迷い道 壱
「……で? その後どうよ?」
騒がしい居酒屋は緒峯の指定だ。地方の酒が揃っているということで緒峯の馴染みの店らしい。正直、酒にはあまり強くないのでどうでも良い。
「その後、とは?」
その表情で何が言いたいのかは分かっているが、すんなり答えるのもどうかと思うので、聞き返す。
「やあねー、あの二枚目作家のことに決まってるじゃない! ウチの娘に余計なことしてないでしょうね?」
同期の緒峯は、基本、酒に飲まれるような真似はしない。普段は上手に酒を飲む。が、例外がある。非常に機嫌か良いときと、逆に機嫌が悪いときだ。前者は笑い上戸で周囲に酒を勧めまくり、何人も潰す。後者は、絡む。
今日はどうやら機嫌が悪いらしい。さもありなん、緒峯がずっと面倒を見てきたらしい漫画家を、こちらの都合で急に引っ張ったのだから。
「大丈夫だろう? 先生はおかしな真似はしないよ」
揚げ出し豆腐を突付きながら、ソコだけはきっちり主張しておく。
「ふぅん? どうだか。未婚の女の子引っ張り込む時点で、充分おかしな真似だと思うけど?」
「お前だって協力してたじゃないか!?」
不満げに言われて、思わずマジマジと見返す。
先生が彼女についてあれこれ質問するのに、丁寧に答えていたはずだ。仕事のために近くにおきたいという提案にも頷いて、それならこうすれば良いと、こう言ってはアレだが、いろいろ策を弄したのは緒峯本人だったはず。
「そりゃあねー。理性では、あのイケメン作家センセーとの仕事は、良い刺激になると思うわよ? あわよくばコレで一息に成長してくれたら、と思う。……でもね!」
ドン、と拳を叩きつけられたカウンターが響く。
「……フフフ……あのイケメン、あの娘の意思を無視して仕事以上のちょっかい出したら、二度と日の目を拝めないようにしてやる……」
その地の底から響くような呟きに背筋を凍らせつつ、揚げ出し豆腐を頬張ることで、聞こえない振りを貫いた。枝豆入りの餡が旨い。ふむ。豆腐と枝豆の意外なコラボだ。マメマメしている。
脳裏に、原稿を読んで感情のまま百面相していた様子を思い描く。……確実に、彼女は隠し事が出来ない性質だ。
二度と日の目を拝めないってどんなだ。知りたくない。そのときは自分も一蓮托生だろう。
……先生。自分は先生を信じています。女性に不埒な真似は一切しないですよね。しないで下さい。絶対に!
温くなったビールで、嫌な予感を紛らわせた。
「……一応、彼女も同居には異論は無い様だぞ。仕事用にって、パソコンやら画材やら運び込んでたからな。嫌ならそこまでしないだろ」
電話を貰って車で荷物を運んだのは、今日の話だ。先生のマンションで、特に遠慮した様子も無かった。
「だからねー、あの娘、ホンット素直なのよ。仕事のために必要ですーって言われたら、疑いもしないでしょ? 電話とファックスで済む話だとか考えないのよ! 頭は悪くないはずなのに! そーゆーとこが漫画にも現れて、イマイチ薄っぺらいのよね。捻りも無いし。素直なトコは長所なんだけどね」
なるほど。
一冊目のイラストが上がった後、彼女について緒峯に聞いた時に、デビュー作も読んだが。
24pの読みきり、所謂ラブコメで、典型的な女の子と典型的な男の子の典型的なストーリーだった。絵の上手さで読み進めるが、読後印象に残らない。
「まー、本人もどうにかしようと頑張ってるんだけどね、やーっぱ、ネームは、こー、なかなか、ねー」
デビュー前から担当しているのだと聞いた。多分緒峯にとっても、初めて任された新人じゃないだろうか。思い入れもあるだろう。
「なら、先生の側でその作品に触れるのは、良い機会じゃないか」
「そう思ったから色々協力はしたけどね! でもね!! ……ん~!! なんかこー釈然としないのよ、あのイケメン作家本気で仕事だけで同居とか言い出したんだと思う? マジ絵だけ? 普段からそーゆーことする人?」
いかん、目が据わってる。
「先生は、作品のためには骨身を惜しまない人だ。今回はあの絵を見て完成原稿を手直ししたくらいだし、絵を気に入ったのは間違いないだろ」
宥めると、いきなり胸倉を掴まれた。
「あのセンセ枯れちゃった歳でもないしあの娘だって独身だし! アンタ、見張っててよね! あんにゃろめが助平な真似しないように監視してよね!!」
……酔っ払いだ。今日はまだそこまで飲んでいないはず、…と思ったら、そうでもなかった。日本酒を冷でどれだけ飲んだんだ。いつのまに。
「わかったわかった。……先生はそんな真似しないと思うがな」
アンタはあの娘の可愛さがわかってなーい、と叫ばれて、居酒屋中の視線を浴びたこととか、緒峯は明日には忘れているんだろう。
同期入社で、未だ転職していないのは自分と緒峯だけ。二人だけの同期だから何かと交流もあるわけだが。
飲みに付き合うたびにいつも面倒なことになる。
酔っ払いを、しかも一応は女性を放り出すわけにもいかず、タクシーを拾って緒峯のアパートの住所を告げる。緒峯と飲むと、大抵こうなる。いつものことだ。送っていけば終電は逃すのもいつものこと。タクシー代だってバカにならない。
社から近い緒峯のアパートは、入社当時から、同期で飲んだときには皆で転がり込む定番だった。やがて同期が一人二人といなくなり、結局生き残っているのは二人だけ。でも飲み会の後になし崩しに泊まることは今でもしばしばだ。競争相手がいないから、リビングのソファに悠々と眠れる。
仕事で締め切りが押せば社の廊下ででも寝ることを思えば、ソファなんて上等だ。
ふと、そう言えば自分も『枯れちゃった歳でもない』し、緒峯も『独身』だと思いつく。それで今まで間違いが起きた例は無い。
先生も大丈夫だ。
納得した。世の中の男がみんな狼であるかの様な認識は、間違いだ。