第二十五話
64
マリーの証言が終わった後、審問の場は寺院側とトーマス側の丁々発止でエキサイトした。後ろで見ていた傍聴人たちも声を上げだした。
『おい、使途不明金なんて知ってるか?』
『いや……』
『羊毛ギルドの借用書って何だ?』
傍聴していた他の僧侶も知らされていない事実に目を白黒させた。
『トーマスって不倫でクビにされた司教だろ……でもひょっとしたら……』
『寺院の方がおかしいのか……』
『でも、持ち出した帳簿なんて証拠になるのか?』
『あのマリーっていう女、一体誰なんだ?』
傍聴人たちが様々な意見を言いだした時である。
「静粛に!!!」
白髭委員の怒号が飛んだ。
「では、最後に寺院側の主張を聞きます。」
言われたオールバックの僧侶は待っていましたとばかりの表情を浮かべた。
「最後に私が言いたいのは今回この審問を開くに当たり告発人になったベアリスク ライドルさんに関してです。」
オールバックの男は実に狡猾な笑みを浮かべた。
「彼はかつてドリトス近郊のチーズ工房でアルバイトをしていましたが、その時、大きな問題を起こしています。」
「異議あり、本件とは関係のないことに時間を取るのは問題です。」
トーマスが言うと、オールバックの男は間髪入れずに反応した。
「これは告発人の人間性、ひいては僧侶としての倫理に関わる問題です」
白髭委員はオールバックの男をじろりと見ると手短に話すよう言った。
オールバックは感謝の言葉を言うとベアーのことについて話し出した。
「傍聴人の皆さんも、是非聞いていただきたい。この少年はドリトスで傷害事件を起こした魔女と深いつながりがあります。」
「本件とは関係ない!!」
トーマスはそう言ったが白髭の委員はそれを手で制した。
「続けなさい」
「その少年は、骨董商に対し、炎の魔法を行使した魔女を助ける証言をしています。」
ベアーはすかさず反論した。
「それは骨董商が持ち込んだ魔道書を不当な安値で引き取って、僕たちをだまそうとしたからです。」
「委員、魔女は『チャーム(魅了)』の魔法を使います。ひょっとすると彼はその魔法にかけられていたのではないでしょうか、魅了されたがゆえに魔女にとって都合のいい証言をしたのでは」
オールバックは雄々しい声で続けた。
「魔女と僧侶は相いれないものです、魔女が自分に都合のいい証言をその少年にさせるため魔法を行使したかもしれません。普通、攻撃魔法を使えば実刑は免れませんからね」
ベアーは反論した、
「その見解は、おかしいです。ルナの腕には裁判当時、魔法を使えないようにするための腕輪がつけられていました。彼女が魅了も魔法を使ったことはあり得ません。」
ベアーがそう言うとオールバックの僧侶は大きく目を見開いた。
「今、君は『ルナ』と魔女の名前を呼んだね、ひょっとすると今でも付き合いがあるんじゃ、まさか魔女と仲がいいなんて……そんなことはないよね?」
「ルナは僕の友人です。裁判の後はきちんとした制裁を受け、いまではまっとうにやっています!!」
ベアーがそう言いきった時である、白髭委員の顔が険しくなった。眉間にしわを寄せると虚空を睨んだ。その表情に今までと違う厳しさが生じていた。
「もういいでしょう……30分後に今回の審問を決心します。」
白髭の委員はそう言うと大きく息を吐き、その場を後にした。
65
審問の場に再び白髭の委員が入ってきた。
「では当委員会の決心を申します。」
そう言うと白髭の従者が羊皮紙に結論を書いたものを提示した
そこには、
『棄却』
と書かれていた。
ベアーとトーマスは口を開けると唖然とした。
「棄却理由を申し上げます。今回の使途不明金の疑惑は払しょくされませんでしたが、告発人であるベアリスク ライドル君が過去だけでなく現在も魔女との関連があることを考慮し、この告発事体をなかったものとして扱います。なお一事不再理としてこの件は扱われますのでご留意ください。」
一事不再理とは二度とこの案件を扱わないということである、もともと控訴と言った概念が特別審問にはないため、この案件は二度と取り扱われないことがここで宣言されたことになる。
ベアーは体全体を震わせると立ち上がった。
「おかしいです!!!」
ベアーは審問委員の白髭を見つめた。
「この事案はトーマスさんの潔白を晴らすためのものです。告発人の僕のことで使途不明金の話がなおざりにされるのは異常です。」
ベアーは続けた。
「たとえ寺院といえども頂いたお布施の管理は客観的にしなくてはならないはずです。それなら両替商を通して公明正大にするのが筋でしょう。後付けの『借用書』で何とかなるならいくらでも誤魔化しがききます。」
ベアーが正論を述べると傍聴人の僧侶たちは黙った。その沈黙にはベアーの発言に『一理ある』という意味が込められていた。
だが白髭の委員はそれをばっさりと切り捨てた。
「君の言うことは普通の裁判でならそうだろう。だが、ここは僧侶の『徳』を裁く特別審問の場だ。魔女との関係がある君の告発では倫理的に無理だ。もちろん完璧な証拠があれば別だがな。」
ベアーは食って掛かろうとした
……だが、トーマスはそれを遮った。
「もういい、ベアー君……」
「そんな、納得がいきません!!」
ベアーはそう言ったがトーマスはそれにとどめを刺す一言を発した。
「審問の決定は覆すことはできない……」
ベアーはトーマスの顔を見た。
「我々は負けたんだよ。」
トーマスの憂いのある表情を見た瞬間、ベアーの中で生じた熱い思いは音を立てて崩れ去った。
*
トーマスとベアーが肩を落として寺院を出る姿を大司教は愉悦の浮かんだ表情で窓から眺めていた。
「うまくいきました、大司教のおっしゃったとおりです」
大司教に声をかけたのは審問で寺院側にいたオールバックの僧侶であった。
「あの白髭の委員はかつて魔女とやりあい、手酷い目にあった過去がある。魔女には恨みがあるんだよ」
大司教は審問委員の事をあらかじめ調べていた。白髭委員の履歴を調査し、寺院側に審問が有利になるものがないか目聡くあさっていた。その結果、白髭の委員がかつて魔女と大きなトラブルを起こしていたことを突き止めていた。
「委員の琴線に触れる質問を最後にすれば、結審が傾くことは想像に難くない。こちらの想定通りだ。」
ガマガエルのような顔をした大司教はほくそ笑むとオールバックの僧侶を見た。
「よくやってくれた、これで君が次の司教だ。」
言われたオールバックの僧侶は実にうれしそうな顔をした。
66
敗北というものがこれほどつらいとはベアーは思わなかった。理不尽な扱いがもたらした苦い経験は15歳の少年にはあまりに重すぎた。寺院を出た瞬間、涙が滲んだ。
「ベアー君、良くやってくれた。君は悪くないよ」
トーマスは朗らかに言った。
「我々はやるだけのことはやった、正々堂々と。これで敗れたならそれはそれで本望だ。」
「すみません、トーマスさん……ルナの事がこれだけの影響を……」
「魔女の話にかこつけて使途不明金の部分を誤魔化すやり方は向こうの方が一枚上手だった。多分、大司教は審問委員の性格を見抜いていたんだろう。」
ベアーが悔恨の想いを体全体で表すとトーマスは声をかけた。
「君のような熱い思いを持つ人間には、本当は僧侶を辞めてほしくないんだが……」
トーマスはそう言ってベアーの肩をポンとたたいた。
「さあ、ここで別れよう」
ベアーは悔しさをにじませ唇を噛んだ。理不尽な審問がもたらした敗北の味は胆汁を何十倍と濃縮したような苦さであった。
「立派な貿易商になるんだぞ」
トーマスはそう言うと家路に向けて歩みを進めた。
夕日に向かって歩いてゆくトーマスの背中をベアーは見ていたが、そこには敗者だけが見せる哀切が漂っていた。その悲しみは沈みゆくオレンジ色の夕日と溶け合い形容しがたい美しさを醸し出した。
『トーマスさん……』
厳しい現実を受け止め、それをそのままに受けいれる。並の人間でできることではない。ベアーはトーマスこそが真の僧侶だと確信した。
ここで終わるかどうか迷ったんですけど……
もうちょっとつづけます。
お付き合いいただけると嬉しいです。
では