坂道(上り)
何度も入ったことのある緒峯の部屋だが、流石に今は敷居が高い。
「……何してんのよ。早く入ってドア閉めて」
いつもどおりにただの同期を家に上げる緒峯に、胸の奥が苛立った。
「さっき、オレはお前に告白したつもりなんだが」
そんな男を無防備に家に入れていいのか、と問うと。
「アパートの廊下でそんな話、できるわけないでしょ。いいからさっさと上がんなさいよ」
一応、告白を無視されているわけではないらしい。
「……オジャマします……」
いつに無く行儀良く、緒峯のテリトリーに立ち入った。
酔っ払った緒峯を寝室に放り込んで、自分は居間のソファを借りて寝る。ソファは座面の下が収納になっていて、毛布がそこに入っている。勝手知ったる他人の家だ。朝には、ピンシャンとした緒峯が先に起きていて、朝飯を作ってくれている間に、緒峯が使った気配の残るバスルームでシャワーを浴びて、シジミの味噌汁の朝飯。
普段なら、何の疑問も感じなかったことが、今更ながらありえないことに思えた。
「とりあえず、お茶ね」
二人掛けのダイニングテーブルに落ち着いて、ペットボトルのお茶をグラスで出され、手持ち無沙汰に口をつける。
勢いが殺がれて、少し頭が冷えて、そしてどうして良いのか分からなくなった。
緒峯も黙ってテーブルの向こうでお茶を飲んでいる。
走ったせいか、やたらと喉が渇いて、一気にグラスを干した。
「…………」
緒峯は黙って二杯目のお茶を注いでくれた。
押しかけたのは自分で、話があるのも自分だ。ココで沈黙我慢大会は、いくらなんでもないだろう。
腹を括った。
「好きだ。俺と真剣に付き合って欲しい」
がちゃん、と、緒峯がグラスを取り落とした。ワタワタと慌てふためく緒峯に、一先ずキッチンから台布巾を取ってきた。
「服は濡れてないか? 床にはこぼれてない?」
見れば、被害はテーブルの上だけに止まったようだ。
「アンタ、何いきなり冷静になってんのよ」
「うん。頭が冷えた。さっきは、なんかテンパッたけど。久しぶりに全力疾走したな。スッキリした」
呆れた、と緒峯が息を吐く。
「だから、冷静に、もう一度言うけど。俺はお前が好きだ。お前は?」
ガチャン、と、緒峯が片付けかけていたグラスが床に落ちた。
「あー、何やってんだよ。割れたぞ」
バスルーム横の収納に、箒とちり取りがあったはず。大きい破片を手で拾ってから、箒を取ってきた。
「新聞紙、広げて出してくれ。割れ物は、ゴミ出し区分どうなってる?」
「……不燃物。土曜日に」
「じゃ、包んで置いとくから」
手早く新聞紙に包んで、電話横の引き出しからマジックを出して大きく『ガラス危険』と書いた。
キッチン奥のカン・ビンゴミの横に纏めておく。
出した箒とちり取りを片付けて戻ると、緒峯はぐったりとダイニングテーブルに突っ伏していた。
「緒峯? 今日はそんな飲んでないだろ? 疲れた?」
「アンタねぇ!? なんでそんな平然としてるわけ? ウチの箒の在り処まで知ってて、今更真剣にお付き合い?」
がば、と顔を上げた緒峯が、また、あの泣くのを堪えているような目をするから。
「先生たちに当てられた。確かに今更かもしれないけど、言わないで現状維持するより、……もっと先に進みたい」
触ってもいいだろうか、と伸ばした手は、避けられることなく頬に届いた。
「好きです。だから、そう言う意味で、オレのこと好きになってくれたらうれしい」
見る見る盛り上がった涙が、それでも往生際悪く零れ落ちずに眦にとどまっている。
「…………あんた、バカ?」
頬に触れていた指が、涙に濡れた。
「うん。素直に言ってくれないだろうとは思ってたけど。『バカ』に愛を感じるな」
「な、ア、アンタ、バ」
三度目のバカは、途中で途切れた。




