バイパス 伍
いつもの居酒屋にて。
刷り上ったばかりの見本を緒峯に渡す。……という口実で、緒峯を呼び出した。
「サンキュ~! フライングで読めるってのはこの仕事の特権よね!」
先生の本を嬉しそうに受け取ってくれる様子は、担当としても非常に嬉しい。しかし今日の目的を考えると心臓が痛い。
「ああ。……まあ、後で読んでくれ」
パラパラと捲って先ず挿絵を確認するあたり、やはり優先順位は先生より彼女の方が上ってコトだろう。
「それでだな。……あーっと、先ず連絡事項なんだが。予定がかなり余裕だから、一度彼女には自宅に戻ってもらった。仕事再開の時には知らせるから、それまではそっちの仕事をしてもらっていい。多分2,3ヶ月は暇だろうから」
スケジュールを告げると、緒峯は喜んだ。
「助かるわ! これで年末アシ一人確保!」
「年末?」
年末って、なにかあったか?
「暮れはねー、アシスタントがつかまらないのよ。みんな自分の方優先するから。盆と暮れが神無月。某所だけが神在月ってね。同人やってないアシなんてあの娘くらいよ全くドイツもコイツも趣味に走って仕事をなんと心得る24時間戦うサラリーマン見習えって…………」
途中からブツブツと聞き取れなくなった。何か地雷を踏んだらしい。触らぬ緒峯に祟りなし。
「あ~、それで、だな。彼女の、ことなんだが、……その」
何と言って良いのか。
間を持たせるのに、適当に頼んだ料理をつまむ。馬刺しの和風カルパッチョ。山葵が鼻にツンと来た。
「……なによ」
緒峯の声が半音下がった。
……これも先生のため。先生のためだ。
「……その、だな。応援するか邪魔するかは、決めたのか?」
隣が見られない。ので、カルパッチョをじっと睨む。ふむ。白髪ネギは繊維に対し斜めに切っているのか。小技だな。
「なんでアンタがそんなこと言い出す訳?」
更に低くなった声に、少しびびる。コレもソレも先生の良い作品のためだ。頑張れ自分!
「先生との仕事は、彼女にとってもプラスに働いていると思うんだ。もちろん、先生にとっても。だから、お、応援、するほうが」
自分を奮い立たせて、勢い込んで言った。
「…………へぇ~? つまり、アンタは応援したいわけね」
半眼になってるし。くそう、もう少し酔ってから言うべきだったか?
「そうだ。先生に、協力したいと思っている」
「は! 先生に! 結局それよね、せんせー様サマ! あの娘のためじゃないじゃない」
吐き棄てるように言われて、ムッとなる。
「だから、彼女にとってもプラスだと思ってる」
「いーい? あの娘はねー、ホンット晩熟なのよ。お子チャマなの。そーれーが、あの如何にもなイケメンに言い寄られてどーなると思う? ドン引きよ、どんびき!」
ぐい、と胸倉掴まれた。
「んだから、アンタに監視しろって言ったのはねー、あのイケメンのストッパーになって欲しいからよ」
「へ?」
「邪魔なんかしないわよ。むしろイケメン先生には直に発破かけてるもの。けどねー、ガンガンいくと確実に逃げられるからねー」
「え? あれ?」
「だから、重石役よアンタは」
…………そう言うことは先に言ってくれ。
「じゃあ、ナニか? お前は、先生にはアレコレ情報流して煽って、俺には……」
緒峯がニヤリと笑むのに、絶句した。
「お前、嫌われ役をオレに押し付けたな……?」
「でもさー。結局、全然ストッパーになってないみたいじゃない? 作家至上主義も大概よねー」
サラリと言われて、ハッとした。多少なりとも思うところがあったのに、先生のやることに異を唱えたりはしなかった。……それを言っているのか。
「ま、これからもストッパーにはなって欲しいわけよ。先生だけじゃなくあの娘のためにも」
ここだけは真剣に言われて、正直耳が痛い。最早手遅れだとどの面下げて言えようか。
「……わ、かった。努力する」
気圧されながら、頷いた。
んっふっふー、と笑ってビールジョッキを煽る緒峯が、何歩も先んじている様に思えて。
つい。
「他人の恋愛に首突っ込んで、そーゆー自分はどうなんだ」
ポロリと。
……最大級の地雷だと、知っていたのに。
その日、頭からビールを被るという初体験をした。
緒峯と二人で飲んで、緒峯を送っていかないのも初めてだった。




