第十一話
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図書館は行政地区に位置していてベアーの学校よりも大きかった。
『でかい、村とは比べ物にならない。』
3階建ての建物で1階が事務スペースと読書スペース、残りすべては本が納められていた。
「すいません、職探しの本を探しているんですけど」
ベアーがたずねたのは中年の眼鏡をかけた女である。女はベアーを見るといかにも司書といった口ぶりで応対した。
「2階の奥にある棚にB5からはじまる区画があります、そこにそうした本が置いてあります。」
ベアーは言われたとおり2階の奥に向かった。棚が一つしかなかったのですぐにわかったが、その棚が長大で目的の本を探すのに20分近くかかった。見つけた本の題名は『これからの人生』である。
『これからの人生』はほとんどの職業の大まかな情報が載っている。ベアーはこの本から大まかな職業の特性を調べ、その後、詳しい内容を別の本でチェックする方法を取ることにした。今日は初日なのでとりあえず、行政官の項目だけに目を通すことにした。
行政官の項目は基本的に上級学校を卒業した人間を中心としているため、ベアーのような初級学校卒業者のためには深く書かれていない。ベアーが調べたのは軍関連の項目と初級行政官の部分である。
初級行政官の項目はベアーが知っていた内容とほとんど変わらなかったため調べる意味はほとんどなかったが、軍関係に関しては知らないことが多く収穫があった。
1 衣食住にかかる費用の一切は国で支給
2 訓練は初等部では早朝6時から夕方3時まで。
3 初等部では希望した者すべてに学問を学ぶ機会があり、試験を通れば上級学校卒業と堂々の資格が与えられる。
4 月々450ギルダーの手当てがでる。
以上はベアーにとって魅力的な部分を書き出したものだ。願書の出し方や期限に関してもメモを取った。
『金をためるなら、この選択も悪くないな』
近年隣国との戦争の可能性はほとんどなく最近では軍の存在さえ危ぶまれていたが、予算は確保されている。軍人になる気はなかったが待遇に関しては悪くない。商人を調べて乗り気でなくなったら軍人に鞍替えしようと思った。
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ベアーは図書館を出ると商業地区に向かった。辺りは黄昏時で夕闇が町を覆い始めていた。メインストリートを行きかう人々が夕餉の買い物をしている姿が目に映った。村とは違うせわしない光景に『街』の暮らしが垣間見えた気がした。
『これが街か……村とは違うな……』
メインストリートを歩く人々の姿は帰路につく者がほとんどだが、その速さは想像以上に速い。村と街との生活習慣の違い、特に時間の経過の仕方が全く異なっていた。
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宿に戻るとベアーはすぐに食堂に向かった。給紙棚の上には寸胴に入った乳白色のスープと胚芽パンそれから柑橘系の果物が置かれていた。ベアーは皿にスープをよそうと口に運んだ。中には鶏肉のぶつ切りと大きめに切られた野菜や芋が入っていた。たいしてうまくないが節約になるので夜飯が出るのは助かった。
食事の後は風呂に入りその後すぐにベッドに潜った。野宿のせいもあるがかなり疲れているらしく瞬く間に睡魔が襲ってきた。
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気づくと明け方になっていた。ベアーは早めに身支度を整えると今日一日の計画を練ることにした。
『午前中は図書館に行って、午後は休みにしよう』
大きな街の観光は初めてのためベアーの心は躍った。
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午前中の図書館は新聞を読む老人以外はほとんどおらず、静かなものだった。ベアーは昨日の本を読むため二階の奥へと足を進めた。『これからの人生』を棚から見つけると席に着いた。そして気になる項目のページを開いた。
ベアーは初めに金融関係の仕事に目を通した。両替商を筆頭に株や債券を取引するディーラーやブローカー、そして僧侶が嫌う金貸し、質屋などが記されていた。 小切手を手に入れたことで両替商に興味もあったが上級学校に進む必要があるため両替商はパスすることにした。
貿易商のくだりには『異なる地域や国から物資を運ぶので外国語能力がないと対応できない』と記されていた。上級学校に行く必要はないのでこの点は利点だが外国に買い付けに行くなら言葉ができないと仕入れはできない。
ベアーはダリス語を母国語としているが、その他の言語に関しては疎い。初級学校で公用語であるトネリア語は学んでいるが、ダリス語とは全く異なる文法体系のため簡単な会話しかできなかった。交易という点からはトネリア語を習得すれば武器になることは間違い無い。
『トネリア語を学んで貿易商か…ハードル高いけど…面白そうだな』
ベアーは言葉習熟に関しては違和感がなかった。学校の成績ではたいしてよくなかったが、貿易商になるのであれば学ぶのも悪くないと考えた。
『これを第一志望にするか…』
ベアーはそんな風に考えた。
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午後は商業地区を見てまわった。富くじを引いたり、民芸品を見たり、屋台で汁ソバを食べたりと、なかなか充実した一日となった。特に汁ソバは屋台によって違いがあり興味をひかれた。鶏ガラでスープを取る店、魚のアラから出汁を引く店、太麺を使う店など様々あった。価格も手ごろでミズーリでの昼食は汁ソバを中心に据えようとベアーは思った。
*
ベアーが宿に帰ると奇妙な人だかりができていた。変わった着物を着た人間が大きな黒いケースを持って2階に上がっていく。ベアーは興味津々にその姿を眺めた。
「あの人たち、何ですか?」
ベアーが尋ねると宿屋のカウンターの男が答えた。
「楽団の一座だよ、まあ、この宿に泊まるってことは芸人としては2流だろうな」
楽団を見るのがはじめてのベアーは興味を引かれた。商いの中に興行というジャンルがあるからだ。興行は楽団や劇団といったものもあるし歌手や俳優を養成する学校やプロダクションといったものもある。商業のなかで一番化ける可能性があるのはこの業界であろう。
荷物を運ぶ楽団員を見ていたら、同じくらいの年齢の少年がいるのに気づいた。思い切って話しかけようかと思ったが、忙しくしているので声をかけるのは後にしようとベアーは思った。
*
部屋に戻りベアーは日記をまとめると夕飯のために食堂に向かった昨日と全く同じたいしてうまくないスープを口に運んでいると例の楽団の一座が入ってきた。ベアーは気になって楽団員の話に耳を傾けた。
「座長どうするんだろうな?」
「何が?」
「この町だとそんなに稼げないだろ」
「そりゃ、都から来てる劇団がいりゃ、俺たちレベルじゃ太刀打ちできないな」
話しているのは20歳くらいの男の楽団員である。
「長く居ても2週間位だろ、そのくらいなら、飽きられないし宿代くらいは何とかなるし」
「そうだろうな…」
都の劇団といえばベアーの村でも知らない者はいない。厳しい選考を勝ち上がった芸術界の精鋭のことである。そこで厳しい稽古を耐えた研究生たちは正規の劇団員として認められ世に出るのだ。当然、残ったエリートたちは全国に名だたるスターとして輝く存在になるのである。
だが、ベアーの目の間にいる楽団はそこまでハイレベルのものではなさそうだ……
「座長の娘が前座で歌うって知ってたか?」
「えっ、そうなんだ」
「お前、聞いたことある?」
「ないよ、自分のパートのことで一杯だから」
劇団員がそんな話をしているときだった、ベアーが話しかけようとした男子が食堂に入ってきた。
「おい、ラッツ、座長の娘って歌、上手いのか?」
「いや、聞いたことないんで…」
「お前、知ってんだろ」
ラッツと呼ばれた少年は黙っていた。
「黙るってことは下手ってことだな」
「いや、下手では…」
「もういいよ」
先輩の楽団員はラッツとの会話を切るともとの相手との話に戻った。ラッツはスープをよそってパンを取ると窓際の席に着いた。
*
ベアーは思い切って窓際の少年に話しかけようと思った。
「あの…」
「誰だい?」
「僕は隣の部屋で泊まってるんですけど」
ラッツはパンをちぎっていた。
「それで?」
「その楽団員なんですか?」
「ああ、見ればわかるだろ」
ラッツはサバサバとこたえた。別に嫌味な感じではないが無駄な話はしたくないといったかんじの答え方だ。
「この街で興行するんですか?」
「ああ、そうだけど……もしかしてチケット買ってくれるの?」
ベアーは買う気はなかったが、話が聞けるならいいと思った。その様子を見てラッツの様子が変わった。
「いくらですか?」
「大人一枚35ギルダー」
「結構高いんですね、ここの宿賃くらいだ」
「都の劇団の特等席だと300ギルダーとかするんだぞ」
「えっ」
ベアーは目が点になっていた。
「買うの、買わないの?」
少年の目は商売人のそれだった。
「じゃあ、一枚、あっ、その代わりいろいろ聞かせてもらっていい?」
「お前、楽団に興味あるの?」
「いや、楽団っていうか、興行全般に」
「何で?」
少年は訝しげにベアーを見た。
それに対してベアーは自分が旅をしていて将来の職を探していることを簡単に説明した。
「お前、僧侶なの? そりゃ、喰えない職業だね、って言うか、売れない芸人並だもんな。いいぜ、払ってくれれば多少のことは教えてやるよ」
少年はそう言うと35ギルダー要求した。
ベアーがシブシブ金を払うと少年は明るい表情を見せた。
「で、何が聞きたいの?」
ベアーは少年に言われ、いろいろと質問した。例えば興行の世界の仕組みとか、売れたらどうなるとか、具体的にどんなことをするのか、といった具合に。
少年の応答は簡潔でわかりやすかった。
「そんな感じなんだ……」
ベアーは全く知らない知識にフムフムとうなずいた。
「ところで、君は、この仕事をどのくらいやってんの?」
「2年だね」
「2年も……だって君、僕と同じくらいの年だろ、初等学校は?」
「学校ふけたからな、芸人になるのに学校って意味ないの、物理とか化学とか関係ないだろ」
言われてみればそうだと思った。
そんなときである、座長と思しき人間が食堂に入ってきた。
「また、明日にしよう、チケット買ってくれたから、じゃあな」
そう言うと少年は楽団員のいる席に移っていった。
「芸人か、なんか大変そうだな、上下関係とか集団生活とか…」
ベアーは学校や社会の中で生活するのは苦ではなかったが、部活や文化祭も含め団体行動が苦手だった。団体行動が嫌いというよりは気質的に合わずついていけないというのが本当のところだ。2年も下端でこき使われているあの少年は大変だろうと思った。