何時か来るその日まで-Beautiful Moon-
煌々と輝く望月に肌寒い夜風が吹く中、只管に歩みを進める人影が一つあった。
汚れた衣服を外套で隠し、荒野を行く女性。
体中砂塗れになりながらも、異常に整った顔立ちと絹のように透き通った髪の美しさは目を惹く魅力をもっていた。
そしてその両目には、宝石のような青い瞳。
その瞳は何処か遠くを只管に見つめるよう、自らの進む先へと向けられている。
彼女の名はクレセントと言った。
クレセントはある物を求めて世界中を旅している。
彼女の求める物。
それは彼女に取っては他のあらゆる物と変え難く、それで居て人々は誰でも持っている物だった。
彼女が求めるのはヒトノココロ。
クレセントは機械仕掛けの自動人形だった。
「月が綺麗だね」
不意に響いた声――それは物静かな、しかし、とてもよく通る声――に気付きクレセントは周囲を見回す。
倒壊し風化しかけた建造物に腰を掛ける着物姿の少女が月影を背にクレセントへと微笑を投げかけていた。
艶やかな黒髪に黒い瞳が白い肌を強調し、月の輝きの所為だろうか、彼女はぼんやりと幻想的な輝きに包まれていた。
「これが綺麗と言う物なんですか?」
クレセントは月影の少女へと問い掛ける。
月影の少女はその問い掛けに対して首を傾げ、逆にクレセントへと問い質した。
「貴女は綺麗だと思わないの?」
「私には『綺麗』と言う物が解りません」
少女は解らないと言うのが解らない様子で、さらに首をかしげる。
「貴女は何かに心を動かされた事は無いの?」
「私にはココロと言うものはありませんから」
クレセントにはココロが無いと、ずっとそう言われて来た。
実際、クレセントは望月を見ても大して感じ入るような物は無かった。
この輝きを一般に人々は「綺麗」と称するのだろうと、そういう知識は持ちえている。
しかし、今「綺麗だ」と肯定した所で実際に「綺麗」などと感じていない空っぽな返答に何の意味があろうか。
クレセントの言葉に少女は気を悪くした様子も無く、逆にクスクスと笑い声を上げながら、好奇の視線を向けた。
「貴女おもしろいね。わたしはハクって言うの。貴女のお名前は?」
「クレセントです」
「ねえ、クレセント。こっちにおいで、少しわたしとお話をしましょう」
こんな夜中に出会ったのも何かの縁だろうとクレセントはハクの言葉に頷くと少女の隣に腰を下ろした。
「クレセントはココロが無いって言ったよね。じゃあ、私とは反対なんだね」
「反対? 何故ですか」
クレセントの問い掛けにハクは少し物悲しそうな表情を浮かべながら言った。
「わたしには、ココロしかない――だって、幽霊だから」
ハクの言葉に、だが不思議とクレセントに動揺は無かった。
「確かに私と反対ですね」
「あまり驚かないんだね」
「否定をした所でアナタが消える訳でもありませんから」
ハクは嬉しそうな表情を浮かべ、クレセントに寄り添うように体を預けてきた。
だが、クレセントにはその感触は感じられず、重さも感知出来なかった。
「もしかしたら、貴女に心が無いからわたしは貴女に惹かれたのかもしれないわ」
耳元で囁くように、静かにそう告げるハク。
ハクは続けてクレセントへと告げた。
「わたしね、クレセントの事が好きになっちゃったんだ」
それは急な告白。
死して、その体が朽ちてなお、何の為にかココロのみとなり地上を彷徨いあらゆる出来事を傍観してきたハク。
そんな長い時間の中、ハクは何時も独りだった。
そんなハクは月光に照らされた独り旅するクレセントの姿に惹かれ何かを感じた。
その感覚が一目惚れだと、その感情が初恋だと知り、居ても立ってもいられず思わず声をかけてしまったのだった。
しかし、クレセントには好きと言う言葉のその本質は理解出来ない。
「好きとはどういう意味なんですか?」
クレセントは問い掛ける。
自分に好意を向けられているという事は理解しているつもりだ。
だがしかし、多様な意味を内包する「好き」と言う言葉の真意を測り兼ねていた。
クレセントには感じる事が出来ない。
(私にはココロが無いから)
その言葉にハクは暫く考えを巡らせていたが、自分なりの答えが思いつき口を開いた。
「何時までも一緒に居たいって意味だよ」
一方、クレセントもずっと独りで旅をしていた。
かつてクレセントを所有していたオーナーは心の穴を埋める為にクレセントに依存していた。
だが、クレセントは人間ではなく人形であると、ココロの無い道具だと言う事を嫌悪していた。
結局、自身が抱える心の穴の広がりをクレセントでは補えなくなりこの世を去る。
それから独りになったクレセントは旅に出る。
ずっとオーナーがクレセントに求めていた心と言う物を探す為に。
「一緒に居る、と言う事なら可能です」
その言葉にハクの表情が明るくなる。
「ですが、何時までもと言う保障は私には出来ませんが……」
「どうして? 死を心配してるなら大丈夫だよ。わたしと同じ幽霊になれば何時までも一緒に居られるもの」
ハクの言葉に、クレセントは疑問が尽きなかった。
ハクは自らの状態をココロしかないと言った。
だが、クレセントにはココロは無い。
「ココロが無い私は――自動人形である私は幽霊になれるのでしょうか?」
クレセントの問いはハクにも解らなかった。
ハクは死して、自身が幽霊となってもう数百年が経とうとしていた。
その間、生きとし生ける様々なものの幽霊と出会いもしたが、その中に機械の霊を見た事は無い。
「クレセントは自動人形なんだ……」
急な事実にハクのココロは激しく揺れる。
しかし、ハクのクレセントが好きだと言う思いは全く揺らがなかった。
「それでもわたしはクレセントが好き――」
その言葉を聞いたクレセントは静かに頷きながら言った。
「それでは、何時か来るその日までずっと一緒に居ましょう」
ココロが無い自動人形と、ココロしか無い幽霊少女。
二人は月の輝きに誓いを立て、今はただ二人、夜の中に身を委ねた。
「月が綺麗ですね」