第二十二話
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宮中の建造物は大理石や御影石がふんだんに使われ、豪奢かつ豪胆な造りになっていた。荘厳な雰囲気と雅なたたずまいは他の建造物に追随を許さない美しさと華麗さを有していて建築芸術といって過言でなかった。
一方、その構造は要塞に等しい堅牢さを有していて、外見とは違い実用性に富んでいた。見えない部分に配置された防衛用の設備は最新のものになっていて防御という点でも優れた造りになっている。
美的バランスと堅い守りが共存した宮中の建造物は他国でもまねのできない技術がふんだんに使われたダリスの誇りというべきものであった。
バイロンは執事長に連れられその建物の一つに案内された。3階建てになっていてさらにその上に豪奢な塔がそびえている。一見すると城といったほうがいいかもしれない。
「あなたは今日からここで、働くことになります。ここは帝の血縁のみが足を踏み入れることができる場所です。」
シドニーはそう言うと壁面を見るようにバイロンに示唆した。そこには歴代の帝の肖像画がかけられていた。
「あなたはここで雑用及び、小間使いとして動くことになります。粗相のないように」
シドニーはそう言うと一人のメイドを呼び出した。齢は20代後半で栗毛色の髪をした女であった。肌が白く眼の大きな美人である。
「第四宮のメイド長、マイラと申します。」
そう言うとマイラはスカートの裾を持って会釈した。メイド同士の正式な挨拶である。バイロンも同様の行いを見せ自己紹介した。
「では、マイラ、あとのことは頼みます。」
そう言うと執事長のシドニーはそそくさとその場からいなくなった。
*
マイラはバイロンを見ると第四宮のことについて説明しだした。
「あなたも、もう知っているとは思いますがこの宮は帝の御血縁が生活するための場所です。我々はその生活が円滑で健やかに送れるようにするのが仕事になります。」
宮中には第一から第四までの建造物があり、それぞれ別の用途で使われていた。第一宮は立法府、第二宮は司法府、第三宮は行政府、それぞれ異なる仕事を担っているが第四宮だけはその色合いが異なっていた。
「ここには一ノ妃を筆頭に二ノ妃、三ノ妃がいらっしゃいます。そしてもうひとり三ノ妃の嫡男、後のダリスの帝になられる皇太子がおられます。」
マイラは厳しい表情を浮かべるとバイロンを見た。
「我々はこの方たちの生活すべてに目を配らねばなりません、一切の間違いも許されませんので、その点、留意してください。」
マイラの『留意』と言う言葉の中にはそれができなかったときの処置が極めて厳しいという意味が込められていた。バイロンはそれに気づき、小さく頷いた。
「わからないときは常に私に確認してください、いいですね」
釘をさすよう言ったマイラの表情は厳しいものであった。
マイラは先ほどと表情を変えて続けた。
「そして、もう一つ我々の重要な仕事は式典や行事の遂行にあります。」
マイラはバイロンに『メイド心得』と書かれた冊子を渡した。
「これに詳しいことは書いてあります。常に携行しその中身を確認して下さい。」
業務会話を淡々と話すマイラの物言いは一部の隙もなく、微塵の遅滞もなかった。感情をおさえた話し方はメイドとしてのたしなみなのだろうが、バイロンには自分の素顔を隠すための擬態にも思えた。
「では早速ですが、動いてもらいます。」
バイロンが頷くと、マイラは早速、一階の窓掃除から始めた。
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掃除自体は大したことなかったが、窓が大きく高さがあるため上方を拭くには脚立が必要になった。バイロンは女優として舞台で様々な動きをしてきたためバランス感覚がよく、脚立の上でも難なく作業をこなした。通常なら、感心した表情を浮かべたり褒めたりするのだろうが、マイラは相変わらずのポーカーフェイスであった。
「そのくらいでいいでしょう、あとは午後の作業に回します。」
マイラはそう言うとバイロンに『ついて来い』と言う仕草をした。
「今から待機所に向かいます」
マイラに連れられバイロンが向かったのは第四宮の別棟であった。別棟はメイドたちの寮になっているようで、そこで生活ができるようになっていた。
見た目は石造りの一般集合住宅とは変わりなかったが、手入れが行き届いた待機所はやはり普通の住宅ではなかった。堅牢な造りと整然とした部屋の配置はいざとなった時に砦として機能するようになっていた。
「皆さん、今日からここで働くことになった新人を紹介します。」
マイラはそう言うと30人近く集まった食堂でバイロンをお目見えさせた。
皆、興味津々の表情を見せた。
「では、皆さんに挨拶して」
マイラに促されると、バイロンはハキハキトした声で挨拶した。すっきりしてよく通る声が食堂に響くと、見ていた30人は『オオッ…」と声を上げた。特に男性陣はバイロンの容姿に目を奪われたらしく、その顔は色めき立っていた。
マイラはざわめく彼らを制すると声を上げた。
「では食事にしましょう!」
*
テーブルにはバゲットと具だくさんのコンソメスープが置かれていた。特にこれといった特徴のないメニューだがバイロンは一口含むとその味に驚きを隠さなかった。
「このスープはやんごとなき方たちの食事のあまりものを材料としてるのよ」
話しかけたのは隣に座ったおさげの娘である。美人とはお世辞にも言えないが愛嬌のある顔つきで片方の頬にえくぼができていた。娘はバイロンと齢が近いこともあり親近感を持ったのだろう、にこやかに話した。
「素材はダリスで取れる一級品だから、余り物でも全然味が違うの。それに鮮度がいいから、えぐみやクセもほとんどないの!」
おさげの娘の言った通りで、コンソメスープの味は今まで口にしてきたスープとは違う上品さと嫌みのないコクがあった。
「わざわざ教えてくれてありがとう、あなたのお名前は?」
「私はリンジーよ」
リンジーが人懐っこい笑みを浮かべた時だった、
「食事中は静かに!」
マイラが間髪入れず注意するとリンジーはシュンとした。
*
食事が終わると再び窓を拭く作業が始まった。『なぜ故これほど窓があるのか』と言うほどの数にバイロンは驚きを隠さなかったが、マイラの次の一言はもっと驚くべきものであった。
「あと2階と3階がありますから。」
涼しい顔でマイラはそう言ったがさすがにバイロンも苦笑いするほかなかった。
*
窓を拭く作業はおわらなかったが18時になると作業はストップし撤収となった。
「一般業務は18時で終わりになります。『当番』の仕事がないときはこれでその日は終了です。」
「当番って何ですか?」
バイロンが尋ねるとマイラは『よくぞ聞いた』という表情を見せた。
「やんごとなき方のお世話です。通常23時ごろまで続きます。」
バイロンは納得した表情を見せた。
「第四宮の一番重要な仕事はやんごとなき方たちへの奉仕です。あなたはまだそこまで至っていないので2,3か月はこのまま修行でしょう」
マイラはそう言うと業務が終わったことを知らせるベルを鳴らした。
待機所に戻り、各メイドは業務報告を行うと19時を過ぎた。バイロンは夕食と風呂を済ませると割り当てられた部屋にむかった。
そこは2段ベッドの置かれた部屋で広さは8畳ほどになっていた。石造りの壁には窓が一つありそこにはカーテンがかけられていた。
「あっ、来たのね」
声を上げたのは昼食時にバイロンに話しかけたリンジーであった。
「私と同部屋だからよろしくね」
リンジーは愛嬌のある笑みを浮かべバイロンを歓迎した。バイロンはリンジーに対しまだ心を許す気はなかったが、とりあえず親しみのある表情を浮かべた。