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第二十三話

58

トーマスの事務能力は抜群であった、かつて僧侶学校を首席で卒業しただけのことがありベアーが寺院を告発するための文章を一日とかからず書き上げた。


「これでいい、あとはここに署名してくれ。」


言われたベアーは都の特別審問委員会に提出する書類の最後にサインした。


 特別審問委員会とは寺院や宗教施設で問題が起こった時、それを調査し審問する機関である。そのメンバーは一般の僧侶と違い、宗教活動には従事せず内側から寺院や宗教施設の不正を糺す資格を有している。


「この帳簿と一緒に告発書を送れば、遅くても一週間以内に審問が開かれるはずだ。」


トーマスは間違いがないか再度チェックした後、封筒にそれをしまった。


「来週は勝負だ。どうなるかはわからんが……」


トーマスは緊張した面持ちでベアーを見た。


「君には迷惑をかけるな……こんなことに巻き込んで」


「そんなことはありません。羊毛ギルドの連中に嵌められたと聞いた時、トーマスさんの件がうちの商売とも関連があると思ったんです。」


 ベアーはドリトスで幅を利かせる羊毛ギルドのマリー兄弟が悪辣な犯罪者ではないかと考えていた。


「寺院の不正と羊毛ギルドのマリー兄弟は関連があると僕は思っています。仮にこの案件が明るみになれば、現在の異常な羊毛ギルドの在り方も正されるかもしれません。」


 ベアーは羊毛ギルドと寺院の関係がはっきりすればトーマスの濡れ衣が晴れるだけでなく、羊毛ギルドの改革になるとふんでいた。


「それに、うちの商売もうまくいくかも……なんて」


ベアーを見たトーマスはそこに商売人として一面を垣間見た。


「どうやら、正義感だけではないようだな……君の計算は」


「僕は貿易商の見習いですから」


ベアーはニンマリとした。


                    *


 二人が来たるべき翌週の戦いにそなえ、想定問答をしながら戦略を練っている頃、ドリトスの寺院では動きがあった。


「大司教、都の特別委員会から査察と審問があると知らせがありました。」


 オールバックにした黒髪の僧侶は焦った表情で早口にいった。そこには明らかにおびえがあった。特別委員会からの査察と審問とはそれだけプレッシャーのあることなのだ。


「わかっている、すでに手はうってある」


 大司教と呼ばれた70歳を過ぎた男はガマガエルとも思える表情での僧侶にそう言うと実に嫌らしい笑みを浮かべた。


「トーマスが私に勝てるはずがないだろう。持ち出したあの資料では無理だ、それに今回の審問委員はクセがある。そのクセをつけば、たとえあの資料が証拠として採用されても問題ない」


 そう言い切った大司教の顔は悪意丸出しで、その表情からは『徳』など微塵も感じることができなかった。


「お前は私の言うとおりに動けばいい、そうすれば道は開かれる」


 大司教にそう言われたオールバックの僧侶は不安な表情を浮かべながら一礼するとその場を去った。


『しかし、特別審問委員が動くとは想定外だったな。ライドル家の子せがれが告発するとは……まあいい、私の力を見せつけてやろうではないか』


悪意に満ちた大司教の顔は既に僧侶ではなかった。



 大司教は鈍重な体をのっそりと動かすと奥の部屋に向かった。その部屋は執務室を兼ねていて様々な資料が置かれている。その脇にあるソファーには1人の女が座っていた。


「大丈夫なのですか、今の話?」


 声をかけたのは30代半ばの女であった。妖艶というか艶やかと言うか、女の醸す雰囲気は明らかに素人ではなかった。そこには淫らともふしだらともとれる淫猥な匂いが立ち込めている。


「問題ない。それよりもこっちに来い」


大司教はそう言うと女を引き寄せた。


「お前のことを知ってから……私は……」


ガマガエルのような顔で大司教は女の細い顎を引き寄せた。


「こんな所で……いけません」


女はそう言ったが、いやがるそぶりは見せなかった。


「礼の件ですが、お願いできますね?」


女がそう言うとキトキトになった大司教は頷いた。


「わかっている、もう用意はしてあるよ、マリー」


マリーが娼婦の微笑を見せると大司教は夢中になってマリーの唇をむさぼった。



59

その日の天気はすこぶる良く、快晴としか言いようのない日和であった。


「行こうか、ベアー!」


 トーマスが声をかけるとベアーは頷いた。二人は寺院の正門から堂々と入ると審問の開かれる部屋へと足を踏み入れた。



 部屋の中は法廷と似通った座席位置になっていた。一段高いところに審問委員が鎮座し、そこから離れた左右に告発者と被告者が座る席が置かれていた。座席の後方は僧侶なら誰でも見られるように傍聴席が設けられている。



 2人が入るとすでに寺院側の席には黒髪をオールバックにした中年の男が座っていた。枯れ枝のように痩せた男で神経質そうな顔つきをしていた。


『あいつと、やりあうのか』


ベアーは相手の顔を見て何とも言えない表情をした。その後、振り返り傍聴席を見回した。


『あの人、たしか、リズさんだっけ……』


 ベアーの視野には一人のうら若い女性が映った。チャドが寺院に怒鳴り込んだ時、凛とした対応をみせた女性僧侶である。どうやら彼女もこの審問に興味があるようで厳しい表情を浮かべていた。


                    *


 それから程なくすると、ベルが鳴り、それと同時に3人の委員が入ってきた。一人は白いひげを蓄えた老人で残りの二人はその従者たちであった。


「みなさん、査察は終わりました、これより審問に入ります。なおこの審問の後この事案に対する裁定がなされます。」


白いひげを蓄えた老人委員は淡々とそう言うと『開廷』と宣言した。



60

ベアーとトーマスは証拠となる帳簿の使途不明金の部分を強調して寺院の不正を糾弾した。


「寺院から資料を持ち出すことは許されることでは通常ありません。ですが使途不明金のような犯罪性の強いものであれば、改ざんや隠滅と言ったおそれがあります。私はそれを恐れて帳簿を持ちだしました。」


トーマスがそう言うや否や相手側から声があがった。


「異議あり!!」


オールバックの男は手を上げて立ち上がると白髭の委員を見て、まくしたてた。


「このトーマスと言う人間は不貞行為をして追放された不道徳な人物です。この場にいることさえ許されない存在です。そのような人間の発言自体が不適切です。」


白髭の委員はトーマスを見た。


「不貞行為はしていません、この不正を訴える前に一方的に追放されたんです。寺院側は告発しようとした私に濡れ衣を着せようとしたんです。」


トーマスがそう言うと相手側は汚いものを見るような目でトーマスを糾弾した。


「不貞行為を反省するどころか居直ったこの態度は元僧侶といえども許されるものではありません!!」


トーマスが言い返そうとした時、白髭委員は木槌で机をたたいた。


「今は、使途不明金に対する審問であってトーマスという元司教の不貞行為の話ではない。ここは人格を攻撃する場ではありません、その点、留意するように」


 白髭の委員にそう言われたオールバックの僧侶は『やむを得ない』と言う表情を見せた。



 白髭の委員は再びトーマスに発言の機会を与えると、トーマスは会計資料を手に入れた時の状況を事細かにはなし、時系列にまとめて使途不明金の出所を明らかにして行った。


「私は使途不明金となっているものはお布施だと思っています。お布施は一般の方や信者の方から頂いた大切なものです、それがなくなっているとなると、それは言語道断でありあます。」


 トーマスの説明は説得力がありわかりやすい、隣で聞いていたベアーは完璧だと思った。


白髭の委員は時折、髭に手をやりながらその主張に耳を傾けた。


「あい、わかった。では寺院側の主張を聞こう」



言われたオールバックの僧侶は立ち上がると寺院側の見解を述べた。



 寺院側の担当者はあくまで事務的なミスで使途不明金はないと言い張った。会計担当者の事務官がお布施の金額を記入するのを忘れていたと主張した。


オールバックの審問に対する受け答えはこちらも完璧で隙がなかった。


「一時休廷、1時間後に始めます。」


白髭の委員はそう言うとその場から出て行った。


                    *


トーマスとベアーはそれを確認すると大きく息を吐いた。


「何とも言えない展開だな……」


「はい、でも、あの帳簿はこの寺院で書かれた本物の書類だと審問委員も認識しているはずです。」


ベアーが言うとトーマスは頷いた。


「ああ、だが、肝心の使途不明金の行方が分からないと、あくまで帳簿上の記入ミスで向こうはシラを切りとおすだろう。」


「でも、使途不明金の行方を証明するのは寺院側のほうです。」


「そうだな、使途不明金の行方をはっきりさせなければ、向こうにもきついだろう」


ベアーとトーマスには顔を見合わせた。


「この勝負、負けることはない。」


二人はそんな表情を浮かべた。


                    *


休憩を終えて審問が開始された時であった、寺院側の担当者が手を上げた。


「誠に申しわけありませんが、使途不明金に関する資料が見つかりまして、それを提出したいと思います。」


 ベアーとトーマスにとっては寝耳に水であったが資料の提出は禁止されていないので黙ってみる他なかった。オールバックの僧侶は資料を白髭の委員に渡すと、口を開いた。


「帳簿上で抜けている金額ですが、これは羊毛ギルドに融通したものであります。一昨年、昨年と羊毛の値段が芳しくなく、経営的に厳しくなったギルドを助けるべく大司教の御慈悲で拠出されたものです。」


「では使途不明金は羊毛ギルドに貸し付けていたということかね」


白髭の委員は訝しむ表情でオールバックの僧侶を見た。


「はい、羊毛ギルドの方に現金でかしつけております。当時の担当者が借用書を無くし、帳簿上に記せなかったのです。借用書は紛失して手元にありませんが……ちなみにその担当者はこれから厳正に処分したいとおもいます。」


ベアーは話の流れから寺院側の主張がおかしいと声を上げた。


「異議あり! 通常、資金の移動は両替商を通します。金銭の流れをはっきりさせるためです。現金でギルドに寺院が渡すなんてありえません!!」


 ベアーの発言はもっともであった。直接現金のやり取りができるのであれば、履歴が残らない。仮に貸し手と借り手が裏で手を握れば書類上はなんとでもなる。一般的にはそれを防ぐために両替商を通して客観的に資金の流れを証明する。


「これだけ大きな金額が現金でギルドに流れるなんて考えられません。」


ベアーがそう言った時である、オールバックにした寺院の担当者が手を上げた。


「羊毛ギルドの会計責任者を証人として召喚します」


そう言うと一人の女が審問会場に入ってきた。


一瞬にしてトーマスの顔が厳しくなった。


「マリー……」


トーマスを嵌めた張本人、羊毛ギルド長の後妻になった女であった。マリーは礼儀正しく一礼すると審問委員の白髭に恭しく挨拶した。


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