第十四話
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すでにコルレオーネ一座の名は近隣の街でも有名になっていて、ドルミナやタチアナからも客がきていた。『永久の愛』最終日ということもありチケットを持った客が並んでいたが、その数は尋常ではなく劇場前はごったがえしていた。
コルレオーネは劇場の座長室からその姿を眺めて大きなため息をついた。
『これが最後か……』
コルレオーネは大国に最後通牒を言い渡された小国の外交官の心境が手に取るように分かった。
『ここまで来たのに……せっかく軌道に乗ったのに……』
レイドル侯爵の執事に詰められたコルレオーネは自分が砂上の楼閣にいることを思い知らされた。
『短い夢だったな……だが、夢なんてそんなものか……」
そんなことをコルレオーネが思っているとパリスが部屋に入ってきた。
「そろそろですよ、座長」
コルレオーネが気のない返事をするとパリスがコルレオーネに近づき話しかけた。
「ヘンプトン、朝からうなだれちゃって……」
パリスは続けた
「だけど、ラッツもかわいそうよね……まだ何も言ってないんでしょ?」
「言えるはずねぇだろ、俺は劇団を存続させるので精一杯だ。後はブン投げるしかねぇ」
コルレオーネは他の劇団員に現状を伏せていた。
「バイロンが抜けりゃ、うちは終わりだ。それがバレちまえば、他の奴らも蜘蛛の子散らすように離れていく……うちの看板はバイロンが背負ってるんだ!」
「そりゃ、わかるけどさ……」
パリスは口をとがらせた。
「絶対、バイロンには本当のことを言うなよ、レイドルの名を出せば間違いなく芝居に影響がでる。芝居でトチればチケットの払い戻しをもとめられる。そうすりゃ、アウトだ。」
パリスは大きくため息をついた。
「……本当のことを言いたいけどね……みんなに悪いし……」
コルレオーネは苦虫を潰したような顔を見せた。
「駄目だ!」
コルレオーネの言い方がきつかったこともありパリスは機嫌を損ねた。
「わかったよ!!!」
大きな音を立ててドアを閉めるとズカズカと出て行った。
『俺だって悪いとは思ってるよ……だけど今はそんな余裕はないんだ。』
脱税のしっぽを握られたコルレオーネはバイロンを売ってでも劇団存続の選択肢を選ぶつもりだった。
『あとはライラがどうでるか……場合によっては……』
コルレオーネの関心事はバイロンからすでにライラの去就に移っていた。
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公演前にラッツはいつものように舞台の状態を確認した。
『大丈夫そうだな』
幕を閉じるカラクリ装置の動作確認や、板の上の滑り具合、照明のランタンの状態確認など、本番前の雑用は意外と多く、ラッツは裏方スタッフとして一つ一つそれをチェックした。
『問題ないな』
最後に客席を照らすカンテラに油を入れるためラッツは舞台裏から舞台袖に向かった。
その時である、楽団席に1人ぽつんと座るヘンプトンの姿が映った。
『どうしたんだろ……』
いつもならこの時間はバイロンかライラの本番前の調整を行っているはずだが、ヘンプトンはそれをせずに譜面台の前に座ってブツブツとひとりごちていた。
『何か、おかしいな……』
ラッツはいつもと違うヘンプトンに妙なものを感じた。
『こっそり近づいてみるか……』
ラッツはヘンプトンに気付かれないように背後から近寄った。
*
「バイロンが行ってしまう……せっかくここまで仕込んだのに……今日で最後の公演なんて……どうしてこんなことになったんだ……クソッ。あんな逸材はもう出会うことはない……なんと……」
ヘンプトンの独り言はラッツにとって驚くべきものだった。
『そんな、マジかよ……』
ラッツは立ち上がるとヘンプトンに詰め寄った。
「本当なのかい?」
ラッツは震える声でヘンプトンに尋ねた。
「聞いていたのか?」
ヘンプトンはラッツを睨み付けたがそんなことはおかまいなしにラッツはヘンプトンに詰め寄った。
「今の話、本当なのか?」
恋で盲目になったラッツはヘンプトンの胸倉をつかんだ。
ヘンプトンは両手でラッツの手をおさえると怒鳴りつけようとした、だがラッツの真剣な目を見た時、心が揺らいだ。フッと息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「嘘じゃない……」
ヘンプトンが本音を漏らすとラッツはたじろいだ
「俺、そんな話、聞いてねぇよ!!」
ラッツはそう言うとその場を走り去りバイロンの所に向かった。
『あいつも、俺と同じか……』
ヘンプトンは大きくため息をついた。
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ラッツは衣装を合わせているバイロンの所に行くと開口一番、大声を上げた。
「バイロン、辞めるのか?」
バイロンは『なんのこっちゃ?』と言う顔を見せた。
ラッツはバイロンに近寄った。
「劇団を辞めるのか?」
余りの剣幕にバイロンは声を張り上げた。
「辞めるはずないでしょ、稼がなきゃ、やっていけないんだから……あんた一体、何、言ってんの!!!」
冷静沈着なバイロンが大声を出したことで興奮していたラッツは若干、落ち着きを取り戻した。
「そうか、良かった……俺の勘違いだ。」
ラッツはそう言うとバイロンに頭を下げた。
「俺、バイロンが都の歌劇団に行くのかと思って……」
「給金が安いから、行かないわよ。」
バイロンがそう言うとラッツは晴れ晴れとした表情を見せた。金銭に厳しいバイロンの一言はラッツの気持ちを静めるのに十分な言葉であった。
「それより、そんなこと誰が言ったの?」
バイロンが尋ねるとラッツは明るい顔で答えた。
「いや、もういいんだ。きっと誰かの流した噂話さ、じゃあ、あとで!」
ラッツはそう言うと衣裳部屋を去って行った。
『何だよ、ヘンプトン、嘘じゃねぇかよ。都の歌劇団に行かねぇじゃん。ああよかった……』
レイドル侯爵の事を知らないラッツは勘違いしたまま芝居の本番を迎えることになった。