第二十四話
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リンジーはバイロンに親近感をいだいたようで仕事が終わった後は連日のようにマシンガントークを続けた。内容は取り留めもないことが多かったが、仕事に関しての話はかなり役立つことも多くリンジーの話はバカにできなかった。
「窓掃除はね、2日はかかるわ。あれ高いところ大変だからね。脚立が古くなってるから気を付けないと落ちるからね。落ちてメイド辞めた人もいるから……でも大変なのはやっぱり『当番』ね」
リンジーはそう言うとしたり顔で続けた。
「第4宮はさあ、一ノ妃、二ノ妃、三ノ妃と三人の妃がいるでしょ。そのお世話は本当に大変なのよ。みんな性格が違うし、好みも違うし、それに……」
バイロンはリンジーが言ってはいけないことを口走りそうになっているのに気付いた。
「無理しなくていいわ、あんまりしゃべるとメイド長のマイラさんに怒られるだろうし」
気を使ったバイロンであったが、リンジーは話し出した。
「どうせすぐにわかるだろうし……でも、私が言ったって言わないでね」
そう言うとリンジーは3人の妃の関係を話し出した。
「もう知ってると思うけど、陛下がなくなってからは一ノ妃様がダリスを動かす軸になってるのよ。外交や儀式とか帝の仕事はすべて一ノ妃様が担ってるの。でも一ノ妃にはお子さんがいないから、跡目を巡って……いろいろあって」
「でも、三ノ妃様の御長男が継がれるんでしょ」
バイロンは巷で言われている一般論を述べた。
「そんなに、この世界、単純じゃないのよ!!」
そう言うとリンジーは続けた。
「一ノ妃には二人の男の子がいて二ノ妃には一人の女の子がいたの」
「皆、お亡くなりになったのでしょ、確か、はやり病とか……」
バイロンはかつて歴史の授業で習ったことを述べた。
「そう、表向きはね、だけど……」
リンジーは歴史の教師のような顔で続けた
「お妃さまの関係って複雑なのよ……だから……ひょっとすると……」
バイロンは策謀めいた響きをリンジーの表情から嗅ぎ取った。
「一ノ妃様も二ノ妃様もお子をなしたのに……結局、帝位につくのは三ノ妃様の皇太子。お二方の心中、本当の所は……」
リンジーはそれ以上言うのがマズイと思ったのだろう、急に沈黙した。だがバイロンはリンジーの口調から一ノ妃と二ノ妃の子供が殺されたのではないかという疑惑を持った。
リンジーはバイロンの顔を見て話題を変えた。
「あと知っておくといいのは貴族の仕組みって言うか階級って言うか……」
バイロンはリンジーの話に耳を傾けた。
「貴族の爵位は『公、候、伯、男』の四つなんだけどその中でも特別なのが3公爵と言われる方たちなの。この方たちは帝位につく資格があるから、ほかの貴族とは一線を画すのよ」
バイロンはその点に関してメイドとしての『調教』を受けるときに嫌と言うほど叩き込まれていた。
「3公爵は政治経済を担うボルト家。それから軍事、安全保障を担うローズ家。そして一般事業および教育を担うレナード家があるの。でもそれぞれ三すくみってやつでお互い牽制し合ってんの。一見仲良く見えるけど、細かいところで小競り合いがあるから……じつはね第四宮のメイドもその公爵家の派閥があるのよ……」
バイロンは驚いた顔を見せた。
「私は無派閥なんだけど……派閥間抗争は結構……えぐいのよね」
リンジーがそう言った時である、ベルが鳴った。
「消灯の時間ね、もう寝ましょうか!」
リンジーが明りを消すとバイロンは二段ベットの下段に身を横たえた。
『思ってた世界と全然違う……帝宮って……おとぎ話みたいな世界じゃないんだ』
権謀術数渦巻く貴族の世界は帝宮がその中心だったのである。
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バイロンがメイドとして第四宮で使えるようになって一週間が経った。仕事に関してはまだ慣れないことが多く、メイド長のマイラの補佐がなければおぼつかなかった。
「覚えることはまだまだありますが、一度でそれを理解するのは厳しいと思います。少しずつでいいので一つ一つをしっかりと押さえてください。」
マイラは全般的に仕事を覚えるよりも個々の仕事を完璧にこなせるようにバイロンに言った。
「いいかげんな仕事を複数並行するよりも完璧な仕事が一つできるほうが価値があります。そのことを肝に銘じておいてください。」
バイロンが頷くとマイラは満足した表情を見せた。
「では、来週からは1人でやってもらいます。わからないことは、ありますか?」
聞かれたバイロンはいままでの業務の中で疑問に思ったことを聞いた。
「あの、時々お掃除の道具がなくなったり、置いた場所と違うところにあったりするんですけど……」
マイラはバイロンの顔を見てニヤリとした。
「女の嫌がらせは目に見えない所で発揮されるのはあなたもわかるでしょ」
「えっ?」
すでに女の園での戦いは始まっていたのである。バイロンはリンジーの話していた3人の妃と3公爵の派閥の事を思い出した。
『ここはやっぱり普通じゃないのね……』
女優としてポルカで過ごしてきた日々とは全く違うリアルな政治闘争のある世界にバイロンは身を置いていることを自覚した。
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バイロンは水曜の午後、マイラに外出許可を取るとマーベリックに言われた通り時計台に向かった。
宮中を出て街に出るが初めてのため、バイロンには外の景色が新鮮に映った。ポルカと違う町並みは洗練されていて、そこを歩く人の様子も異なって見えた。
バイロンはベアーと同じく田舎の村で育っただけあって、都会っ子としての感覚はない。生まれて初めて見る洗練された都の質感に圧倒された。
『すごい……』
時計台がある通りは都のメインストリートになっていて、そこに軒を連ねる店は名のある老舗ばかりであった。宝飾店、寝具店、飲食店、雑貨店、様々な店があったがそのショーウインドウに飾られた品は今まで目にしたことのないものだった。
『こんなものがあるんだ……』
今まで目にした民芸品やポルカの土産物が陳腐に映るほどの品々にバイロンは目を奪われた。
『モノが……全然……違う……」
そんなことを思った時である、時計台の鐘が鳴るのが耳に入った。
『あっ時間だ、行かなきゃ』
バイロンは正午の鐘が鳴るのを耳にすると時計台に向かって走った。
*
人通りが多く、時計台の前はにぎわっていた。バイロンはマーベリックを探したが執事服を着た男はいなかった。
『どういうこと……』
招集をかけた本人が来ないことにバイロンは腹を立てた。
『なに、あいつ……舐めてんの』
軽いDQN的な思考がバイロンの中で芽ばえた時、どこにでもいそうな平民がバイロンに声をかけた。バイロンはそれどころではないので男を睨みつけたが、それが間違いだと気付いた。
『マーベリック!』
執事服から平民の普段着に身をやつしたマーベリックがバイロンの前にいた。
マーベリックは手にしていた紙袋をバイロンに渡した。
「開けてみろ」
言われたバイロンが袋を開けると焼き菓子が現れた。ふっくらとしたスポンジ生地にバターと蜜を吸わせて焼いたもので、柑橘系の香りをまとっていた。
『オレンジの匂いね』
バイロンはマーベリックの顔を見やると口に運んだ。バターのコクと甘さを抑えた糖蜜、そしてさわやかな酸味が口の中に広がった。
『美味しいわ……』
屋台の焼き菓子にさほどの期待をしていなかったバイロンであったが、想像以上の味の良さに目を大きく見開いた。
「食べながら話すんだ。」
マーベリックはあたりに気を配りながらバイロンにそう言った。
*
バイロンは一週間前からの出来事を時系列に並べて淡々と話した。マーベリックは空を見上げたり腕を組んだりと落ち着かない様子でそれを聞いた。
「すこし、歩こう。」
言われたバイロンは焼き菓子を頬張りながらマーベリックに経験したことを伝えた。
「来週、会う時は人物名をもっと詳しく教えてほしい。無理して調べる必要はない。業務の中で自然とわかる範囲で構わない……それから私と合っていることは誰にも言うな。」
マーベリックはそう言うと人ごみの中に消えていった。
バイロンは焼き菓子が思いのほか味が良かったこととマーベリックとあまり会話をする必要がなかったことに機嫌をよくした。
『マーベリックの奴、何を考えてるんだろう……』
マーベリックの意図が読めないバイロンは不可思議な思いを胸に抱いたまま宮中へと戻って行った。