミッチはパトリックの隣に座ると先ほどの鉱物をそれとなく渡した。


「これ、何なんだ?」


ミッチが小声で尋ねるとパトリックはまずいスープを口にしながら答えた


「コバルトだ、通常は染料として使うんだ。だが今回はこれが武器になる。」


ミッチは何を言っているかわからず首をかしげた。


「武器って……その鉱物が?」


パトリックが頷いた時である、隣のテーブルの少年の話が耳に入ってきた。


「ガンツの派閥のやつが被害者らしい、死んだみたいだ……」


パトリックはその話を聞くや否やコバルトの話を切り上げた。


「行くぞ、ミッチ!」


「行くって……どこへ?」


「ガンツの所だ!」



14

二人がガンツの部屋に行くと、ガンツは青白い顔をして大きな体を震わせていた。悲壮感漂うその姿は形容しがたい雰囲気を醸していた。


「ガンツ、『お悔やみ』を言わせてくれ」


 通常、派閥の人間しか入れないガンツの部屋であったがガンツは二人を通した。


「鉄砲水だ……看守の奴らは想定外だって……」


 鉄砲水とは急激な出水の事である。地下水が岩盤の隙間から一気に流れ出すという現象である。


「まともな指示も与えないで、坑道を掘らせやがって……何が想定外だ」


ガンツは仲間の死に深く胸を痛めていた。


「看守はどうなったんだ?」


「また、逃げやがった……」


ガンツは体を小刻みに震わせた。


重々しい空気が漂う中、3人の間にしばし沈黙が流れた。


                          *


パトリックは立ち上がるとガンツの肩を叩いた。


「気持ちの整理が付いたら、部屋に来てくれ」


そのあとパトリックはガンツの耳元に口を近づけた。



「はやまるなよ!!」



ガンツはパトリックを睨んだ。


「俺は待ってるぞ!」


乾いた声でそう言うとパトリックは部屋を出た。


                            *


ガンツの部屋を出るとミッチが声を上げた。


「ガンツ、まさか、看守を?」


「ああ、殺すだろうな」


ミッチは震えた。


「ヤバイよ、殺しは……」


「わかってる……だが、あいつならケジメを取りに行くだろう……」


 派閥の体面もあるだろうがガンツの一本気な性格からそうするだろうとパトリックはおもった。


「ミッチ、ガンツを見張ってくれるか?」


「わかった」


 かつてガンツに付きまとわれたミッチであったが、こうした状況で一肌脱ぐのは悪くないと思った。ミッチは素早い身のこなしでパトリックから離れた。




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