第二十一話
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ベアーはウイルソンの手紙を見てからその指示の通り、ドリトス近郊の牧場を廻ったが、どの牧場も渋い表情を見せるだけで羊毛の在庫確認はさせてくれなかった。
だが、
『本当は交渉したいんだよ……』
と言う目を見せる生産者もいてギルドの締め付けと生産者の意向との間にギャップがあることもわかってきた。
『ロイドさんのほうががうまくいけば、取引できるかもな……』
ベアーはそんな思いを胸に秘めた。
*
その後、ベアーは街に戻った。
「疲れたな、かなり歩いたからな」
ベアーはそんなことを思い宿屋に足を向けると、裏路地の方から罵声が聞こえてきた。いつもならさほど気にせずスルーするのだが、ベアーは何となく気にかかり現場のほうに足を向けた。
「なめてんのか、てめぇ、この野郎!」
ガラの悪い連中が一人の男を囲んで蹴り上げていた。
「トーマスなんざ、不倫野郎だろうがよ!」
そう言うと囲んでいた別の男がさらに蹴り上げた。
「何が不正だ、証拠もないのに、ふざけた話をしてるんじゃねぇ!!」
ベアーは様子を見ていたが暴力が明らかにエスカレートしだした。
『ヤバイ、あの人、殺されるちゃう』
ベアーがそう思った時である、嬲られていた男が顔を上げた。
「トーマスさんは不倫なんかしてねぇ、お前らが嵌めたんだろ、口裏を合わせて潰しにかけたんだろ!!」
『あれ、チャドさんだ』
ベアーの中で危機感が生じた。
『どうしよう……そうだ、この手でいこう』
ベアーは大きく息を吸い込むと大声を出した。
『治安維持官だ、治安維持官が来たぞ!!!』
その声を聞いた男たちは焦りを浮かべた。
「次はねぇからな、この糞野郎。うちにたてつく奴は容赦しねぇ!」
そう言って男達は最後に一撃くわえると蜘蛛の子散らすようにその場からいなくなった。
*
ベアーはチャドに近づくと様子を見た。かなりやられているようで全身に打撲痕と青あざができていた。ベアーは早速、回復魔法(初級)を施した。
「大丈夫ですか?」
ベアーが尋ねるとチャドはつらそうな顔をした。回復魔法の初級では手に負えないほどまで至っていた。
『マズイな……だいぶひどいかも……』
そう思った時である、チャドが口を開いた。
「トーマスさんの所に、あの人は薬師だから……」
ベアーは頷くと、ロバの背にチャドを載せてトーマスの自宅へと急いで向かった
*
トーマスの家までは街から小一時間かかった。母屋の戸を叩くと程なくしてトーマスが現れた。
「どうした、こんな時間に?」
すでに暗くなっていたためトーマスは人が尋ねてくると思っていなかったようでかなり驚いていた。
「チャドさんが、街で、暴漢に!」
ベアーがそう言うとトーマスはロバの背に乗せられたチャドに近づいた。
「これはマズイな、母屋に運ぶのを手伝ってくれ!」
言われたベアーはうなずくとチャドの足を持った。
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チャドの状態はかなり悪かったが、ベアーの回復魔法(初級)と薬師としてのトーマスの力で一命は取り留めた。チャドが若かったことと応急処置が速かったことが功を奏した。
ベアーは治療が終わるとチャドが襲われていた時のことをトーマスに話した。
「そうか、チャドは私の潔白を……訴えていたのか……」
ベアーはそう言ったトーマスの顔をチラリと見たがその表情は複雑であった。あえて表わすなら『煮え切らない』という感じであった。
ベアーはその表情を見て、思い切って自分の疑問をぶつけることにした。
「トーマスさん、本当に不貞行為はあったんですか?」
トーマスはベアーを見ると即答した。
「ない。私は不貞行為はしていない。」
トーマスの言い方があっけらかんとしているのでベアーは驚いた。
「じゃあ、なぜ、濡れ衣だと訴え出ないんですか?」
ベアーがそう言うとトーマスは肩を沈めた。
「この勝負は勝てないんだよ、ベアー君」
そう言ったトーマスの表情は暗く陰った。
*
トーマスはその後、状況をわかりやすく説明した。ベアーはその話を聞くうちにトーマスの置かれた状況が完璧すぎるほどに追いやられているのに気付いた。
「私が羊毛ギルドの長の所に寄付を募りに行った時だった。その後妻に入った女が私に言い寄ってきた。妙になれなれしくな……私はおかしいと思ったが……」
トーマスは悔恨の表情を浮かべた。
「すでに遅かった。気づくと私はベッドの上にいた。隣ではあられもない姿になった女がすすり泣いていた。」
トーマスは続けた。
「ちょうどそこへ、ギルド長がやって来た。」
ベアーは思った『タイミングが良すぎる……』と、
「その後、ギルド長は私を寺院に告発したんだ。後妻に入ったマリーと言う女は私に嬲られたと証言し、私は寺院を追放された。」
ベアーは完璧なシナリオが存在するのではないかと疑いたくなった。
だが、そこで新たな疑問が生まれた。
『どうしてトーマスさんは嵌められたんだ……』
素朴な疑問ではあったが、この疑問は現状を認識するうえで核心とも言うべきものであった。ベアーは思い切って尋ねた。
「トーマスさん、どうしてあなたは嵌められたんですか?」
言われたトーマスは下を向いた。
「これ以上、深入りすると、君もチャドのようになる……危険だ」
トーマスはそう言ったがベアーは聞かなかった。
「ここまで来たんです、教えてください!!」
ベアーに真正面から見据えられたトーマスはフッと息を吐くと母屋の別室に向かった。しばらくすると厚手の封筒に入った羊皮紙を持ってきた。
「何かわかるかね?」
「これは……」
ベアーは実家の礼拝堂で祖父が同じものを見ていたのを思い出した。
「お布施の帳簿ですね」
正式な文章(会計書類)は羊皮紙に記されるのが僧侶の世界では一般的だが、トーマスの持ってきた羊皮紙はまさにそれであった。
トーマスは深く頷いた。
「当時、私は司教の仕事と同時に出納係を務めていたんだ。だがその時あることに気付いた。」
そう言うとトーマスは羊皮紙の最後の収支表を見せた。
「これ……」
ベアーは思わず声が漏れた。
「そうだ、使途不明金だ。」
ベアーは使途不明金の金額を見て目が飛び出そうになった。
「何なんですか、この金額、うちの祖父の給料の100年、いや200年分くらいありますよ!!」
ベアーが素っ頓狂な声を上げるとトーマスは淡々とした声で続けた。
「私はこのことを告発しようとしたんだ……だが……」
トーマスは目を細めると虚空を睨みつけた。
「こちらの方が先に潰された。」
トーマスの口ぶりは寺院のお布施の使途不明金が、寺院以外にも飛んでいると知らしめていた。
「ベアー君、この事件はね、闇が深い……」
そう言ったトーマスの顔は魔王と対峙する子羊のようであった。
『勝ち目がない……この戦い……』
ベアーは瞬時に思った、だがそれと同時に熱いものも沸き起こった。
「トーマスさん、僕も僧侶です、この羊皮紙があるなら告発するべきです。」
若さというか蒼さというかベアーはドリトスを覆う闇を焼き払おうという気になっていた。
「理不尽な扱いを受けて、そのまま寺院の不正を見逃すのは人として良くないと思います。それにこれだけの使途不明金を出して知らぬ顔をしているドリトスの寺院は許されるものではありません。お布施をしてくれている方たちにも示しがつきません。」
貧しい僧侶としての日々を送ってきたベアーにとってドリトスの寺院のありようは許されざるものであった。
「ベアー君、君の言うことはもっともだ。だが、すでに私は僧侶の身を追われたものだ。私はすでに告発できる立場にない。審問委員に告発するには僧侶と言う立場でなければできないことだ……それにこの帳簿も勝手に持ち出したものだ、証拠としては……」
トーマスは寺院を追われた時に嫌と言うほどの政治的な圧力を受けていた。勝てる戦いでない以上、今の状態に甘んじていたほうがいいのではないかという『大人の打算』があった。
そんな時である、仰臥していたチャドが身を起こした。つらそうな表情を浮かべるとひどく腫れた脇腹をおさえた。
「トーマスさん、あんたみたいな人がいてくれないと、貧しい人間はどうにもならないんだ。……医者にかかれない亜人の連中や、葬式さえ出せない家でもあんたは面倒見てくれた。でも……それも司教と言う立場があっての事だろ……」
必死に語りかけるチャドの姿は何とも言えないものがあった。あまり頭も良くなく、学もない、チャドであったが切々と訴えかけるその言葉に嘘はなかった。
「寺院のバックアップがなければ、薬の材料や、調合するための道具なんかも手に入らないだろ……そうすれば俺たちも治療を受けられない……あんたはやっぱり僧侶でいるべきなんだよ……」
言われたトーマスは肩を震わせた。
『やっぱりトーマスさんは……』
ベアーはトーマスの震えの中に聖職者としての誇りがあることを見逃さなかった。
「そのアンちゃんだって、僧侶なんだ、力を借りて告発すればいい。うまくいけば今の寺院にも風穴があくかもしれねぇよ」
言われたトーマスは沈黙した。
しばし間が開き……
ベアーはトーマスの顔つきが変わったのを見逃さなかった。トーマスの表情は隠棲した隠居から血気盛んな武闘家のそれへと変わっていた。
「ベアー君、悪いが手伝ってもらえるかね」
言われたベアーは頷いた。
「僕は僧侶を辞めるつもりですが、今の寺院のあり方はゆるし難いものがあります。この件に一石、投じないわけにはいきません。お手伝いします。」
こうしてベアーとトーマスの寺院に対し反撃ののろしをあげることになった。