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第三十話

81

初めて一ノ妃を見たバイロンはそのオーラに圧倒されたが、それと同時に一ノ妃の眼の中に宮中の歪みを見通す思慮深さがあることも感じた。


『あの人……怖いんだろうな……』


 マーベリックのヘビのような目は嫌悪感を催させるものだったが、一ノ妃の眼には見たものを氷漬けにするような冷たさがあった。それは権力者だけが持つ『眼力』といっていいだろう。バイロンはその力で完璧にからめ捕られていた。


『この先どうなるんだろ……』


ポルカで女優をしていた時とまったく違う環境の変化にバイロンはどうしていいかわからなくなっていた。


『こんな時って……どうやって振る舞えばいいんだろ……』


 周りが敵か味方もわからず、誰を信頼していいのかわからない状態でダリスの最高権力者のメイドとして仕えることになるとは全くもって想定外であった。


『メイドの役に徹するしかないわね……』


 バイロンは元舞台女優の感性からメイドを『演じる』という選択肢を選ぶほかなかった。。


『この世界はお芝居と同じだと思えばいい……』


 立ち居振る舞いがわからない世界であったが、バイロンは人生の少ない経験からそれが一番だと自分に言い聞かせた。


                     *


 バイロンはサラとアリーの指示を受けながら一ノ妃の様子をチラチラと見とみていたが、一ノ妃の振る舞いは実に自然であった。


 権力者としての重厚さもあれば齢をとった人間の思慮もあり、そうかと思えばユーモアもあった。リサやアリーに対する振る舞いも理不尽なものはなく、『人を使う』ということの機微をおさえていた。


 『人を使うこと』が難しいのは言うまでもないが、たとえ権力者でも理不尽であったり支離滅裂な指示をすれば意趣返しがあるのは世の常である。


 メイドといえども扱いを間違えば毒を盛られたり、内情を暴露されたりと権力者にとって芳しいとは言えない事態が生じる。『飼い犬に手をかまれる』とよく言われるが、宮中の権謀術数の世界ではその点も留意する必要がある。


 一ノ妃はそうした点も熟知していてメイドに指示するタイミング、叱責するときの口調、そしてその仕方にも配慮があった。


『やっぱり、この人、凄いんだ……』


 バイロンは小間使いとしてサラとアリーの指示の受けながら一ノ妃の様子を見ていたが無駄のない言葉の中にある厳しさと配慮は『さすが』と思わせるものであった。


 ダリスという小国が大国トネリアに飲み込まれず確固たる地位を築いている理由は一ノ妃の人間性に起因しているとバイロンは思った。



82

バイロンがそんなことをおもって掃除をしていると奇声をあげながら一ノ妃の部屋の前にひとりの少年が走ってきた。齢は13,4といったところだろうか、小太りで鈍重だが気品のある着衣を身にまとっていた。


「おっ、あたらしいメイドだな」


少年はたどたどしい口調で話すとバイロンを見回し、後ろに回った。


「きゃっ……」


少年はバイロンのお尻を撫でるとニヤリとした。


「やっぱり、ケツはいいね、ケツには夢が詰まってる!!」


少年はそう言うと再び奇声をあげながら昇降機のほうにむかった。


『何なの……一体……』


バイロンが想定外の事態に茫然としているとアリーがやってきて耳元でささやいた。


「あれが皇太子のマルス様」


「えっ?」


バイロンが素っ頓狂な声をあげるとアリーが懐の刃物を再びバイロンに見せた。


「マルス様が白痴だということは他言無用です。他のメイドにも伝えてはなりません、いいですね……」


 アリーはそう言うと感情のない眼でバイロンを見た。気圧されたバイロンは下を向いて頷くしかなかった。


 それを見たアリーはバイロンにさらにくぎを刺すような目を向けてから再び一ノ妃の部屋へ入って行った。



『皇太子のマルス様が……白痴……』



 ダリスの次帝が白痴とは全く知らされていなかったバイロンにとってこの事実は恐るべきものであった。


『そんな、ダリスの次帝が白痴だなんて……』


ダリスの帝宮には一般の人間にはうかがい知れない秘密が埋もれていた。



83

バイロンはマーベリックに言われた通り時間をずらして時計台に向かった。待ち合わせ場所にはすでにそれらしき人間がいた。


「いつも通りだ。」


 マーベリックはそう言うと手にしていた紙袋を渡した。バイロンが袋を開けると以前と違う焼き菓子が入っていた。


 バター生地をさっくりと焼き上げ、そこにカラメルをかけたパイだが、スティック状になっていて食べやすかった。


『この焦したカラメル、おいしい……』


 カラメルの適度な苦みと甘めの生地が実にうまくマッチしていてバイロンは納得の表情を浮かべた。


バイロンはスティクを複数、手に取れるとおもむろに口に運んだ。


『3本喰い!!』


口いっぱいに菓子を頬張ったバイロンはマーベリックと目があった。


「………」


マーベリックが沈黙すると、二人の間に微妙な時間が流れた。


                      *


間がもたないと思ったバイロンは自分から話しかけることにした。


「実は、一ノ妃様の『当番に』なって、そこで掃除をしていた時……皇太子さまにあいました。」


マーベリックはバイロンに目をやった。


「皇太子さまは……白痴だと……」


マーベリックは小さく頷いた。


「知っていたんですか?」


「ああ」


何の感情もない返事にバイロンは怒りを覚えた。


「知っているなら、教えてくれてもいいじゃないですか!!」


「その必要はない、今の仕事をしていれば否が応でも知ることになる。」


マーベリックの乾いた物言いはバイロンの怒りを吹き飛ばした。


「お前も、この先、色々見るだろうが、次の世継ぎは皇太子のマルス様で決まりだ。だが、それをよく思わない連中も多い。マルス様が白痴ならなおさらだ。」


バイロンはメイドたちの派閥が奇々怪々な動きを見せる要因が見えたような気がした。


「現段階は流動的で何が起こるか判断しがたい、お前は引き続き、メイドの人間関係を追ってくれ。」


 そう言うとマーベリックはバイロンを正面から見た。その顔は今まで見せたことのない齢相応の表情が浮かんでいた。


「喰いすぎると、太るぞ、ポルカの女優さん」


タイミングよく捨て台詞をのこすとマーベリックは踵を返した。


バイロンは反論しようとしたがすでにマーベリックは雑踏の中に消えていた。


『あいつ……腹立つな……』


バイロンは怒りを鎮めるため先ほどの菓子を再び口に放り込んだ。



84

さて、その頃……


執事長シドニーのもとには一人のメイドが訪れていた。


「どうですか、バイロンは?」


「はい、業務はそつなくこなしておりますし、特に妙な動きはありません」


 受け答えをしたのは第四宮のメイド長、マイラであった。マイラは緊張した面持ちで執事長のシドニーに業務報告を行っていた。


「あなたもわかっていると思いますが、ダリスの未来は次の皇太子マルス様の動向にかかっています。マルス様の事を悪く言う者がいることはあなたも存じているでしょう。」


マイラはかしこまった。


「メイドの中でも様々な動きがあると聞き及んでおります。」


シドニーは乾いた眼でマイラを見た。


「この先どうなるかはあなたの報告次第で変わるやもしれません。」


シドニーの物言いには『含み』があった。そこにはシドニーにとって都合のいい報告をしろという意味合いがあるように思えた。


だが、マイラはかしこまったまま微動だにしなかった。


「3侯爵の皆様もマルス様のことを大変気にかけています。」


シドニーが大仰にそう言うとマイラはさらにかしこまった。


「いいでしょう……まだ時間はあります。」


シドニーはそう言うと魔女のような眼でマイラを見た。


「ダリスの将来を考えなさい。そうすればおのずと答えは出るでしょう。」


言われたマイラは頭を下げるとその場を逃げるようにして出て行った。


                      *


 マイラが出ると入れ替わりにメガネ女(バイロンを躾けた女)が部屋に入ってきた。


「マイラの懐柔はうまくいきませんね……」


「ええ、でもそのうち何とかなるでしょう……一ノ妃の世話係が怪我をしたことに恐れおののいてるわ。」


シドニーは手を骨折したミーナの事を暗に示した。


「マイラが落ちれば、あとは簡単です」


メガネ女がそう言うとシドニーは邪悪な笑みを浮かべた。


「ことは急いてはなりません、確実に事態がこちらに向くまで待つのです。」


そう言ったシドニーの顔には余裕があった。


『これから、この国は間違いなく変わる。それも大きく変化する……問題は変わった後、我々がどの位置にいるか……』


シドニーの思惑は既に未来に向けられていた。


『二ノ妃と三ノ妃の諍いは必ず炎となってこの国を覆う……この炎を使わないわけにはいかない』


 シドニーは執事長として帝宮のメイドを束ねる立場にいるが、彼女の眼の中にはそれ以上のものを望む欲望が生まれていた。


「ところで、バイロンの件ですが手はうってあるのでしょうね?」


「もちろんです」


そう言うとメガネ女はシドニーの耳元にささやきかけた。


「いいでしょう、それで様子を見ましょう」


2人の間では着々と計画が進みつつあった。


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