第十九話
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ベアーが薪を割り終え、母屋に入ると実にいい匂いが香ってきた。
『何だろう?』
テーブルを覗くとベアーの目に大きなグラタン皿に盛られたジャガイモのチーズ焼きが飛び込んできた。
トーマスはベアーの顔を見ると声をかけた。
「せっかくだから、昼を食べていきなさい」
既にルナは席についていてフォークしっかり握っていた。その顔には『お前も速く座れ』と書いてある。
ベアーは暇乞いしようと考えていたが結局、相伴にあずかることになった。
こうして食事が始まったがジャガイモのチーズ焼きは想像以上の味だった。薄くスライスしたジャガイモにミートソースをかけ、その上に粉チーズをかけてオーブンで焼いた一品だがシンプルな料理とは思えぬ味わい深さは驚嘆に値した。
「美味しいです」
ベアーは正直な感想を述べた。
「さっき取ってきたジャガイモだ。鮮度が違う」
トーマスがそう言うとルナも声を上げた。
「このミートソースも美味しいです」
「それは子羊のミンチ肉をつかっているんだ。こっちも鮮度がいいから臭みはないよ」
実際、トーマスの言った通りで臭みは微塵もなくベアーは初めての子羊に舌鼓をうった。いい感じで焦げた粉チーズがミートソースと調和し、薄く切ったジャガイモにアクセントを加えた。簡素な一品だがその味は奥深く、ベアーは侮れないと思った。
だが、食事中の会話はそれだけだった。不倫した元司教との会話に何を話せばいいかわからず、ベアーは微妙な距離感を置くほかなかった。ベアーは食事が終わるとすぐに席を立とうとした。
「御馳走様でした。」
ベアーの言葉にトーマスは小さく頷いた。トーマスもベアーの心境をわかっているのだろう、無駄な言葉をかけなかった。
「じゃあ、ルナ、行こうか」
ベアーはルナを促すと深くお辞儀した。
「お世話になりました。」
ベアーはそう言ってドアを開けた。
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その時である、血相を変えて一人の男が走りこんできた。
『あっ、この人……」
ベアーはその顔からすぐにその男のことがわかった。寺院に怒鳴り込んできたDQNの青年である。
「食事中だぞ、どうしたんだ、チャド?」
息せき切らして部屋に入ってきたDQNの青年にトーマスは声をかけた。
「うちの親方が屋根から落ちたんだ」
トーマスの顔色が変わった。
「左の足を……」
チャドがそう言うとトーマスが席を立った。
「すぐに用意する、待っていろ」
トーマスはそう言うと母屋を出て隣接した小屋に向かった。
*
母屋にはルナとベアー、そしてチャドが残された。チャドは何ともなしにベアーを見ると、口を開いた。
「あっ、お前、あの時の!!」
DQNの青年はベアーに気付いたようで大きな声を上げた。
「悪かったな、あの時は……俺、トーマスさんがクビにされたって聞いてブチ切れちゃってよ」
チャドは見た目こそDQNだが根が悪い人間ではないらしい、正直に謝る態度にベアーは純朴さを感じた。
「濡れ衣で、司教をクビにするなんて、寺院の奴ら許せないだろ!!」
ベアーは『濡れ衣』という言葉に首をかしげた。
「お前も、トーマスさんが不倫したと思ってんのか?」
チャドの言葉遣いが荒くなった、ベアーはまたキレるのではないかとおもいかぶりを振った。
「あの、クソ女、うその証言しやがって……」
ベアーは気になりチャドに質問した。
「濡れ衣って、どうしてわかるんですか?」
「聞いたんだよ、俺、この耳で!」
そう言うとチャドは当時のことを訥々と語り始めた。
*
チャドの話を聞いたベアーは微妙な表情を浮かべた。
「それを見たんですか?」
「ああ、あの証言をした女、マリーっていうんだけど、その兄弟が酒場のVIPルームでそう言ってた。」
チャドは酒場に行ったとき、マリーの兄弟が酔った勢いで不貞行為を否定する言動を示していたことを話した。
以下はその会話である:
《あの司教、まんまとうちの姉貴に嵌められたな》
《姉貴にかかればちょろいに決まってんだろ。》
《これであの司教も終わりだな》
《ああ、そうだな。しかし、寺院の奴らも悪いよな……》
《あのトーマスって野郎に弱みを握られるや否や、俺たちに頼み込んできやがって》
《ああ、法衣の下は真っ黒ってことよ》
《おかげで、こっちもうまい汁を吸えそうだけどな》
マリー兄弟のやり取りをチャドから聞かされたベアーは腕を組んだ。
『チャドさんは嘘を言っていない。ひょっとするとトーマスさんは不倫してないんじゃないか……でも酒場の話じゃ証拠としては認定されないだろうし……』
ベアーの中で疑念が沸き起こった。
そんな時である再びチャドが声を上げた。
「お前も、僧侶なんだろ、トーマスさんの濡れ衣を晴らしてくれよ!」
チャドはそう言ったがベアーは『無理だ』と言う表情を見せた。
「僧侶の世界では道徳的な問題の場合、疑われるようなことをしたこと自体が問題になるんです。濡れ衣と言うならそれを払拭するだけの客観証拠がないと」
ベアーが淡々と言うとチャドは肩を落とした。
「どいつもこいつもそうだ、証拠、証拠って、確かに俺の証言じゃ不安だろうけど……」
ベアーはチャドを見た。
「その証言した女性はどんな人なんですか?」
ベアーが尋ねるとチャドは不愉快そうな表情で答えた。
「羊毛ギルドの奴だ。ギルド長の後妻になった女だよ」
ベアーは羊毛ギルドと聞いて目を瞬かせた。
「それは本当ですか?」
「嘘ついたってしょうがねぇだろ!」
そう言うとチャドはトーマスの後を追って母屋から出て行った。
*
「ねぇ、ベアー、今の話……」
ルナが珍しく神妙な顔をした。
「うん……ひょっとしたら、羊毛ギルドとトーマスさんの追放には関連があるのかも……」
ベアーはチャドの発言の内容を吟味した。
「でもさ、何でトーマスさんは訴えを起こさないの。不倫していないんならきちんとそう言えばいいのに!」
ルナの発言はもっともであった。
「普通なら、寺院に申し開きするんだけど……」
しかるべき時にしかるべき発言をしなければ白も黒になる。トーマスの場合はすでにそのタイミングを逸していた。
『なぜトーマスさんは……訴えを起こさないんだ……やはり不貞行為は本当なのか……』
僧侶としての道を踏み外した可能性が否定できないため、ベアーの疑念は払しょくできなかった。
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その後、ベアーはウィルソンに言われた通り、街から離れた牧場に行って羊毛の事をたずねた。だが、在庫の状況さえ教えてもらえず邪険にされた。
ギルドの名こそ出さなかったが、かなりのプレッシャーがかけられているようで、牧場主の態度はあからさまであった。
「さっきの太った人、酷いよね、何、あの態度!」
ルナは遠目からロバとともにベアーの様子を見ていたが、つっけんどんな牧場主の態度に腹を立てていた。
「あんなもんだよ、ギルドを通した取引以外はみんな潰されるから、生産者はピリピリしているんだ。それに……抜け駆けすれば、ひどい目に……」
ベアーはここ最近の羊毛生産者の様子からこの牧場も相当の圧力がかけられていることに気付いた。
「普通はね、在庫の状況ぐらいは教えてくれるんだ。それさえ嫌がるのはちょっと異常なんだよ。」
ルナは難しい表情を見せた。
「さあ、日が暮れないうちに帰ろう。」
ベアーはそう言うと街にむけて歩みを進めた。
*
ベアーが街についた時には日は暮れ、辺りは夜の帳が下りていた。だが街のメインストリートには明かりが灯りそこだけは別世界になっていた。最近の公共事業のおかげで明かりが灯るようになったのである。ベアーはその明りを頼りに宿に戻った。
ベアーは宿屋に戻るとすぐに食事をたのんだ。味は良くなく、メニューも変わらないため、そろそろ飽きてきたが空腹よりもマシである。
ベアーが声をかけると宿の主人はシチューと胚芽パン、それと手紙を持ってきた。
「速達が届いてるよ」
言われたベアーは封筒に目を通した。
『ウィルソンさんからだ。』
ベアーは封を破ると早速、中身を読んだ。
『ロイドさんは羊毛ギルドの規約が異常なことを訴えるため都に向かった。その手続きには一週間はかかるそうだ。お前はそっちで待機して引き続き牧場の状況を確認してくれ。それから何かわかればこっちに速達で知らせるように。
追伸
ロイドさんからのプレゼントを同封しておく。』
ベアーは『何だろう?』という思いを胸に。同封されていたモノを手に取った。
『単語帳ジャン……公用語の……』
サイズこそ小さいがその中身はつまっていてびっちりと単語と熟語が記されていた。
『さすが、ロイドさん、抜け目がない……』
羽が伸ばせると思っていたベアーは冷や水をかけられた。