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敏腕編集への道  作者: むかしむかしあるところでね
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戻り道

※かなり不愉快なシーンがあります。ご注意ください。





 就職難就職難と世間では叫ばれていても、名の通った大学のおかげか、周囲もそこそこ内定を貰っていた。ニュースで言う就職率は、実感は薄い。それなりに受験戦争を勝ち抜いた過去の自分の頑張りのおかげか、教育熱心だった両親のおかげか。


 それでも、希望通りの出版社に入社できたことは、やはり嬉しかった。やりたい仕事ができるのは幸運なのだと思った。


 中途採用ではない同期は十数人いて、それなりな大学出身が揃っていたから、俺自身も鼻高々だった。勝ち組だと思っていた。


 その同期の中で異彩を放っていたのが、緒峯だった。同期とはいえ歳は二つ上。院卒という訳でもなく、大学を出て一度他所に就職してからこちらに入りなおしたという話は後から知った。


 同期の最初の飲み会で、皆が自己紹介で出身大学を付け加える中、緒峯はサラリと名前と歳を言っただけ。言うほどの大学ではないのだと、二浪でもしたのかと勘ぐる連中もいた。


 緒峯は、そんな世間知らず連中の無意識の嘲りなど歯牙にもかけず、男顔負けの酒豪っぷりを見せて最初の飲み会に圧勝した。


 


 新人研修が終わると、配属が決まる。最初から希望通りに行くとは期待していなかったが、それでもまるで考えていなかった営業に回されたのはショックだった。


 営業に配属された同期は結構いて、つまり営業の仕事は研修の延長でもあったらしい。社会人として使えるかどうかを試されていたのだと、文芸に異動してから理解した。


 営業の仕事は、ひたすら頭を下げるに尽きる。指導してくれた営業の先輩には、丁寧語と敬語は違うと繰り返し直された。挨拶、敬語、そして時間厳守。先ずそれができていないと、そもそも仕事の話が出来ない。


 敬語を自然に使えて、臆せず相手と話せるようになるまでに半年はかかった。それでも同期の中ではマシな方だ。


 同期の中には学歴だけのプライドで、頭を下げるのも不承不承といった態度を隠さない奴もいた。そんな奴らは、やがて消えていった。


 入社して一年が過ぎる頃、緒峯が担当した漫画がヒットを飛ばした。緒峯は最初から漫画編集の方へ配属されていて、順調に頭角を現していた。姉御肌の気性もあって、歳若い学生デビューの漫画家などを多く受け持っていると聞いた。


 少女漫画なんて、と吐き棄てる同期も、少なからずいた。


 『呉羽隆生』の作品に出会ったのはその時期だ。正直嫌々だった営業の仕事にも真剣に取り組むようになったのだが、早く緒峯と肩を並べたいという思いも、多分、あったのだろうと思う。


 緒峯は、他所で二年。だから、嫌々やっていたこれまでの一年は切り捨て、これからの二年で勝負。勝手に目標にして張り切った。残業もすすんでやったし、新しい仕事には必ず手を上げた。段々、任される仕事が増えてきた。


 そろそろ残る同期は半分ほどだったが、時間さえあれば声を掛け合って飲みに行く関係が出来上がっていた。緒峯も都合が合えば必ず顔を出したし、飲めば一番近い緒峯のアパートに雪崩れ込むのもしょっちゅうだった。深酒でどんよりする翌朝、緒峯は一人平然として全員にしじみの味噌汁を振舞ってくれた。


 目標にした二年が終わる頃、また緒峯が立て続けにヒット作を手がけた。一つはメディア化もする勢いだ。


 営業は基本外回り。緒峯と社内で偶然会うなんてことは無い。だからメールでおめでとうと伝えた。


 また差が開いた気がして、わざわざ会う約束を取り付けてまで祝福する気にはなれなかった。


 その直後の飲み会のことだ。


 駅近の居酒屋チェーン店に呼び出されて行って見れば、集まっていたのは男だけ。とはいえ、同期の女性は緒峯ともう一人だけだったから、二人の都合が付かないなら仕方ない。しかしこのタイミングでの誘いは、緒峯のヒット祝いなのだろうと思っただけに肩透かしだった。 


 が。この会の趣旨は、逆だった。


 同期の一人が、自慢げに見せびらかす携帯の画面に映るもの。


 ベッドに横たわる、………これは。


「疲れてるとこにちょーっと優しくしてやればこんなモンよ。2週間で落ちたね」


「いくらなんでも一ヶ月はかかると思ってたぜ」


「お前彼女はどうすんだよ」


 そうだ。こいつは最近、緒峯じゃないもう一人の女性同期と付き合いだしたはずだ。


「彼女はすっげぇ大事ー。緒峯は、アレ女じゃねぇよ。うわばみだしよ」


「お前男をベッドに連れ込んだのか!」


「あークソ、一ヶ月はかかると思ったのに!!」


「んで、ソッチの具合はどうだったんだよ」


 ゲラゲラと笑いこける奴らが、何を言っているのか分からなかった。


 それでも携帯の画面が不愉快で、思わず携帯を奪い取って消去した。


「お前、ちょ、何すんだよ!」


 勢いあまって他のデータ全部消したらしいが、構うもんか。


「あー、藤埜、お前ひょっとして緒峯に惚れてんの? ざぁーんね」


 バキ、と拳に衝撃があって、つまり考える前に殴っていた。




 居酒屋店内での喧嘩騒ぎに、警察も呼ばれ、大騒ぎになった。

 頭を冷やせと連れて行かれた駅前の派出所で説教された後、今後は気をつけろと注意だけですんだ。酔っ払いの顔見知り同志の喧嘩、しょっ引かれたのも初めてならこの程度なのだそうだ。


 携帯のデータが残っていたなら名誉毀損で動けるんだけどね、まあ今回は居酒屋のほかの客の証言も沢山取れたから、と、歳のいった方の警官に穏やかな口調で脅され、奴はガクガク首を振っていた。


『個人的感想は、よくやった!』と若い方の警官にサムズアップされて、笑おうとしたら腫れた頬が引き攣れた。



 事の次第は社にも知れ渡った。事情が事情だけに、先に手を出した俺は厳重注意、奴には訓告。その後直ぐに同期はみんな辞めていった。他の女子社員や良識ある男性社員の視線に耐えかねたのだろう。もう一人の女性同期は、完全なとばっちりだろうに。


 結局は、嫉妬と八つ当たりだったのだろう。緒峯だけが上手くやって、希望でもない営業でくすぶっている自分たちという構図だったのかもしれない。ひょっとしたら八つ当たりされたのは俺もか、と、上司に叱責された後で気付いた。忙しくしていた俺は、緒峯を最低な賭けの対象にしていたことすら知らされていなかった。


 そんな顔で営業ができるか腫れが引くまで休め、と一週間の有給休暇消化を言い渡され、自主的に自宅に篭って謹慎していたところに、無機質な電子音。


 渦中ながらも事情を知らなかった緒峯は、誰かから聞いたのか、メールを寄越した。




『件名:Re.おめでとう


 本文:あんたバカ?』



 

 上司の苦笑交じりの叱責よりも、堪えた。







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