第三十三話
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ベアーの作戦は面の割れていないルナにダイナーをのぞいてもらうという単純なものだった。
「トーマスさんを助けるのはやぶさかじゃないわ、脱臼した時に助けてくれたし、それにジャガイモのチーズ焼きも美味しかったから……でも、ただではね……」
そう言うとルナは手を出した。
「報酬ってこと?」
ルナが頷くとベアーは腕を組んだ。
「レモンケーキでどう?」
ルナはかぶりを振った。
「じゃあ……苺タルト……」
ルナは神妙な顔をするとベアーを見た。
「ワンホールね」
「えっ?」
ベアーが『それは高いんじゃないの?』という表情を見せるとルナは反論した。
「あんたもリズさんも顔がばれてる……でも誰かがキックバックの手がかりをそこで見つけなきゃいけないんでしょ……となると、それなりの危険を伴うわ」
危険かどうかはわからないがルナはわざと吹っかけるような口調でいった。
「どうする、ベアー?」
魔法の使えない見た目、10歳の魔女はベアーに悪魔の微笑を見せた。
『しょうがない……』
ベアーは渋ったがやむを得ないと判断した。
「O.K ワンホールで」
交渉成立であった。
こうしてルナを実行犯にした『覗き見大作戦』が敢行されることになった。
*
「しかし、あんたもお人よしよね、相変わらず」
ルナはベアーの義侠心に驚きを隠さなかった。
「ダイナーを覗いても証拠があるとは限らないし……それに寺院の大司教が相手でしょ、勝てる見込みなんてないんじゃない?」
ルナはバーリック牧場の母屋でベアーの話を聞いてから、トーマスを巡る一件が厳しい戦いだと判断していた。
「そうかもしれないけど、同じ僧侶として今の寺院の在り方は許せないんだ、それに人を貶めて自分の身を守ろうとすることは僧侶のやることじゃない!」
ベアーが強い口調でそう言うとルナはため息をついた。
『ほんとに……まだ青いわ……』
血気盛んなベアーの表情を見たルナはそこから『若さ』を感じた。
『でも……そこがいいところなんだけど……』
ルナがそう思った時であるリズとの待ち合わせ場所が見えてきた。
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『覗き見大作戦』は単純であった。ロバの背中に乗ったルナがダイナーの中を覗くという極めて原始的なものであった。
「あなたの場合は顔がばれてないし、容姿が私たちと違って子供だから怪しまれないと思う」
リズはそう言うと変装用の帽子をルナに渡した。
「これをかぶれば男の子に見えるだろうから……」
リズに帽子を渡されるとルナはそれをかぶった。
*
その時であった、ロッジに5人ほどの集団が入っていくのが3人の視界に映った。
「あれよ、あいつら、寺院の連中よ」
リズの言った連中の中にオールバックの男がいることにベアーは気づいた。
「あっ、あの老人……」
ベアーはオールバックの僧侶だけでなく、祝詞を受けようとした時に受付でベアーに話しかけた事務員の僧侶もいることに驚いた。
「大司教の派閥はかなり大きいの、トーマス司教の告発が潰されたのも事務員までその手が廻っているからよ、そうじゃなければあんなにタイミングよく借用書のはなしが処理できるはずがない。」
リズにそう言われたベアーは寺院の闇が深いことに改めて気付かされた。
「すでに羊毛ギルドの奴らが中にいるのは確認できてるわ」
リズはそう言うとルナを見た。
「危ないと思ったらすぐに引き返して、無理は禁物よ」
ルナはリズを見ると黙ってうなずいた。
*
一方、ロバはリズの周りを怪しげな表情で歩き回っていた。
「あなたがうまくやってくれないと、こまるのよ」
リズがそう言うとロバは何とも言えない表情を見せた。困った顔を見せるとリズの注意をひこうとした。
リズはロバに近づくと頭を撫でた。
「トーマス司教を助けるにはあなたの力が必要なの」
ベアーがロバの顔を見るとその額には『ご褒美』と書いてあった。
『あいつ、また……』
ベアーはロバの『病気』が始まったと思った。
リズはそれを察したのだろうか、ロバの額に軽くキスした。
キスされたロバはベアーを見ると顔をほころばせた。
『若い娘、サイコーです!!!』
ロバはそんな表情を浮かべるとルナとともにダイナーに向けて歩き出した。
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ダイナーはロッジ風の造りで丸太を組んで作られていた。窓が多く、風通しのいい造りは貴族の別荘とも思える体相であった。
ルナはロバの手綱を持って歩くと正面から外れ、脇に回った。脇の方には窓があり調理場が見えた。
「こっちじゃ、無理ね……」
ルナはそう思うと反対側に向かった。
「ここいけそうだけど……窓の位置が高い」
ルナはロバを手招きした。
「ちょっと、背中、かしなさい」
ロバは素直に従った。ルナはロバの背中に乗って窓から中を見た。
「ここトイレだな……」
ルナは背伸びをして中をさらに確認しようとした。
「見えないな……もうちょっと……」
ルナが足を窓の淵にかけたその時であった、
「あっ……」
なんと、ルナは体勢を崩し内側に落ちた。
その一部始終を林の陰から見ていたリズとベアーは目を点にした。
「落ちたわよね……今」
「はい」
2人の間に微妙な沈黙が訪れた。
「作戦……失敗ね……」
こうして『覗き見大作戦』は初めの一歩で水泡へと帰した。
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ルナは窓から落ちたものの、運よくブリキのバケツにケツから嵌り怪我なく着地することに成功していた。
『何、ここ、モップとか雑巾とか……』
ルナはトイレの中にある掃除道具をいれるスペースの中に落下していた。
だが同時に新たな問題も生じた。
『………抜けない……』
すっぽりとバケツにケツがはまって、もがいても抜けだすことは不可能だった。
『どうしよう……』
ルナが途方に暮れた時であった、トイレの中に二人の男が入ってきた。男たちはトイレ中を見回し人影がないことを確認しはじめた。
『よかった……こっちには来ないみたい』
男たちは個室の中まで確認していたが、ルナのいる掃除道具をおさめたロッカースペースには注意を払わなかった。
*
「寺院の奴ら、フラフラになってたな……」
「ああ、トーマスの一件でケツに火が付いたんだろ」
男たちは実に愉快そうに話した。
「しかし、マリー姐さん、すげぇよな……大司教も落としたんだろ……」
「ああ、70過ぎて女の味を覚えちまったんだ、あの大司教もフラフラだろうな」
2人の男は下卑た笑い声をあげた。
「あの大司教も羊毛ギルドの長も姉貴のテクニックにメロメロだもんな……」
「そのおかげで、俺たちは大助かりだ……」
「ああ、その通りだ。」
2人の男は笑いながらな会話を続けた。
「だけど、あのフォーレ商会とかいうやつは厄介だな……」
「ああ、牧場の奴らを手なずけやがって……ギルド協会の書類を持ってくれるとはな……」
「舐めやがって……だが都の書類じゃ、こっちも手が出ない……」
「心配すんな、あの書類はあくまで在庫の羊毛だけだ、来年の羊毛については書かれていない。来年の羊毛はギルドで買い取る新しい掟を作っちまえば問題ねぇよ。今だけ我慢すれば、これから先も安定して俺たちが幅を利かせられる。」
ウィルソンの持ってきた書類には今までの羊毛ギルドの掟を凍結する効力はあったが、これから先のことに関しては記されていなかった。つまり羊毛ギルドのマリー兄弟たちはこれから先の羊毛の販売にはあくまで関与するつもりなのだ。
バケツはまって動けないルナはロッカースペースの中で男たちの会話を聞いていたが、あまりのタチの悪さに舌を巻いた。
『こいつら、ガチの悪人だ……』
男たちはさらに会話を続けた。
「だけどよ、マリー姐さんが考えた『付け届け』の方法、すげぇよな……俺びっくりしちゃったよ」
「ああいう悪知恵は姐さんの右に出る奴はいねぇよ」
男たちが言う『付け届け』という単語にルナは目を光らせた。
「まさか、あんな方法でやるなんてな……」
「『木を隠すなら森の中』だっけか、うまいこと考えたよな」
「だけど寺院の奴らも、かなりのワルだよな。あれで宗教者なんだろ……『付け届け』を使って、せん――」
一人の男がつづけようとした時である、ルナのバケツに亀裂が走った。バリっとブリキが割れる音がトイレに響いた。
*
「おい、誰かいるんじゃないのか?」
兄弟は話を聞かれたと思ったのだろう、先ほどまでとは全く違う目つきであたりを見回した。その目は盗人や盗賊のそれであった。
「確認しろ!!」
兄弟は開けっ放しになっている個室を一つ一つ確認しだした。
『マジ、ヤバイ……』
ルナが顔面蒼白になったときであった、兄弟の片割れがルナのいる掃除用具を治めたローカースペースのドアノブに手をかけた
『嵌って動けないのに……』
ルナは絶望的な心境に陥った。
その時であった、
『トン、トン、ドドン、トン、ドドン トン、トン、ドドン、トン、ドドン』
トイレの外壁から妙な音が聞こえてきた。それは時に大きく、時に小さく、断続的で不愉快な音だった。
「何だ、この音は……?」
兄弟の1人はトイレの窓を開けると外を見た。
「あれか!!!」
男の視界には器用に二本足で立って外壁にジャブをくらわす動物の姿が映っていた。その動物は時折、左右のフットワークを使いながら壁に向かって蹄の一撃をみまっていた。
「なんだ……このロバは……」
男が思わずそう漏らすと、ロバは男を一瞥してニヤリとした。
*
ロバはジャブを放っていた前足を器用に使うと男に向かってジェスチャーを送った。
『かかってきな!』
ロバの顔にはそう書いてあった。
カチンときた男は窓から身を乗り出した。
「このくそロバ、マリー兄弟をなめんじゃねぇぞ!!」
馬鹿にされたと思った男は窓から飛び降りた。
だが、次の瞬間、辺りに絶叫が轟いた。
「イテッェーーーーー」
男の着地地点にはなぜかしらねど拳ほどの石つぶてが散乱していた。男はそれをもろに踏んで足をくじいたのである。
「なんで、こんな所に石が落ちてんだよ!!」
男が足をさすりながら苦しんでいるとロバは男に近寄り、気の毒そうな顔を見せた。
『その石つぶて、一体、だれが置いたんだろうね?』
ロバはそんな表情を浮かべるとニカッと笑った。
そんな時であった、ダイナーの入り口から数人の足音が近づいてきた。兄弟の悲鳴を聞きつけたもう一人の男とその仲間である。
ロバはその足音を察知すると何事もなかったかのようにその場から消え去った。
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一方、その頃、バケツから抜け出したルナは外で起こったひと騒動のおかげでトイレから出ることに成功していた。
『ああ、マジ、ケツ痛い……でも、あの音、何だったんだろ……』
ロバの機転でピンチを脱したことを知らないルナはそんなことを思いながら脱出ルートを模索した。
『意外と混乱しているわね』
ルナはダイナーの中の状況を確認したが、ロバの一件で店員や客たちの注意力が散漫になっているのに気付いた。
『堂々といけばいいのよ、こういう時は!!』
ルナはそう思うとケツをさすりながら正面の入り口から大手を振って脱出することにした。
『案外いけんじゃん……』
ルナはダイナーの入り口付近に差し掛かるとコソコソすることもなく胸を張った。
『客の振りすればいいのよね』
帽子をかぶったルナは10歳の少年の出で立ちで颯爽と正面にある入口から外に出た。
『よし!!!』
こうして『覗き見大作戦』を失敗したルナは『居直って正面から脱出作戦』を成功させ、ベアーとリズのもとに無事、帰還した。