第三十一話
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寄合でのやり取りが功を奏し、商談は実にうまく進んだ。ウィルソンとベアーは牧場に出かけると羊毛の状態を確認して金額を算定した。
「羊の種類によって毛質が違うから値段も変わるから、よく見るんだぞ!」
そう言うとウィルソンはベアーに毛質のことを説明した。
「子羊の毛は柔らかくて繊細、大人になるにつれて毛が太くなり油分が増える」
「油分ですか?」
「ああ、油分を含む毛はしっとり感が違う」
実際、触ってみると子羊の毛の方がさらりとしていた。
「あまり油分が多いと問題だが、適度にないと肌触りが悪いんだ。それから毛のクリンプ(縮み)もしっかりチェックするんだ。」
「クリンプ?」
ベアーは耳慣れない言葉に再び顔を上げた。
「毛がカールしてるだろ、この縮み具合が大事なんだ。これがしっかりしていると耐久性のある糸になるんだ。」
ベアー初めての知識に目を白黒させた。
「この牧場の羊は同じ種類だからそれほど分類には苦労はないはずだ。俺は契約書の準備をするからそっちは任せるぞ」
言われたベアーは教えられたとおりに羊毛の分類に勤しんだ。
*
ベアーが羊毛の確認をしていると牧場の経営者が声をかけてきた。亜人の恰幅のいい中年女である。
「いやあ、ほんとに助かったよ……フォーレさんのおかげで何とか首に皮一枚で繋がった。」
資金繰りに困っていた牧場主はホッと一息ついた。
「いえ、うちも羊毛は仕入れたいと思っていましたから、それにおかしいのはここのギルドですよ」
ベアーがそう言うと牧場主は『その通りだ!!!』という表情を見せた。
「マリー兄弟が幅を利かせるようになってギルド長がおかしくなっちまったんだ。3年前は普通だったのに……ギルド長があの女にやられてから…」
ベアーは審問の場でマリーをその眼にしていたが、マリーの醸す雰囲気は普通ではなかった。
「あのマリー兄弟はギルドの掟を自分たちに都合よく変えて、経営に困った牧場を買い占めてるんだよ。」
亜人女の牧場主はそう言うと悪態づいた。
「あいつら頭がいいんだよ、数字に聡いんだ。羊毛ギルドに金を借りた連中は、みんなやられちまった……それに……」
亜人女の牧場主は確信ともいうべき内容を口にした。
「ギルドの連中は土地を寺院に寄進して税金を免れてるんだ」
牧場主の言葉はベアーの琴線に触れた。
「よかったら、その話を聞かせてくれませんか。」
ベアーがそう言うと亜人女は他人に口外しないことを約束に内容を話し出した。
*
「普通の牧場は利益が出るとその利益に対して税金が発生するんだ。だけど土地を寺院に寄進すると所有者が寺院に変わる。寺院は宗教施設だろ、だから税金がかからないんだよ。それを見越して羊毛ギルドの連中は土地や利益を寄進して払わなきゃいけない税金を免れてるんだ。」
ベアーはなるほどという顔を見せた。
「牧場連中は、みんな知ってるよ、ギルドと寺院がチンチンカモカモなのは……だけど証拠なんてないし……」
話を聞いたベアーは神妙な面持ちになった。
『やっぱり寺院と羊毛ギルドはつながってるんだ……でも証拠がないと』
ベアーは牧場主に感謝すると、再び作業に戻った。
『何とかして寄進と脱税をうまく証明できないだろうか……』
ベアーは新たな難題に直面することになった。
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契約書をまとめて牧場を出るとベアーはウィルソンに寄進について尋ねた。
「宗教施設への寄進は脱税の温床ってのは昔から言われてるな。特に金のある寺院や力のあるところは当たり前じゃないのか。よくある話だよ、だけど寄進自体は法的に何の問題もないからな、税務当局も手が出んだろうな」
ウィルソンは淡々と言うと商売人の顔つきで一言くわえた。
「合法的脱税ってやつだよ」
言われたベアーは考え込んだ。
「まあ、キックバックでもあれば別だけどな……」
ベアーはウィルソンの言った『キックバック』という言葉に目を光らせた。
キックバックとは見返りに払う手数料のようなものである。この場合、寄進して脱税を助けてもらった羊毛ギルドがその礼に金銭的な見返りを寺院に秘密裏に渡すということになる。
『でも、どうやってキックバックを寺院は受け取っているんだ……』
『寺院内部に協力者がいないと……わからないな……』
寄進と脱税からキックバックへと姿を変えた新たな問題は再びベアーの頭を悩ませた。
*
ウィルソンとベアーは翌日の決済に備え宿に戻った。
「明日の午前中で決済を終わらせて、その後、羊毛の引き取りをしないといかんのだが、商品の引き渡しの時はその場にいないといけないんだ。全部の牧場から羊毛を引き取るには3,4日かかる。結構、間が開くから、時間も取れるだろうな」
「休めるんですか?」
「あくまで待機だけどな」
ウィルソンはそう言ったがその目は『休んでもいい』というニュアンスを含んでいた。ここ何日かの業務が忙しかったことと想像以上に契約が取れたことに対するご褒美といったところだろう。
ベアーはうれしくなったが、同時にトーマスのことも脳裏によぎった。
『キックバックが証明できれば……なんとかなるかも……」
そんなことを思った時である、ベアーのもとに珍客が現れた。
*
「チャドさん…」
「悪いんだけど、ちょっと助けてくれないか、トーマスさんのことなんだ」
ベアーがウィルソンを見ると「行って来い」とその顔に書いてあった。ベアーはウィルソンに感謝して頭を下げるとチャドとともにトーマスの所に向かった。
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トーマスの家では喧々諤々のやり取りが行われていた。
「だから、私はもう僧侶じゃない。寺院の不正を正す力はもうないんだよ。」
「それでは困ります司教、あなたとベアー君が審問を行ったことで寺院内に波紋が生じたんです。大司教の行っていることに疑問を持つ者も多く出てきました。もう一度…」
うら若い女性がが続けようとした時である、トーマスは間髪入れず反応した。
「無理だ。私はもう寺院にはかかわる資格がない」
「そんなことはありません!」
ベアーは開いたドアからトーマスの話している相手を覗いてみた。
『あれ、あの人、確か…リズさん……』
トーマスに詰め寄っていたのは審問で傍聴席に座っていたリズであった。
*
「何度も言うが、私はあの審問で負けたんだ。覆ることのない審問で敗れたんだよ。もうそれ以上のことはない。」
「いえ、間違っているのは寺院の方です、あの審問では結果がでなくともトーマス司教の冤罪を私は確信しています。」
「君が私の濡れ衣に気付いてくれたのはうれしいが、だからと言って何か変わるわけじゃないんだよ。大司教の力は甘くない。」
リズ顔を紅潮させては食い下がった。
「あの審問が覆らないのは私もわかっています。ですが濡れ衣を着せて司教を追放させたやり方は僧侶としてはあるまじき行為です。」
リズは正論を述べたがすでに時は逸していた。トーマスは大きく息を吐いた。
「君がそう思うなら、2度と私のような人間が出ないようにすればいい。そうするだけで私の審問には意味がある。」
トーマスは静かにそう言うとリズの肩を押してドアから押し出した。
「さあ、帰るんだ。」
トーマスはそう言うとドアをバタンと閉めた。
リズはドアを何度もたたいて開けようとしたがトーマスはそれに構うことはなかった。
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リズが涙目を見せて振り返るとベアーと目があった。
「君は……」
「今のやり取り、聞いていました。」
ベアーはリズの顔を見た。
「私は大司教の方が正しいと思っていたけど……あなたとトーマス司教の審問を見ていて思ったの……寺院の方がおかしいって」
「でも、今のままではトーマスさんの濡れ衣は晴らすことはできません。それに一事不再理で使途不明金の事を責めることはもうできません。」
リズは肩を落とした。
「そうね……でも、何か方策があるはずよ……」
リズがそう言った時である、ベアーは胸中にあった思いを伝えた。
「リズさん、客観的な証拠がいるんです」
「客観的な証拠?」
「ええ、寺院と羊毛ギルドの関係はご存知ですか?」
リズは小さく頷いた。
「具体的には何とも言えないけど、トーマス司教とあなたの審問で癒着があると感じたわ。」
「癒着は間違いないと思います。でも……それを証明しないと……」
客観証拠と言われたリズは難しい表情を見せた。
「僕は寺院が羊毛ギルドからキックバックを貰っていると考えています。
「キックバック?」
聞きなれない言葉にリズは目を白黒させた。
「羊毛ギルドは土地を寄進して税金を免れる見返りに、寺院に対して何らかの報酬を支払っていると僕は思っています。」
言われたリズは目を白黒させた。
「でも、どうやってそのキックバックを寺院は受け取っているの?」
ベアーは核心ともいうべきリズの質問に対し、沈んだ表情を見せた。
「それがわかれば……何とかなるんですが」
リズは腕をくむとしばし渋い表情を見せた。
「……ベアー君……わかるかもしれない……」
リズはそう言うとベアーの手をとった。
「町はずれのダイナー(食事処)で大司教の一派が毎週そこで会合をひらいてるの、もしかしたらそこで……」
真剣に話すリズの表情は実に可憐であった。今まで真面目な話をしていたベアーであったがリズの美しさに息をのんだ。
『やべぇ、めっちゃ、かわえぇ……リズさん……』
ベアーは恥ずかしくなって赤面すると下を向いた。だが視線の先にはベアーの一番気になるものがあった。
『……これは……』
法衣の下からもわかる胸のふくらみにベアーは初等学校のマギー先生と同じにおいをかぎとった。
『間違いない……』
ベアーのおっぱいセンサーがMAXを迎えた。
『隠れ巨乳!!!』
その瞬間であった、冷ややかな視線がベアーを突き刺した。
「どこ見てんの?」
リズの物言いは冷静あったがその瞳には炎が宿っている。
「いや、とってもいい天気だなって……」
ベアーは苦し紛れにそういったが、次の瞬間、リズの平手が飛んでいた。
*
「話は戻るけど……大司教の一派が毎週会合を開いているダイナーにはオールバックの僧侶も出席しているの、だから彼を追えば何かわかるかもしれないわ」
リズの言動に対しベアーは頬をさすりながら答えた。
「でも、僕もリズさんも面が割れてます。ダイナーにもぐりこむのは無理です。それにチャドさんも寺院に怒鳴り込んでるし……みんな顔がばれています……」
リズは厳しい表情で同意した。
「そうね……みんな顔がわかってるものね……寺院の人間に知られてない顔じゃないと」
リズが考え込んだ時である、ベアーの中でひらめきが生じた。
「一人います……寺院側に知られてない顔が」
ベアーはそう言うとほくそ笑んだ。