第三十四話
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バイロンは再び一ノ妃の世話係として従事することになったが、正直なところそれは重荷であった。メイドとしての経験が浅い状態でダリスの最高権力者に使えるのは精神的にもつらく、常に緊張状態を強いられることになった。
さらにバイロンにはそこに追い打ちをかける事態が待っていた。それはバイロンの美貌に現を抜かす庭師たちのアプローチであった。
「あっ、君、新しく入ったメイドだろ。俺、ジェイクって言うんだ」
「俺はニック」
二人の庭師たちがバイロンに対してラブラブ光線を浴びせてきたのである。第四宮にいる庭師は全部で3人、そのうちの二人が声をかけてきたことになる。
「入ったばかりで、いろいろ困ることがあると思うけど、おれで良ければいつでも相談に乗るからね」
「ジェイクは女にだらしがないから俺の方がいいよ」
ジェイクとニックはバイロン争奪戦をすでに始めているようで二人の雰囲気は火花が散っていた。
『うぜぇ、こいつら……』
バイロンは内心そう思ったが邪険に扱い、後で嫌がらせを受けるのも嫌なので適度な応対を見せた。
「ねぇ、今度さあ、街を案内しようか?」
「俺が、案内するよ、おいしいスイーツの店とか知ってるよ」
適度な距離で付きまとってくる二人はバイロンにとって厄介な存在であった。
「そろそろ、仕事に行くんで……」
バイロンはそう言って切り上げると二人に頭を下げてその場を離れた。
だが女の園といわれる第四宮では庭師に言い寄られたことはすぐさま噂となった。そしてその噂にはおひれはひれがつき、エスカレートして悪意のあるものになっていった。
『新しく入った、あのバイロンとかいう子、ジェイクと馴れ馴れしくしてたわ』
『マジで?』
『確かにあの娘、かわいいけど……手まで速いのね』
『そう言えばニックにも声かけてたわよ?』
『嘘? ニックってアレだよね』
『そうそう、何か……怪しい感じよね』
バイロンの噂は閉鎖された『待機所』という空間では格好のネタとなった。新人であるがゆえ、反論する力がないバイロンはまさにターゲットになっていた。
『中途半端な時期に入って来たでしょ、あの娘』
『ワケアリじゃないの……』
『聞いた話だとレイドル侯爵の愛人らしいわよ』
『そうなんだ……でもあの顔なら、ありそうよね』
女の園で生じた新たな問題はメイドの力学上、新人のバイロンにはいかんともしがたいものであった。
『めんどくせぇなあ……ほんとに……』
女優として暮らしたポルカでは板の上で勝負がついたため、嫌がらせの類は受けなかったが女の園では容赦なかった。
『何なんだ、ここは……』
権力が背景にあるこの世界ではそのやり口も陰湿で、バイロンが立ち回ってどうにかなるものではなかった。罰ゲームとも思える日々の暮らしにバイロンのストレスはたまる一方であった。
『とにかく沈黙しよう……それが一番なはず……』
バイロンは今までの経験から無駄な反論よりも沈黙の方が効果があると考えていた。
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バイロンが一ノ妃のメイドとして仕えるようになって3週間が経った。いまだ緊張感は張りつめたものがあったが、アリーとサラの動きがわかるようになり叱責されることは少なくなった。
だが、時折みせるアリーの厳しい対応は理不尽でバイロンにとっても愉快ではなかった。
「あなたは、動きが遅いの。私とサラさんが無駄な動きをしなくていいようにたち廻らなきゃいけないの!!」
昨日と同じタイミングで同じ動作をしたにもかかわらずアリーはバイロンに厳しくあたった。状況的にも昨日と変わらずあたられる理由はない。
「食器を片づけるタイミングはあなたじゃなくて、私が決めるの。勝手にやらないで!!!」
大したことでもないにかかわらずアリーは怒鳴った。
「アリー、言い過ぎよ!」
そう言ったのはサラであった。
「一ノ妃様がいらっしゃる近くでそのような声を出すのは許されないわ」
サラに言われたアリーは憮然とするとスタスタと昇降機の方に向かった。
サラは大きく息を吐くとバイロンの方に顔を向けた。
「今『待機所』であなたの事が噂になってるでしょ、根も葉もないことかもしれないけど」
言われたバイロンは小さく頷いた。
「あなたは美人だから、他の娘たちには嫉妬の対象として映ってるのよ。おまけに庭師の連中が声をかけてくるでしょ」
「私は庭師に興味ありません」
バイロンはきっぱり言ったがサラは首を振った。
「そう言う問題じゃないの……ほとんど女しかいないここではそうしたことでも噂が立つの……それに」
サラは疲れた表情で口を開いた。
「あなたに言い寄ってきてるニックって……アリーの元彼なのよ」
「えっ?」
バイロンは絶句した。
「あなたのせいじゃないのはわかるけど……意外と複雑なのよ」
そう言うとサラは苦虫を潰したような表情をみせてバイロンに作業に戻るよう指示した。サラがいなくなった廊下に残されたバイロンは不愉快な表情を見せた。
『何なの……一体……』
新人でいびられるだけでなくアリーの色恋の犠牲にまでなりつつあるこの状況は腹立たしいとしか言いようがなかった。
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翌日、一ノ妃が公務に出かけると、バイロンはルーティーンである、部屋の掃除と身の回りの備品の整理を行った。サラが気をきかしてアリーと顔を合わせないようにしたのでバイロンの作業ははかどった。
『よし、中は終わり……あとは廊下ね』
バイロンは廊下を掃除するべく部屋を出た。
「あっ……」
そこにはなんとマルスがいた。
*
「よう、新人!!」
相変わらずのあばた顔でマルスはバイロンを見つめた。
「どうされたんですか……」
「勉強わからんから……抜けてきた」
マルスは相変わらずたどたどしい口調でそう言うと懐からテキストをとりだした。
「これわかるか?」
そこには、単純な因数分解の問題が記されていた。バイロンはそれを見るとマルスに向き直った。
「これ共通の文字と因数で括るんです」
バイロンはそう言うと何問か解いて見せた。
*
「どうですか、マルス様?」
「なんとなく、わかる……」
マルスは仏頂面でこたえたが、ノートには計算式ではなく別のものを描いていた。
『こりゃ、駄目ね……』
ノートには魔法少女の絵が描かれていた。意外に細かい部分も気を使っているようでステッキの先からは星が出ていた。
『………』
マルスはバイロンの顔を見て様子を察すると雄々しい声を出した。
「僕にも得意技はあるんだぞ!!」
マルスはそう言うとバイロンの後ろに回った。
「ケツタッチ!!」
バイロンは読んでいたかのごとくマルスのセクハラ行為をいなした。バイロンに避けられ、つんのめったマルスは無様に転んだ。
マルスは起き上がるとバイロンの顔を見た。
「お前、普通、こういう時は空気を読んで触らせるのが正解の選択だぞ!」
マルスは意外と機転の利いた切り返しを見せた。
『……考える力は……あるわ……みんなが思っているほど……マルス様は……』
バイロンがそう感じた時である、マルスが急に猫なで声を出した。
「一回だけ、お願い……」
マルスは『お願い作戦』に方針転換してバイロンの尻に手を伸ばした。
その時であった、
「マルス様、こちらに!!」
声を上げたのはマルスの家庭教師であった。60歳を超えた老人が廊下を必死に走ってやってくる。
「寄るな、ジジイ!!」
マルスは叫んだが初老の家庭教師はマルスの前に立ちふさがった。
「さあ、戻りましょう!」
首根っこをつかまれたマルスはバイロンに恨めしそうな目を向けて引きずられていった。
下ネタコントを終えたバイロンはマルスの引きずられる姿を見ていたがマルスがそれほど愚かではないのではないかという思いをもった。
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バイロンを取り巻く状況は良くならなかったが、一ノ妃のメイドとしての仕事は最低限こなせるようになっていた。相変わらずアリーはきつくあたってくるが、サラがその間に入ることで何とかバランスを保っていた。
「メイド長にはアリーの事を言っておくわ。場合によってはあなたの方が一ノ妃様のメイドを辞めることになるかもしれないけど……」
サラは困った表情で言ったが、バイロンにとってはそのほうが都合がよかった。一ノ妃の当番として仕えるストレスから解放されるのは悪いことではなかった。
『うまく辞められるといいな……』
バイロンはそんな風に思った。
*
バイロンが待機所に戻ろうとすると、その入り口に花とスイーツ持った男が二人立っていた。
「大変だったでしょ、一ノ妃の当番」
「最高権力者のお世話でしょ、きついよね、精神的に」
声をかけてきたのは庭師のニックとジェイクである。
バイロンは二人に会釈するとそのまま素通りしようとした。
だが、二人はバイロンの行く手に回り込んだ。
「いつもつれないよね……せっかくだからプレゼントだけでも……」
ニックはそう言うとスイーツの入った袋を渡そうとした。
だがバイロンはニックの申し出を何事もないかのようにスルーした。板の上でつちかった身のこなしで体をうまくいれかえると待機所の玄関へと入って行った。
「あの子、いい勘しているよな……」
ジェイクがそう言うとニックが嗤った。
「だから落とし甲斐があるんだろ」
女慣れしたニックの物言いはどことなく邪悪な響きがあった。