第二十六話
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バイロンの一日は5時半の起床から始まる。身支度を整え朝食をとると、第四宮に入り一階の廊下を掃除する。7時には帝妃(一ノ妃から三ノ妃までを合わせた言い方)が食事ととるためそれに合わせて、ダイニングルームのセッティングを行う。
バイロンはまだ新人のため食事の給仕や帝妃たちの身近な世話というのは仕事にはいらないが、その業務を担うベテランのメイドたちが円滑に事を運べるように末端として支える必要がある。だが、この『支える』という行為は実にめんどうであった。
「急いで、二ノ妃様がいらっしゃるわよ!!」
バイロンを叱咤したのは二ノ妃の給仕を担当するベテランのメイドである。その額には青筋が浮かんでいる。一方でその後ろからもバイロンに声が飛んだ。
「こっちが先よ、新人、 三ノ妃様と皇太子様の方が!!!」
バイロンに新たに声をかけたのは別のメイドであったが、これまたすさまじい剣幕でバイロンをまくし立てた。
『えっ、どっちが……先なの……』
この世界は一ノ妃を頂点にして動いているが二ノ妃と三ノ妃のパワーバランスは微妙であった。通常であれば数字の通り二ノ妃の方が帝位に近いためメイドの給仕もそちらが先になるのだが、子を失った二ノ妃は跡取りがいないため軽んじられているのである。
バイロンは二人のメイドを見てどうすればいいか迷った。
『確か、メイド心得には帝位の順に扱うって……』
バイロンはそう思い、とりあえず二ノ妃のメイドの指示に従おうとした。その時である、バイロンの背中に嫌らしい声が飛んだ。
「あら、皇太子のいない二ノ妃の方に行くの?」
三ノ妃を推すメイドはバイロンに細い目を向けた。そこには『どっちを選ぶんだ!』という圧力があった。
『どうなってんの、この人たち……』
メイドとしての立ち居振る舞いで精一杯のバイロンにとっては新たな難題が降りかかってきた。
『ここで選択を間違えると……』
バイロンの脳裏でシュミレーションが始まった。
『何とか……ぼかした方がいいわね』
どちらにつけばいいかわからない現状で判断するのは賢明とは言えない。バイロンは首をかしげて誤魔化そうとした。
だが……
『女の園』ではその程度の演技は見抜かれていた。
二ノ妃のメイドと三ノ妃のメイドはバイロンに邪悪な微笑みを浴びせた。
『……どうするの、コレ……』
バイロンがしどろもどろになっているとメイド長のマイラが現れた。
「何をしているんですか、朝食まで時間がありませんよ!」
マイラは怒りをあらわしそう言うとその場のメイドたちに指示を出した。
「バイロン、こっちへ」
そう言うとマイラは廊下にバイロンを連れ出した。
*
「ここでは色々な人間がいます。あなたは新人なのでいろいろな懐柔や嫌がらせ、その他もろもろが付いて回るでしょう。その時、困ったらこの『メイド心得』に従いなさい。そうすれば、ほとんどのケースで問題はないはずです。」
マイラはそう言うとその場を去った。
かなり大きな声で叱るように言われたためバイロンは肩を落としたが、その後の業務はさしあたり滞りなく済んだので結果的には良かったと言える。
『ひょっとしてマイラさんは、わざと聞こえるような声で私を……』
マイラの意図は計りかねたが、その場の状況を好転させるうえでは悪い方法ではなかった。
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それから一週間、バイロンは日々の業務をそつなくこなした。そのほとんどが掃除と雑用のため高い技術を有するものがなかったが、細かい部分に対する注意が多く正直、辟易していた。
『面倒な礼儀ばっかり……掃除ぐらい普通にすればいいのに』
箒の持ち方、はき方、ごみの捨て方、すべての行いに規範があり、それを守らねばならないようになっていた。いくら帝宮とはいえ面倒な所作は時間を余計に割くだけで妥当とは思えなかった。
そんな時である、バイロンの脳裏にポルカでの日々がふとよぎった
『どうしてるかな、ラッツ……ライラもこっちに来てるのかな……』
雑用と小間使いに飽きてきたバイロンは息を吐いた。
『そう言えば、ベアーには一回も会えなかったな……お金も借りたままだし……』
娼館から自分を救ってくれた少年の顔がバイロンの脳裏に浮かんだ。
『貿易商の見習いになるって言ってたけど……無事になれたのかな……』
ポルカで一度も会えなかったことが今になって後悔の念として現れた。
『もう二度と会えないのかな……」
そんなことを思った時である、後ろから突然、声をかけられた。
*
「どうよ、バイロン!」
声をかけてきたのはリンジーであった。にこやかな顔でバイロンを見た。
「今日は宮中行事があるから、第四宮は暇なのよ。他のメイドもうまくサボってるから……」
リンジーはそう言ってニヤリとすると例のごとくマシンガントークを始めた。
*
リンジーの弾はほとんどバイロンの的を射ることはなかったが、時折、的をかすめることもあった。
「3公爵の方々はね、仲が悪いって言うんじゃなくて、何て言うかな……反目し合ってバランスをとってるって感じね。」
バイロンが興味ありそうな顔を見せるとリンジーは鼻を鳴らした。
「ボルト家、ローズ家、レナード家、皆それぞれ相互に監視するような仕組みになっていて、お互いにアラ探しばっかりしているの。高い役職を手に入れるために伯爵たちを買収して票を取りまとめたり、位の低い男爵たちに鍔迫り合いをやらせたりするの。それにこの第四宮のメイド長のイスだって3公爵の争いがあったんだから」
「そうなんだ……」
「一ノ妃様の睨みが聞いてるからうまくいってるけど、それがなかったら……結構ぶつかってると思うわよ、それにうちのメイドも派閥があるでしょ……あれには3公爵の懐柔もあるしね……」
「二ノ妃と三ノ妃の派閥もあるのに、3公爵の関与もあるなんて……」
バイロンがそう言うとリンジーは困った顔をした。
「お妃様たちと3公爵の関係は流動的だから、下手に動くと……」
その顔には『嫌がらせ』があると示していた。
「二ノ妃と三ノ妃のぶつかり合いもあるし……」
バイロンは奇々怪々な宮中の力学と人間関係に複雑な表情を浮かべた。
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次の日からバイロンは注意深く第四宮のメイドの動向を確認することにした。
『なるほど……』
バイロンは3人の妃と3公爵といわれる高級貴族の間にある関係が実に複雑であることに気付いた。それはメイドたちの動きに現れていた。
『案件によってくっついたり、離れたりしているのね……』
お互い牽制していると思えばにこやかに談笑し、午後からは再び対立する。連帯感など微塵も感じさせない派閥間の抗争は時に無派閥の人間にも刃を向けた。
『この戦いのガンになってるのは二ノ妃と三ノ妃の問題ね』
バイロンはメイドの派閥の根底に二人の妃の問題にあると考えた。
『二ノ妃は皇女を亡くされてるけど、それによって三ノ妃の御子息、現皇太子が皇位継承権の第一位になった。ここがポイントね……』
バイロンはマーベリックに言われた通り派閥抗争に関わるメイドたちの名前を暗記した。
『でも、3公爵の動きは奇々怪々ね、どの妃を押しているのかさっぱりわからない。』
バイロンは今までの動きのなかでボルト家、ローズ家、レナード家の意図を計りかねていた。
『次の世継ぎは三ノ妃の嫡男で決まりなのに、どうして彼らは……混乱させるようなことをするんだろうか……』
3公爵の動きはメイドの派閥を懐柔し互いに反目させているようにしか思えなかった。