魔城からの脱出 ⑤
今まさに魔王がいる藪の茂みの中に、分け入ろうとしている兵士。その後姿を見ながら、心の中で声高に叫ぶ。
――――どうするっ、どうするっ ? どうすんのっ、私っ !!
私は自分の心の声に突き動かされるように、咄嗟に手を服の中に入れ、背中に隠していた短剣の柄を握る。いつ何時何があるか分からない魔城暮らし。身を守る物は常に携帯していた。
(これを使うか ? )
でも、やれるの私 ? これを使うってことは、この人間を傷付けるって事だぞ。いや、傷付けるだけじゃ駄目だ。いくら頭が軽くとも、相手は兵士。反撃されたら素人の私には、なす術なんてない。だから、これを使うなら一撃で殺す気でいかなくちゃ。私でも、後ろからいっきにいけば出来なくはない。それに今、兵士はタイミング良くこちらに背を向けている。やるんなら今だ。訪れた絶好のチャンス。でも脳裏に、人の良さそうな兵士の浅黒い顔がチラつく。
( この人を殺す。人間の私が人間を、殺す ? )
殺すという単語から、自然と自分の手が赤く染まるのを連想し想像する。
他人の血で濡れるこの手。
ゾッとした。嫌悪感で鳥肌が立ち、胃の辺りからせり上がってくる何か。
本当なら見なくていいもの。生まれ育った世界でなら知らなくてもいい事、感じなくていいもの。私は今、そういうものの中に顔を突っ込んでいる。
「ああ。やっぱり連れがいたのだな」
「 !! 」
男が上げた呑気な声に、殆んど無かった筈の殺意がいっきに膨れ上がった。嫌悪感も迷いも、一瞬でどこかへ吹き飛んだ。
――――できる。今なら、殺せるっ !
だって魔王の命の方が大事だもの。こんな名も知らない人間の命なんかとは比べ物にならない。私の中の罪悪感だって、魔王の命と比べたらカスみたいなもの。私の中の最優先順位そのトップ、それはやっぱり魔王の命っ。
背中で握った短剣の柄を、ずるっと引き抜く。果物ナイフより少し大きいだけのサイズなのに、何故か凄く重い。でも、何故重く感じるのか、なんて考えまでには至らない。余裕が無くなっている証拠だった。
もう私の頭の中は、目の前の人間を排除する事しかなくなっていたのだ。
一歩、二歩。背後からそっと男に近付き、覚悟を決め、爪先に体重を乗せると神経を研ぎ澄ます。
ねぇ、兵隊さん。怨むのなら怨んでもいいから、大人しく死んで頂戴。私の魔王のために。
今から手にかける男に、最後の言葉を贈る。その時、また男が呑気な声を上げた。
「お前の弟か。ん、なんだ、気を失っているのか ? 具合が悪そうだな。随分と顔色が悪い。おい、娘。こいつは大丈夫なのか ? 」
心配そうな声と顔。私は当然、戸惑った。
「えっ、え、ええ。だ、大丈夫です」
振り返った男の反応は、私が思い描いていたものとはかなり違っていた。魔王だ、魔族だと騒ぎ立てない。しかも弟 ? 誰の事を言っている ? 魔王の見た目年齢は30前後だぞ。
・・・・まさか、私の歳がそれ以上に見えると言うことか ? そこまで老けて見えると ? だとしたら、今、本当にピンチだ。いろんな意味でっ。
だけど、とりあえず剣を使うのは様子を見ようと、そっと背中に戻す。そして藪の入り口に居る兵士に並び、中を覗き込む。この男はいったい何を見ているのかと。
「ぁっ」
思わず声が洩れそうになり、咄嗟に口を噤む。
目に飛び込んで来たのは、私が知っている魔王ではなかったのだ。そこに居たのは男というより少年。私からみたら、自分の子供と言うには大き過ぎ。兄と言うには小さ過ぎる。やっぱり、兵士がさっき言ったように、弟と言うポジションが丁度良いだろう年頃。
でも、肌で感じるというのだろうか、あれが魔王本人であるという事実を私は瞬間的に理解していた。
一回りも二回りも体が縮んでしまっていても、若返ってしまっていても、彼は魔王だ。あの黒いズルズルとした魔王定番のローブ。完璧に整った青白い顔。手塩にかけて毎日梳っている長い黒髪。それらのトレードマークも証拠。
間違いなく、あの少年は魔王本人。管理、つか、介護している私が間違えるわけが無い。
私は兵士を押しのけるようにして藪の中に入り、小さな魔王を自分の体で隠すように寄り添った。そして兵士に言う。
「あ、あの、この子ちょっと貧血気味で。ほら、最近の子ってダイエットとか言って平気で食事抜くでしょう ? この子もそうなの。まったく困っちゃうわよねっ、あはははは。だから、ちょっとここで休んで、その辺の葉っぱでも食べさせれば直ぐに良くなるわ。・・・・そういう訳だから、兵隊さんは気にしないでお役目を果たして下さいな」
「男がダイエットなぁ。しゃれっ気の無い俺には分からん思考だが、そこまで美しい容姿なら、保とうとするのは仕方の無いことかもしれんな。――いや、本当に美人だ。男にしておくのは勿体無いくらいだ」
「ええ、私の自慢なんですよ。ああ、それより、どうぞ先をお急ぎ下さい。弟も、貧血で倒れたなんて人様に知れたのが分かったら、きっと落ち込みますから」
「はは、そうだな。じゃあ、帰る時はあの星を目指して歩け。そうすれば一番大きい結界の亀裂に辿り着く。と言っても、もう直ぐこの魔界の結界は全て無くなるだろうがな」
親切にも兵士が南の空に輝く星を指差し言う。でも、私は彼の言った台詞が頭にこびり付き、礼を言うのが遅れた。それを咎めもしない兵士。彼は朗らかな声で、気をつけて帰れよと手を振って、城の前方へと去っていく。彼の行動は、見ず知らずの他人に対する態度としては善良な方だっただろう。一応、心配してくれたし、道を教えてくれたし。
でも私は、礼を言う事も、頭を下げる事も出来なかった。消えていく兵士の後姿をぼけっと見送るだけだ。
あの兵士の言った台詞。
『魔界の結界が無くなる』
それはつまり、ここが人間界と地続きになると言うこと。そうなれば、抗う力の無い魔界は侵略される。勿論、人間達に。
城の上から見た軍勢にかかれば、それはきっと、あっと言う間の出来事だろう。
魔界は私にとって第二の棲家。半ばここに骨を埋める気だった。生めよ増やせよ、地に満ちよ。四年間、この魔界が良くなるようにと身を粉にして働いた。狂ったように降る、止まない雨を見ながら。灼熱の太陽に焦げ付く大地を踏み締めながら。毎日、毎日。くる日も、くる日も。それは決して容易な事じゃなかった。でも全ては魔界の皆のため。魔王のため。私のため。だから我慢も出来た。これからきっと良くなる。いや、良くする。私が魔界の破滅を止めるんだ。だからそれまで何にも負けない。そう、心に決めていた。それが心の支えだった。
その私にとって、魔界の喪失はとてつもなく大きなショック。大事なものが予告無く、いきなり奪われた感じなのだ。
現実を受け止められなくて呆然としてしまうのは・・・・・・・・仕方の無いこと、だよね。
「アンコ・・・・」
何も考えられなくて、座り込んでぼんやりしていた背中に声がかかる。私は急いで、凹んでいるであろう表情を改めた。
「ん、目が覚めた ? ねぇ、ちょっとあんた。今は変身の魔術は使えないんじゃなかったの ? 前に言っていたでしょ。力が足りないって」
なのにその姿はどういうことなの ? と聞きながら、細くなった体から、ずり落ちそうになっているローブを直してやった。
すると、今までぐったりしていた彼に比べたら随分とましな顔で私を見上げてきた。その顔は、幼さが所々にだいぶ残るものの凛々しく美しい。思わず手を伸ばし、頬を撫ぜた。
「これは私の幼少時代の姿だから、まったく別の物に変化するより、ずっと魔力を使わなくてすむ。それに、この姿は省エネになるのだ。だからいつもの格好よりかは力を溜め易い。おかげで体は随分と楽だ」
手をニギニギしながら言う。その言葉は嘘ではないようで、まだ、だいぶ顔色は悪いが、目に光が戻っていた。
「なるほど。でもそれなら、最初からずっと子供の格好でいれば良かったじゃない。そうすればよっぽど楽だった筈でしょ」
日々生活するのも。今日、逃げるのだって。
私の疑問に、魔王が目を逸らす。でも私はそれを許さず、小さな顔を両手で挟んで正面に向けた。
「そ、それは・・・・。この姿は私だが・・・・子供だ」
「ん、そうね」
「アンコは大人なのに、私が子供では釣り合いが取れないだろう。お前には大人の男として見られたい。だから子供では嫌なのだ」
( わ、わたしに男として見られたい。から、だと・・・・ ? )
頭がバーンとなるかと思った。一気にピンクのハレーションが胸も頭も、それどころか体中をも埋め尽くす。
愛しくて、愛しくて、気が付いたら叫んでた。
「まおうっ !! 」
「アンコ !! 」
ひしっと抱きしめ合った。傍から見たらきっと馬鹿みたい。こんな夜の森で。こんな子供と。
でも誰にどう思われたっていい。構わない。もうこのまま二人でくっついていられるのなら、他はどうでもいい。どうなったっていい。なんなら世界を敵に回したっていい。
私は少しでも魔王を自分の中に取り込みたくて、細くなった首筋に顔をうめ、匂いを吸い込んだ。
「こんな時に何か不謹慎だけど、幸せかも今・・・・」
「わ、私もだっ」
束の間そのままで、お互いの体温を感じていた。が、暫らくしてから腕の中の魔王が身動ぎを始めた。
「アンコ、名残惜しいがもう行こう。結界が完全に消滅する前に」
「そうね、行きましょ。---あ、でも、ちょっと待って。その前に見ておきたい場所があるの」
時間が無いぞと言う魔王の手を引き、魔城の北側に走る。そこには、私が全てをかけた希望がある筈だった。
前の連載物のヒロインと被らないようにしていたら、魔王のためなら人類と戦いますな(黒)ヒロインになってしまった・・・・。本当はもっと、こう、何ていうか・・・・ああ、良く分からない。
魔王も分かんないし、どうしたらいいの。これから・・・・。