外伝 第三話
6
その日の午後の刑罰作業は坑道の拡張工事に時間が割り当てられた。カンテラで照らしながら鉱床に沿って坑道を掘り、そこにバリスタの木でつくられた木杭を打ち込み、道を補強しながら少しずつ掘り進める作業である。
パトリックは斜坑(斜めの道)を掘り進める作業に従事した。作業自体は単調な力仕事だが坑道の状態を見極めないと落盤事故が生じるため繊細な部分もあった。この掘削の関する指示はベテランの看守でないとわからないところである。
だが不幸なことにパトリックのいるチームに指示を出しているのは素人に近い看守であった。ベテランの作業看守が風邪をひいて寝込んだためその代わりとして現場の指示にあたっていた。
『大丈夫なのか……こいつ』
まだ20歳代前半で明らかに経験が不足しているが、看守としての横柄で尊大な態度だけは一人前であった。
「さっさと掘り進めろ、ノルマが達成できないと刑期が延びるぞ!!」
いつも似たようなことを言われている少年たちにはほとんど意味をなさない言葉であったが若い看守は警棒を片手にプレッシャーをかけた。
パトリックは横目でその姿を見ながら坑道をゆっくりと掘り進めた、ベテランの看守に指示されたことを念頭に入れて……
*
その時であった、芳しくない事態が生じた。岩盤の隙間から地下水があふれてきたのである。チョロチョロとしか流出していないが、この後のことが予想できないためパトリックはすぐさま看守にそのことを伝えようとした。
「危険です、地下水が……」
だが若い看守は他の少年を説教していてパトリックの報告を無下にした。
『マズイぞ……マジで』
パトリックがそう思った時である、パトリックの隣にいた少年の岩盤が突如、崩れた。
「崩落だ!!!」
それを見た1人の少年が大声を出してそう言うと、一瞬にして皆パニックに陥った。
*
大きな崩落ではなかったが少年たちは我先にと出口に向かった。少年を怒鳴りつけていた看守はそれを見ると危険を知らせるハンドベルもならさず脱兎のごとく持ち場を離れた。
「あのくそ看守……見捨てやがった……」
パトリックは隣にいた少年を見た。
右足を挟まれ動けなくなっていた少年は必死になって抜け出そうとしていた。だが、かるく300kgを越える石塊に膝から下をはさまれどうにもならなくなっていた。
「頼むよ……助けてよ……」
少年は震えながら声を振り絞った。その顔は死への恐怖で満ち満ちている。
パトリックは思案した。
『こんな岩盤、1人じゃ持ち上げられない……』
さらに状況が悪化する事態が生じた。出水しだした部分が少しづつに大きくなり、水の勢いが増し始めたのである。足を挟まれた少年はそれを見て唇をワナワナと震わせた。すでに精神状態は限界を迎えていた。
『このままじゃ、本格的に崩落するかもしれない……そうすれば助からない……だがこの岩盤をどかすことは不可能だ……』
パトリックは思い切って賭けに出た。
7
パトリックが少年をおぶって坑道から出てくると他の少年たちは驚きの表情を見せた。すでに二人は死んだと思っていたのだろう、奇跡の生還にみな歓声を上げた。
一方、バツの悪い表情を見せたのは少年を救助せずに逃げた看守であった。危険を知らせるハンドベルさえ鳴らさず持ち場を離れたことは甚だしい失態であった。
「パトリック!!」
ミッチが嬉しそうに近寄るとパトリックは背負った少年を下ろした。
「足がヤラれてる、手当てを……」
パトリックの指摘通り少年の右足は複雑骨折の様相を呈していた。ミッチはすぐさま少年に肩を貸すと医務室に向かった。
*
その日の晩、パトリックが自室で『頑張って因数分解』を読んでいるとミッチがやってきた。
「命に別状はないけど、あいつ、杖をついての生活になるだろうって……」
ミッチが助けられた少年の状況を伝えるとパトリックは『そうか』と言った。あまりに淡々とした反応のためミッチは不思議に思い、パトリックに気になった質問をぶつけた。
「なあ、パトリック、何で助けたんだ、かなり危ない状況だったんだろ?」
ミッチは他の少年から崩落事故の詳細を聞いていたためパトリックの行動が常軌を逸しているように感じた。出水が始まった状態で救助に当たるのはプロでもしないことである。
「派閥にも興味がないし、他の奴らとも群れないお前が人助けなんて……」
ミッチの眼にはパトリックが孤高の存在として映っていた。そのためU派閥の少年を助けるとは考えていなかった。
「普通なら、逃げるだろうが……あの時は……体が勝手に動いていた……」
実はパトリックも当初、助けるつもりはなかった。前科のある少年を助けた所で自分に利があるとはおもえなかったからだ。だがあの時は思わぬ行動に出ていた。
『あいつの影響だな……』
かつて人身売買の片棒を担がされた時、絶体絶命の状況で身を挺して救ってくれた友人の事をパトリックは思い出した。
『ベアーか……元気にしてるかな……そう言えば、あのロバ……不細工だったな……』
*
そんな思いが浮かんだ時である、突然、部屋の扉が開くと大柄な少年が入ってきた。余り人相の良くない丸刈りの脳筋少年であった。
「お前がパトリックか?」
パトリックは低い声で話しかけてきた少年を見た。身長は175cm、体重は100kg、あまりに筋骨たくましく少年には思えない体格であった。
「ああ、そうだ」
パトリックがそう言うと少年はパトリックに近寄った。盛り上がった筋肉の圧力にパトリックはたじろいだ。
「うちの派閥の人間を助けてくれた礼を言いたい」
少年はそう言うとおもむろにペコリと頭を下げた。パトリックは思わぬ少年の行動に驚いた。
「クソな看守のせいでうちの奴がやられた事は何度もあるが、今回の事故はガチでヤバイやつだった。お前が機転を利かせなければあいつは死んでただろう」
ガチムチの少年は続けた。
「うまいことつるはしを使って、岩盤を割って助けてくれたそうだな。派閥を仕切る人間として感謝させてもらう。」
少年はそう言うと今度はミッチを見た。
「パトリックの顔を立ててお前の勧誘は止める」
ガタイのいいU派閥の少年はそう言うと颯爽と部屋を出て行った。
*
「見たか、パトリック、ガンツのやつが頭を下げたぜ……」
ガンツとはU派閥を仕切る少年である、脳筋たちを束ねる存在でブーツキャンプでその名を知らない者はいない。ミッチはそのガンツがわざわざやって来てパトリックに頭を下げたことに心底驚いていた。
「自分の派閥の人間を助けた礼だろ、義理堅いやつだな……」
パトリックはガンツの態度に小さな驚きを見せた。
『暴力をつかって恐怖で派閥を縛っているのかと思ったが、意外とうまくまとめているのかもな……』
パトリックは自分も含め前科のある少年を人間のクズだと考えていたが、派閥の子分の事故に対して配慮するガンツの姿は悪く映らなかった。
「ここも、いろいろあるんだな……」
パトリックはそうひとりごちた後、ミッチを見た。
「これでもお前に対する嫌がらせも減るだろう、貸し、ひとつだぞ、ミッチ!」
ミッチは目聡いパトリックの言動に口をパクパクさせた。
8
翌日、授業時間内にパトリックは館長に呼び出しを受けた。館長の命を受けた看守は廊下に出てきたパトリックの両腕を後手に縛ると学科棟に隣接する別棟に連れ出した。その様はまさに連行される罪人そのもので、パトリックは自分の姿を自虐的に笑った。
乾いた石畳の廊下をしばらく歩くと金属製の扉が現れた、看守はその前で止まると扉をノックした。
「お入りなさい」
妙に若々しい声が聞こえると看守が扉を開けた。
「館長、連れてまいりました。」
看守がそう言うと窓際にいた女がパトリックの方を向いた。甘栗色の髪を後ろで束ね、紺色の制服に身を包んでいた。女はパトリックの全身をねめつけるように見た。
「昨日の崩落事故に関して話が聞きたいの」
パトリックはジットリとした目で見つめるフラウを真正面から見据えた。値踏みするようなフラウの眼に嫌悪感を持ったが、パトリックはそれを悟られないようにして昨日の事故を報告した。
*
「そう、看守が逃げたのね……」
フラウはさもありなんという顔を見せた。
「ここにはろくでなしの行政官が集まるのよ、私以外はね……」
フラウはほうれい線が目立ち始めた頬に指を当てて続けた。
「崩落した岩が被害者の足に挟まった時、あなたはどうやって助けたの?」
パトリックは少年を救った核心的な質問に対し簡潔に答えた。
「岩盤は岩石のかたまりです。その岩石はできるときに隙間や割れ目ができることがあります。」
パトリックは足を挟まれた少年にかぶさる岩盤に隙間があることを見逃がさなかった。
「それにあの坑道には地下水が流れ込んでいます。硬い岩盤でもその隙間に地下水がしみ込めば硬かった岩盤ももろくなっている可能性がある――僕はそう考えました。」
「それで、あなたは岩盤の隙間につるはしを叩き込んだわけね」
フラウに言われたパトリックは頷いた。
『賢いわ、この子……普通の子じゃない……あの状況下で冷静な判断をするなんて……』
フラウは淡々と説明するパトリックの姿に舌舐めずりした。
『貴族の……坊や……おいしそう……でも、まだ早いわね……もう少し……』
フラウはパトリックを再び見ると真顔に戻り、危険を顧みず怪我をした少年を助けたことをねぎらった。
「今回の行いはあなたの刑期を短くするうえで大きなものなるでしょう」
言われたパトリックは即座に尋ねた。
「どれくらい短くなるんですか?」
「2週間ね」
パトリックはあまりの短さに鼻で嗤った。
「命を懸けてその程度ですか……」
「前科のある少年を助けた所でその程度よ」
フラウは吐き捨てるように言った。
「命の重さは等価とならいましたが?」
「それは学校で教える一番の嘘ね」
フラウは目を細めてニヤついた。パトリックはその表情を見てフラウの人間性を垣間見た。
『最悪の女だな……』
パトリックがそう思うとフラウはそれを見透かしたように言った。
「前科者が私とまともに口を聞こうなんて100年早いのよ!!」
フラウは青筋を立ててそう言うとパトリックに出ていくように言った。パトリックはフラウのジットリとした視線を背中に感じつつ部屋を出た。