魔城からの脱出 ②
上から落ちてくる石材やガラス片を避けながら、崩れる魔城の廊下を疾走する。
「おらおらおらーっ ! 」
命の危機にアドレナリンが過剰分泌したのか、気分はハイだ。例えるならば大量旗をなびかせて、港へ帰る遠洋漁業の親父。故郷の港には可愛い子供と嫁が待っている。マグロをどっさり積み込んで、父ちゃん帰るぞ。待ってろよお前達ーーーっ、だ。
でも、私が運んでるのはマグロじゃなくて魔王なんだけどね。見た目は似てるけど。黒いし、死んだ魚のような目をしてるし。ああ、最初の字が「マ」なのも同じだな。
いっそこれがマグロだったら楽なんだけどな、と思ったやさき車輪が石に乗り上げてキッチンワゴンが大きく傾いた。
ガタンッ !
その衝撃で台から魔王が落下する。
ボタ。
ああ、またやったかと溜め息を吐いた。
「あっちゃぁー。もうっ、ちゃんと乗っててよ。乗せるの大変なんだからさー」
もう一度ワゴンの上に乗せようと腕を引っ張った。けど、それが中々上手くいかない。あっちを乗せるとこっちが落ちる。難しい。
何分にも腕と足が邪魔。無駄に長いのがいけない。
「しょうがないわね・・・・。こんなんしてる暇ないんだけど」
明り取りのために嵌め殺しにされている大きなガラス窓、それを覆う幕のタッセルを毟り取り、それで魔王の手首と足首を縛った。そして今度こそワゴンの上に乗せる。
・・・・・・・・なんだか、捕まったイノシシ ? 思わず棒に刺してグルグル回してみたくなる格好だ。
「よし。今度こそ行くよっ」
暗く長い廊下を突破し、隣の塔に連結する渡り廊下へ。
塔と塔を繋ぐその場所は、宙に浮いたような造りのおかげで当然眺めが良い。城の周辺どころか、地平線の彼方まで一望できた。
走りながら、私はチラリと上を見上げる。今夜は珍しく雲ひとつ無い空。そこに、恐ろしいほど大きな真ん丸の月。日頃めったに顔を出さないくせに。こんな時に限って出て来るなんて、なんかの嫌味か。忌々しい。お前を見てると矢鱈と腹が減るんだよ。バターを乗っけて出直して来い。
腹立ち混じりに視線を空から引き剥がし、今度は地上へ投げた。何気なく這わせた、その視線の端におかしな物が映った。
(ん ? なに ? ーーーー地面が揺らいでる ? )
月の光を反射し揺らぐ。・・・・いや、蠢く。
蠢く無数の何か。
不審に感じた私は、ワゴンに急ブレーキを掛け立ち止まり目を凝らした。
( あれは何 ? ザワザワ蠢いているのは・・・・・・・・え・・・・人 ? )
そう、城から少し離れた場所から、地平線の彼方までを埋め尽くすのは、人、人、人。人だった。揺らいで見えたのは月の光を反射して光る甲冑だったのだ。
今、正に物凄い軍勢が、波の様に魔城に向って押し寄せてきていた。
――――なっ、なんで武装した人間が、あんなに ?!
って、そんなの決まってるか。だってここは、魔王がいる魔城なんだし。今までだって「打倒、魔王っ ! 」を掲げ突撃してくる馬鹿が後を絶たなかったしな。でも、それにしても今回は規模が大きすぎるっ。
「はぁ、はぁ」
討たれてたまるかと爆走し、魔王をワゴンから(うっかり)落とすこと3回。
ぎったんばったん悲鳴を上げるワゴンを宥め、隣の塔のダストシュートまで何とか辿り着いた。
震える手で急ぎダストの扉をスライドさせ、そこにワゴンを横付けさせる。
「せーーーの」
いっきに押し込んだ。勿論、魔王を。
「はふーーーっ。きっつー、重労働だわーーっ」
と、額の汗を拭ってから気が付いた。
「――あ。魔王の手足、縛ったまんまだったっ ! 」
慌てて私もダストシュートの中に飛び込む。
中は予想どおり急な斜坑の滑り台になっていた。おまけに狭く汚い。まぁ、それはゴミ専用口だから当たり前なんだけど。
いや、それよりも今は魔王だ。多少、臭っても汚れても服は洗えば綺麗になる。でも、魔王はそうはいかない。あの虚弱は洗濯板で洗ったって、原液の漂白剤につけたって治らないのだから。私は薄暗いトンネルの先に、目当ての人影を探した。
直ぐに見つけた彼は、私からだいぶ離れた位置にいた。追いつくのはもう無理だろう。どうしよう・・・・これでは手足の紐を解いてやることが出来ないな。
後ろから確認した感じでは、ちょっと手足がありえない方向を向いている気がする。でも、まぁ、大丈夫だろう。なにせ彼は魔王だし。いくら弱っていると言っても魔王は魔族の長。腐っても鯛だ。彼の隠された潜在能力を信じよう。うん。
頑張れ魔王 ! 負けるな魔王 ! 明日はきっと健康体 !
それにしても、どうして彼は頭を下にして滑って行っているのだろうか。謎だ。まぁ、禿げても愛してるから気にすんな。
「とうっ ! 」
しゅたっ。と、着地した場所は何故か魔王の上。
これは流石にやべぇーと思い、急いで飛び退き揺すってみた。
「ねえねえ、ちょっと」
が、返事が無い。
「・・・・ねぇ、ね」
が、生きてはいる。息してるし。
・・・・だ・だいじょうぶ。きっと大丈夫。なにせ彼は~~~(以下同文)
「ねぇ、そういえば、あんたの上に落ちるのって2度目よね。ふふふっ、懐かしいわ」
四年前、魔界に初めてやってきた時も、落ちた場所はこの魔王の上だった。
ベッドの上に気だるげに横たわる魔王。その上の私。黒い部屋と胃薬臭いベッドと貴方。
「ぅふふふふふ・・・・。ロマンチックシチュエーション」
でも今回は、
「ううぅ、くっさーー」
辺り一面に広がるゴミの山。その臭いに、一瞬にして現実に引き戻された。
「さてさて、終わりよければ全て良し。でも、これからが問題だな」
どうやってあの軍勢から逃げる ? 私だけならまだしも、今は気を失った魔王がいる。体格差があり過ぎて、背負って逃げるなんてのは無理だし、便利なワゴンはもう無いし。
「う、うぅ」
ゴミの山に埋もれている魔王が小さな呻き声を上げる。ようやく意識を取り戻したようだ。私は急ぎ彼の両手足を縛ったタッセルを解いた。その間、彼はぼぅとした顔でその光景をを眺めていた。まだ完全には頭が覚醒していないらしく、手足を縛られている理由までは気が回らないようだ。良かった。
「ア、アンコ・・・・ここは ? っつ !! 」
体を起こそうとした彼が息を詰まらせ頭を抱えた。
「魔王っ どうしたの ? どこか痛む ? 」
「あ、ああ。頭というか体中が・・・・」
「そう。きっと筋肉痛ね。普段使わない筋肉を使ったからよ。うん、きっとそう」
首を傾げる魔王に、昨日リハビリがてら食用ホウズキの種を畑に植えたじゃないの、と重ねて言う。とにかく今はそれで押し切るしかない。だってまさか本当の事なんて言えるわけが無いもの。
何度も何度もワゴンから床に落とし、あまつさえ両手足を縛ったままダストシュートに突っ込んだんだよ、なんて・・・・。
これは生涯の秘密にしよう。墓場まで持っていく秘密にしよう。そう心に決め、立ち上がり魔王の手を引いた。
「体、辛いと思うけど、いける ? 時間が無いの。 魔王、あんたなら、もう分かっていると思うけど、今ね、この城に人間達が物凄い軍勢で押し寄せてきているの。あんたが言ったとおり、この城は落ちたの。あんたにとっては辛い現実だろうけど・・・・」
愚かでちっぽけな人間達に背を向け、尻尾を巻いて逃げる。なんて屈辱。きっと私には計り知れないほど悔しいはず。
でも、それでも私と一緒に逃げて。自尊心や自負心よりも私を選んで。この城は棄てて、私の手を取って。そう、言外に匂わせ言う私に魔王は苦笑した。
「まったくお前は・・・・。私に構わず逃げろと言っただろうに」
「私にはそんな選択肢はないの。あんまり馬鹿なこと言ってると怒るわよ」
思い切り睨んでやった。でも魔王は何故かはにかみ、嬉しそうな顔をする。そして何も言わずに、よろりと立ち上がった。
それが答えなのだろう。つまり、私と逃げてくれるという。
その返事に、何だか私も嬉しくなって、抱き合うように支え合いながらゴミの中を少しずつ進んだ。
アンコさんの性格がおかしくなっていく。本当はもっと常識人のはずなんだけど。・・・・どうしましょう。