第十七話
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ベアーはウィルソンに言われた通りドリトス近郊にある牧場に出かけることにした。街から離れた牧場まで足を延ばさねばならず、移動距離は片道で10km近くある。
『どうしようかな……途中まで幌馬車でいくかな……でもロバを宿屋においていくと厩代が別途でかかるからな……』
そんなことをベアーが出発前に考えているとベアーとロバの前に珍客が現れた。
「ねぇ、どこに行くの?」
ニヤニヤしながら話しかけてきたのはルナであった。
「今から仕事なの、遊べないの!」
ベアーがきつめの口調で言うとルナはムスッとした顔をした。
「ルナも仕事があるだろ!」
ベアーがそう言うとルナは口を開いた。
「今日は休みなの!」
「じゃあ、一人であそんでね、じゃあね」
「何、その言い方、レディーに失礼でしょ!」
ルナは嫌らしい目つきでベアーを見るとポツリと漏らした。
「私、お客さんから羊毛ギルドの事、聞いちゃったんだよね~」
「えっ?」
「まあ、聞きたくないなら……いいか……」
ルナはベアーを見てニヤリとした、その笑みには魔女らしい計算高さが浮かんでいた。
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結局、ルナはついてくることになった。
「さっきの話なんだけどさ、お店のお客さんが言うには……去年からギルドの幹部が変わって、やり方が変わったんだって」
ルナはチーズを売る時、立ち話をする客の話を聞いていたためギルドに関するうわさを耳にしていた。
「ルナさん、そのお話、くわしく、お願いしたいんですが……」
ベアーが猫なで声をだして懇願すると、ルナはベアーを一瞥した。
「いいよ、その代り、お昼おごってくれるよね」
術中にはまったベアーが『やむを得ない』と頷くと、ルナはほくそ笑んだ。そしてチーズを買いに来た客の立ち話を始めた。
*
「じゃあ、去年から、ギルドで幅を利かせるようになったの?」
「うん、何でもギルド長が変わったんだって、それでギルドの方針が変わって……なんかさ、そのやり方が嫌でギルドを出た牧場もあったらしいんだけど……その牧場がギルドと関係のない業者と取引しようとして……嫌がらせを受けたんだって」
ベアーはルナを見た。
「なんでも取引当日に馬車の車輪を壊されたりとか……」
ベアーは火事になった牧場の話を思い出した。
「それでその業者は納期に間に合わなくて、つぶれちゃったって」
ベアーが神妙な顔をするとルナはそれに合わせて話を続けた。
「なんか、その新しいギルドで幅を利かせてる連中ってのは、もともとドリトスの人間じゃないんだってさ」
「どういうこと?」
「お店の客さんが言うには流れ者じゃないかって」
「流れ者?」
「うん、今のギルド長って亜人じゃないでしょ」
ベアーは驚いた顔を見せた。
「どうやって、今の地位におさまったか謎なんだって」
ベアーは立ちどまって腕を組んだ。
『やっぱり今のギルドはおかしいんだ。』
ベアーは確信に近いものを胸に抱いた。
*
その後、二人は取り留めもない話をしながら歩いた。
「そう言えばさ、僧侶を辞める話、どうなったの?」
ベアーは嘘をつく必要もないので寺院で起きたことをそのまま話した。
「じゃあ、また転職失敗?」
「まあね……」ベアーは苦笑いした。
「でも、そのトーマスって言う司教はさあ、何でクビになったわけ?」
「不倫したんだって」
『不倫』と言う言葉を聞いたルナは目を大きく見開いた。
「私、そういう話、大好物なんですけど!!」
さすがにベアーもルナの不謹慎な態度に怒りを見せた。睨まれたルナはシュンとしたがその目は煌々と輝いている、面白くてしょうがないと言った表情だ
「僧侶が不倫ね……ワロス、ワロス」
「ちょっと、ルナ、いいかげんにしないと……」
ベアーが注意しようした時である、ルナは石に躓いて無様に転んだ。うまく受け身が取れなかったため肩を地面にしたたかぶつけた。
「ほら、不謹慎なことで笑うから……」
ベアーが続けようとした時である、ルナの左腕がプラリと垂れさがった。
なんと、ルナは左肩を脱臼していた。
ルナはベアーを見ると泣き出した。
「いたいよ、おにいちゃん~、腕がプラプラする」
見た目10歳(実年齢58歳)の魔女が泣く姿は普通の少女が泣くのと変わりがないため実に気の毒に見えた。通り過ぎていく旅人達もかわいそうな目をルナに向けた。
「早く、回復魔法!!」
ルナはそう言ったがベアーは渋い表情を見せた。
「ルナ、外れた肩は回復魔法じゃどうにもならないんだ……医者に診てもらうしか…」
回復魔法で治ると思っていたルナは絶叫した。
「何でよ、何で駄目なのよ!!」
「擦り傷とか打撲なら何とかなるんだけど……外れた関節は魔法じゃ……」
隣でそのやり取りを見ていたロバはルナをチラリと見やると満面の笑みを浮かべた。
『魔女、脱臼、ワロス、ワロス』
ロバの表情にはそんな言葉が浮かんでいた。
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ベアーが右往左往していると鋤を持った農夫が現れた。麦わら帽子を目深にかぶっているためその顔は良くわからなかったが、ルナに近寄るとその様子をつぶさに見た。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい、見せてごらん」
農夫はそう言うと肩の具合を見た。
「これなら大丈夫だ。」
農夫はルナを見ると持っていた手拭いを噛ませた。
「ちょっと痛いけど、我慢してね」
農夫はそう言うとルナの左肩を持った。
「それっ!!」
ルナの絶叫が青空にこだました。
「さあ、動かしてごらん」
農夫に言われたルナは肩を動かした。
「あっ、痛くない、ちゃんと動く」
ルナの治った様子を見てベアーは感嘆の声を上げた。
「すごい、すごいです、ありがとうございます。」
「いや、いいんだ」
そう言った農夫とベアーは目があった。
その時である、ベアーは驚きの表情を見せた。
「この人……トーマス……不倫の司教だ」
ベアーはまさか寺院から追放された司教にこんなところで会うとは思わなかった。
「どうかしたかね、君?」
尋ねられたベアーはたじろいだ。
その様子を見た農夫はベアーの顔をマジマジ見た。そしてベアーの羽織ったマントに目をやった。
「君は、あの時の……」
どうやら農夫もベアーのことを思い出したらしい。
二人の間に微妙な沈黙が訪れた。
*
先に口を開いたのはベアーであった。
「ありがとうございます。うちの妹を助けてくれて……」
「いや、構わんよ」
トーマスはそう言うと立ち上がった。
「あの、助けてくれたお礼を」
ベアーは少ないながら謝礼を渡そうとしたがトーマスは受け取らなかった。
「君は私のせいで転職に水を差されただろう、気にせんでいい」
トーマスはそう言ったが、ベアーは納得しなかった。
「いえ、何かお手伝いさせてください。」
借りを作るのが嫌だと思ったベアーはトーマスを真剣な目で見た。
「わかった、じゃあ、薪を割るのを手伝ってもらうよ」
こうしてベアーとルナはトーマスの自宅へと案内された。
*
トーマスの自宅は古い農家で規模こそ大きくないがその造りはしっかりしていた。ヒノキの柱は実に立派でその香りが屋内に仄かに香っていた。
「裏に積んである、薪を割ってくれ。小一時間もあれば終わるだろう。」
トーマスはそう言うとルナの具合を確かめた。
「大丈夫そうだが、気を付けないと外れやすくなる。きちんと治るまでは激しい運動は控えた方がいい。」
トーマスはそう言うとちらりとルナの腕輪に目をやった。
「珍しいな、魔女か……」
ルナは気まずい表情を見せた。
元来、魔女と僧侶は仲が悪い。互いに魔導の力を扱うがその考え方がまったく違うからだ。僧侶は人のために魔法をつかうが、魔女は自分の利益のために行使する、根本的な思考の違いから互いにけん制しあう間柄になっていた。
だがトーマスはそうした間柄とは無縁の対応を見せた。
「気にしなくていい、私は追放された身だ。僧侶じゃない。」
そう言うとトーマスはジャガイモの皮をむき始めた