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第十二話

31

レイドル侯爵の執事が来たことを知らないバイロンはいつものごとくヘンプトンの稽古を受けていた。


 ヘンプトンはうしろめたい気持ちをを抱えながらアコーディオンを肩にかけるとバイロンの発声練習を始めた。


「バイロン、喉を開いた後に『絞る』んだ。そうすれば声が発散せずに直進する感じになる。」


 ヘンプトンにそう言われたがバイロンは『絞る』という行為が体現できなかった。すでに一週間近く、高音を出すための練習をしているが声帯をうまく扱えないため高音部が安定しない。


「声帯の開閉はできるようになったけど……」


ヘンプトンは目を閉じた。


『ここが山だな、これを乗り越えられれば……でもできなければ……』


バイロンは一流になれるか否かの瀬戸際に立っていた。


『もう少しなんだがな……何が足りないんだ……』


 ヘンプトンはかすれたり、発散するバイロンの声色を吟味したが、出そうで出ない高音部の壁は突き崩せなかった。



 その後、レッスンを続けたが、バイロンの声はもう一歩の所で限界を迎えた。


『どうすればいいんだ、できないわけじゃない、だけど……』


そんな時であった、ヘンプトンの脳裏にコルレオーネの言葉がよみがえった。


                    *

『悪いな、ヘンプトン。レイドル侯爵の所にバイロンをいかせる。そうしなければ俺たちは終わりだ。脱税で持っていかれれば、やり直しもできない……お前には本当に悪いと思っている。』

                    *


ヘンプトンはアコーディオンを弾くのやめると、呆然とした。


「どうかしたんですか?」


ヘンプトンはバイロンに声をかけられ現実に引き戻された。


「いや、すまない。何でもないんだ…」


ヘンプトンは後ろめたさで一瞬、我を忘れたがバイロンの声で落ち着きを取り戻した。


「さあ、もう一回、今の所を。今度は脳天の部分に意識して、そこをひもで釣り上げられる感じで声を出してごらん。」


ヘンプトンは何とか平静を装いふたたびバイロンを指導した。



32

この後レッスンはしばらく続いた。だが様々な発声練習をしてもあと一歩の所でバイロンは躓いた。


『もう時間がない……今週末で……もっと時間があれば……クソっ……』


 ヘンプトンは10年に一度の逸材になんとか花を咲かせたいと思っていた。それが彼の出来る最高の手向けだと……


ヘンプトンがそんなことを思っている時であった、唐突にバイロンが声をかけた


「あの……『絞る』って言うのは日常行為の中で近いものはないんですか?」


バイロンはかつてえづいた時に『喉を開く』といく行為を体感している。今回も

それと同じことができないかとヘンプトンに尋ねた。


ヘンプトンは唇を尖らせると、渋い表情を見せた。


「あるかもしれないけど……」


ヘンプトンは困った顔を見せた。


「今は思いつかない……声帯をひらいてそれを徐々に閉じるとしか言いようがない。それも力を入れずになんだ……今の君は声帯に負担をかける声の出し方になっている。力を入れてしまうと声帯が傷つき喉がつぶれる……それじゃあ、意味がない」


ヘンプトンは続けた。


「腹に力はいれるが喉はリラックスする、この状態になればいいんだけど……」


ヘンプトンはそう言うと急に黙り込んだ。


「どうかしたんですか?」


バイロンが尋ねるや否やヘンプトンは大声を上げた。


「これだ、バイロン、これだよ!!!」


ヘンプトンはそう言うと早速、思いついた練習方法を試してみた。


                   *


バイロンは言われた通りに腹筋と下半身に意識を移し高音部の発生に臨んだ。


「それだ!!!」


 ヘンプトンは大きな声を上げた。今まで発散して音になっていなかった高音がバイロンの喉から放たれたのである。細い糸のような小さな声だが明らかに今までの限界を超えた音であった。


ヘンプトンはそれを聞いてニヤリとした。


「そうか、こういうことだったんだ!!」


ヘンプトンが興奮した面持ちで声を出すとバイロンが首をかしげた。


「アプローチの仕方を変えてみたんだよ、いままで何でこんなことに気付かなかったんだ。」


ヘンプトンは興奮冷めやらぬ口調で続けた。


「今まで喉や声帯にこだわりすぎていたんだ。音に対する意識が強すぎて声帯の自然な動きが阻害されていたんだ。」


「どういうことですか?」


「意図的にコントロールしすぎていたんだ、高い音を出すのであれば、それに合わせた体の使い方、体全体を使う方法をとればよかったんだよ。」


ヘンプトンはバイロンを見た。


「もう一度やってみよう、体の使い方がわかれば訓練でコントロールできるようになる。そうすれば……一人前だ」


ヘンプトンは感慨深げにそう言った。


『僕が最後にできるのはこのぐらいしかない……』


 ヘンプトンは再びアコーディオンの鍵盤をおさえた。その眼には光るモノが浮かんでいた。



33

レッスンを終えてバイロンが部屋からで出るとドアの前にライラが立っていた。ライラは目を細めてバイロンを見ると『ツラをかせ』と言う仕草を見せた。断る理由もないのでバイロンはライラの後ろについていった。


二人は劇場の衣裳部屋に行くとそこにある化粧台の前に座った。


「あんた、あれ貰ったでしょ?」


「しおりのこと?」


「そう」


ライラはそう言うと歌劇団のしおりを懐から出した。


「あんた、どうすんの?」


ライラはバイロンを一瞥した。


「私は、行かないわ、2年も稽古しないといけないし……それに手当が低いし…」


「あんた、お母さんの入院費があるんだっけ」


「そう、今の稼ぎなら払えるから……」


バイロンはライラを見た。


「あなたはどうするの?」


「私は……行かないわよ……」


ライラはそう言ったがその表情は明らかに揺れていた。


「うちの劇団は私とあんたとリーランドで廻せば稼げるし……それに大衆演劇の方が、お客から受けがいいからね」


ライラはそう言ったが、バイロンはその表情から別の意味をくみ取った。


「行きたいんでしょ、都に」


「何言ってんの、あんた?」


図星をつかれたライラは素っ頓狂な声を上げた。


「馬鹿言わないでよ、あたしが抜けたら、この劇団、どうすんのよ、あんたとリーランドだけじゃ……」


バイロンは凛とした眼でライラを見つめた。


「チャンスがあるなら、つかまないと。このチャンスが来年あるとは限らないでしょ」


的確なバイロンの言葉にライラは機嫌を悪くした。


「うるさいわよ、そんなの……わかってるわ!!!」


ライラはそう言ったが、バイロンの指摘に一理あることもわかっていた。


                      *


二人は鏡台の前でしばし沈黙した。


「劇団の事を考えているんでしょ?」


バイロンが口を開くとライラは「まあね…」と答えた。


「あなたがいなくなれば、この劇団の集客力は落ちるわ。そうすれば今の人気も陰るでしょうね……」


バイロンはライラがいなくなった一座の未来を想定した。


「あなたには、いては欲しいけど……大きなチャンスだし」


バイロンがそう言うとライラが切り返した。


「そう言う、あんたはどうなのよ、ほんとはあんたも行きたいんじゃないの?」


ライラはバイロンの表情を読んだ。


「いつも優等生みたいに振る舞って、自分の事なんか後回しで……なんか、あんたうさん臭いのよ!」


ライラに切り返されたバイロンは沈黙した。


「お母さんの入院費の事ばっかり考えて……自分の人生なんだから、あんたこそ自分の意志を持ちなさいよ」


ライラは立ち上がってバイロンを睨んだ。


「……気に食わないのよ、あんたの、そういうところ!!」


ライラはそう言うと衣裳部屋から出て行った。



 しばらく衣裳部屋にいたバイロンであったが、その脳裏にライラの言葉よみがえった。


『自分の意志を持ちなさいよ……か』


バイロンはライラの言葉の中に自分の欠けた部分を見出していた。


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