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第二十話

52

母親の見舞いを終えた翌日、バイロンはマーベリックとともに馬車に乗っていた。かなりの距離を移動しにもかかわらず馬車は休憩以外では止まらず、朝から晩まで走り続けた。


「どこに向かっているんですか?」


バイロンが尋ねるとマーベリックは乾いた声で答えた。


「都だ」


「何をするんですか?」


 バイロンが怪しむとマーベリックはバイロンをじろりと見た。その目は今までにない冷たさがあった。


「君には宮中で働いてもらう。」


 淡々とした口調の中に何やら秘密めいた響きがあった、バイロンはそれを見逃さなかった。


「どういうことですか?」


「メイドとして仕え、そこで見たもの、聞いたもの、全てを把握し、レイドル侯爵に報告してもらう。」


バイロンは一瞬にしてレイドル侯爵の意図を看破した。


『スパイになれってことね……』


バイロンは口にこそ出さなかったがその意図を読み取った。


マーベリックは続けた。


「厳しいことは何もない、だが、宮中に身を置くものは様々なことをその耳に入れることになる。否が応でもな……」


マーベリックはバイロンを見た。


「君にはそのすべてを見てもらう」


そう言った時であった、馬車の窓から帝宮が視野に入った。


                     *


 マーベリックはバイロンを連れて裏門を抜けると宮中で働く人間が寝泊まりする寮に入った。


「レイドル侯爵の執事、マーベリックです。話は通っていると思いますが。」


 寮の受付に行くと30代のメガネをかけた女が二人を見た。中肉中背のどこにでもいそうな女だがその醸す雰囲気はどことなく雅なものがあった。


「どうぞ、こちらに」


女は立ち上がると二人を奥に通した。


 奥の部屋ではメイドを束ねる執事長がいた。齢の割にしわが少なく若く見えるがその眼光は鋭く光っている。


「お話は承っております。そちらの娘ですね」


「ええ、お願いします。」


マーベリックはそう言うと60歳を超えた執事長の女に会釈した。


「では、私はこれで、あとはお願いいたします。」


そう言うとマーベリックはバイロンの耳元でささやいた。


「水曜の正午、時計台の所で報告を受ける。くれぐれも忘れるな」


マーベリックは深く執事長にお辞儀すると部屋を出て行った。



執事長はマーベリックが部屋から出るのを確認するとバイロンに一言かけた。


「ようこそ、女の園へ」


その顔には『善』とも『悪』ともつかぬ透明の狂気が垣間見えた。



53

バイロンは先ほどの受付の女に、割り当てられた部屋へと案内された。


「あなたは本日から一週間、メイドとしてのマナーやここでのルールを学んでもらいます。荷物を置いたら、これに着替えて一階のロビーに来てください。」


メガネの女は淡々と言うと目を三白眼に変えた。


「早く、着替えなさい!!!」


 バイロンは理不尽と思える女の豹変ぶりに戸惑ったが、とりあえず言うとおりにすることにした。


『これは前途多難だわ……』


バイロンの『女の園』での戦いが幕を切った。


                         *


 バイロンはメイド服に着替えると言われた通りロビーに向かった。そこでは先ほどの女が待ち構えていた。メガネの女はニヤリと嗤うとバイロンに声をかけた。


「今週は10人のメイド志望の娘がやってきましたが、皆、辞めました。あなたも多分駄目でしょうけど、一応、躾させていただきます。」


バイロンは『躾』という言葉に不愉快さを感じたが、先ほどのメガネ女の様子から『さもありなん』という思いも生じていた。


「では、早速、始めましょう。まずは掃除からです」


メガネ女はそう言うと陰険な表情を浮かべた。


                         *


 メガネ女のやり方は良く言えば軍隊調、悪く言えば調教、どちらかと言うと後者の言葉が当てはまるものであった。だがバイロンはコルレオーネ一座に入った時に雑用をこなす機敏さを身に着けていたのでメガネ女の指示はさほど苦にならなかった。


『何、この娘……思ったよりも……』


そつなくこなすバイロンの所作にメガネ女は不愉快な表情を浮かべた。


『ぐぬぬぬ……』


こうして初日の調教はバイロンに軍配が上がった。



 翌日は宮中の行事や、そこでの立ち居振る舞いに関しての講義及び所作の確認が行われた。メイドとしての礼儀作法は実にめんどうで、無駄な動きも多く効率性という点では意味のない動作も多かった。


「それではいけません」


メガネ女はバイロンの腕を鞭(馬上鞭、50cmほど長さで柔軟性がある)で打った。


「宮中で上級貴族を迎える立場のメイドはその振る舞いがエレガントでなければなりません。」


メガネ女はそう言うと再び、所作に関しての説明をした。


バイロンは内心『ウゼェー、このババア』とは思ったが抵抗すれば鞭打たれることはわかっているのでとりあえず服従の姿勢を見せた。


……だが、それがメガネ女の気に障ったらしく再び腕を鞭打たれた。


「鞭打たれることを恐れ、取り繕おうとするその態度は良くありません。貴族の方はそうしたところに目を配ります。」


 メガネ女はそう言ったがその顔には明らかに『わざとやったんたよ、この小娘が!』という嫌らしさが出ていた。


『クソッ……何なんだ、このメガネ……』


バイロンは歯を食いしばった。


「では、次の項目に移りましょう」


 メガネ女は淡々と言うと宮中での給仕の仕方とその作法を教えた。教える気があるのか、ただけなしているのか判断のつかない口ぶりはバイロンをわざと苛立たせようとしているとか思えなかった。


『この人の意図は何なんだろう……』


バイロンはメガネ女の意図が読み取れずその心中は複雑であった。


                      *


 それからの5日間、バイロンはメガネ女のマンツーマンによるいじめともしごきとも思える指導をうけた。内心はらわた煮えくり返るような事態もあったが、バイロンはその理不尽さに耐えた。


『明日で終わり……この後どうなるのかしら……』


 バイロンがそんなことを思っていると執事長から突然の呼び出しがあった。初日以外は顔も合わせずその姿さえ見ていなかったためバイロンは驚いた。


                      *


 執事長のシドニーはバイロンが部屋に入ってくると頭から足の先まで目をやった。


「この短期間で、それなりになるとは……正直、おどろきね……」


 そう言うとシドニーはバイロンに近寄った。60歳を超えて矍鑠としたシドニーの立ち姿は老婆には微塵も見えない。


「レイドル侯爵の推薦であなたを宮中のメイドとして使うことになっているけど、正直、どうするか迷っているの」


シドニーはバイロンをジロリと見た。その眼にはマーベリックと同じ黒い焔がともっていた。


「あなたの履歴が良くわからないのよ、宮中で働く人間には能力以上に出自が重要なの」


バイロンは自分が娼館で働いていたことをすでに悟られていると感じた。


「ポルカの劇団で女優をやっていたんですって?」


 執事長はねめつけるようにしてバイロンを見た。バイロンはその眼を見てたじろいだがヘタに嘘をついてもばれると思い素直に頷いた。


「ここに来たのはなぜ?」


核心をつく質問であったがバイロンは答えるかどうか迷った。


「正直に言えば……こちらから手を回すこともできのよ、もしレイドル伯爵に恐喝されているなら、相談に乗れるけど」


シドニーは老獪な笑みをバイロンに向けた。


だがバイロンは沈黙を通した、何を言えばいいかわからなかったからである。


シドニーは先ほどよりも厳しい目つきでバイロンを見た。


「宮中では働くということはそれなりの覚悟してもらわないといけないの、これが最後、あなたのことを教えてちょうだい」


シドニーの眼光は殺意さえ含んだ輝きを放った。


バイロンはその強烈なプレッシャーに潰されそうになった。


バイロンは震え上がり、ただ黙り込むほかなかった。



しばし時が流れると執事長はおもむろに口を開けた。



「合格よ、バイロン。明日から宮中で働いてもらう。」



シドニーはそう言うとバイロンに部屋から出るように言った。


                     *


しばらくすると執事長の部屋にメガネ女がやってきた。


「執事長、いいのですか、あの娘」


メガネ女は気に食わないというオーラを全身で醸していた。


「娼館上がりの売女じゃないですか!!!」


 既にバイロンの履歴を洗っているようでその過去から宮中で働く資格がないと判断していた。


だがシドニーはそれを意に介さなかった。


「レイドル侯爵と一ノ妃様が懇意にしているのは知っているでしょ。レイドルの推薦となれば邪険にはできない。」


メガネ女は頷いた。


「でも、あんな下賤の輩……帝宮に置くなんて……」


メガネ女は不服そうな表情を浮かべた。


「あの娘は私の試練に耐え凌いだわ。宮中で身を置く人間として『沈黙』を保てる者はそうはいない。」


 シドニーがそう言うとメガネ女は唇をワナワナと震えさせた。その表情にははっきりと『気に食わない』と書いてあった。


シドニーはその表情を見て淡々とした口調でメガネ女に語りかけた。


「あなたの気持ちはわかるけど、今の段階ではどうこう言うほどの失態は見せていない。あなたがあの娘を追い出したいと思うなら、それに足りうるだけの『何か』を見つけていらっしゃい。」


そう言った執事長の眼は『やれ』と暗に示していた。


メガネ女はそれを察するとニンマリとした表情を浮かべた。




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