証明終了―神は天にいまし―
十一
あたしの母は、いわゆる新興宗教の信者だった。教祖に言われるがまま、金でも物でもなんでも貢ぎ、誰かれ構わず自分が信じている宗教に入信するよう勧めていたから、当然誰からも嫌われ、夫からも捨てられた。いや彼女が夫に捨てられた一番の原因は、もしかするとあたしだ。あたしの血液型は彼女と夫との間には出来るはずのない型だったから。
そう、あたしは「神の子」だった。彼女が言うに、あたしは世界を救う救世主らしい。面白い話だ。どんなに強く願っても自分へのイジメ一つ止められない少女に世界を救えと彼らは真顔で言うのだ。いじめられ、ボロボロの姿で家に帰るたびに母は言った。
「ごめんねもえちゃん。でも、今は耐えるのよ。審判の日が来れば皆の態度は一変するわ。もえちゃんは救世主なんだから」
幼いながら、当時からあたしは「この人はどうしてこんなに愚かなんだろう」と思っていた。「お母さん神なんていないんだよ」とあたしは何度も母に言った。けれど母はその度笑ってあたしを諌め、訥々と教義を語り出すのだった。子供は純真に大人の言う事をなんでも信じると考えるのは大間違いだ。彼らには何の偏見も盲信もないからこそ、ありのままの世界がクリアに見えている。少し調べればすぐにわかることなのだ。有史以来何千何万と出された終末予言の内、当たったものなんて一つもない。世界の終わりなんてくるはずがないのだ。どうしてこんな事を信じて、あまつさえそれに自分の全てを捧げようなんて思えたのか。あたしは純粋に疑問に思っていた。思えば、これがあたしを精神医学の道に進ませる大きな原因になったのかもしれない。専門書を読めば大体の理論や理屈は誰に教えられるでもなく理解できたあたしでも、人の心だけは謎だったから。
教主……つまりあたしの父は賢い男だった。彼はあたしの才能に気がつくと、積極的にそれを布教に活かし始めたのだ。あたしがこんなに優秀なのはあたしが神の子であることの証明だというわけだ。いつの世でも知恵を持っているという事は尊敬につながる。それを知っていた彼はあたしの教育に金を惜しまなかった。恵まれた環境で、あたしは思う存分あたしの天才を育んだ。
彼らはあたしがなんの為に、こんなに必死になって学んでいるのかを知らない。あたしは彼らの盲信を払うために、あたしの母を『神』なんていう汚らわしい概念から解き放つために勉強していた。
一個の反論すら許さない、完璧な神の不在証明を為すことこそあたしの生きる意味。
神を殺すことだけが「神の子」であるあたしの唯一の願いだった。
「でもモエカ、貴方も本当は神を信じたかったのでしょう?」
不意に差し込まれる他人の声。この声は……!
「あなたはっ!? なんで! ……ここは?」
「そう一片に言われても困るのだけれど……」
目を覚ますとそこは一面に青葉が生い茂る草原で、傍らには死んだはずの統治者が紅茶を飲みながら座っていた。あたしは一体どうなってしまったのか、まるで見当もつかない状況だ。
「あいたっ!」
混乱しているといきなりあたしは頬を張られた。
「よくも騙してくれたなクソババァ。ソイツはそのお礼だから遠慮なく貰っておいてくれ。釣りはいらないからな」
いつのまにか桐衛彰も傍にいた。あたしは幻覚を見ているのかとも思ったが、張られた頬の熱さが、雄弁にここが現実以外の何物でもないことを語っている。
「なんなの? ここは……」
冷静に見渡してみると、草原には数限りない人がいて、その全てがなにやら楽しそうに談笑している。その中には再会を喜び合う伊佐美朽葉と春人兄妹の姿もあった。
「ここは……そうね、新しい神が作りたもうた、新しい世界よ。モエカ、貴方の方がその創生の瞬間に近くにいたはずなのだけれど」
統治者に言われて、あたしは冬香と夏輝にはがいじめにされ、そのまま二人と同化した事を思い出した。だとするならば、ここは――
「ここは、四季の中……? あの子は『秋人』『夏輝』『冬香』の三人を纏めたように、全人類の魂を統合して、一つの《四季》という世界を作ったのね……!」
統治者がぽん、と手を打ってうなづく。
「さすが聡明ねモエカ。私もいろいろ考えてみたけれど、その説が一番説得力がありそう。ふむ……なるほど。『我々の認識が対象に従うのではなく、むしろ対象の方が我々の認識に従わなければならない』世界とは人の魂の集合。人類が共有する夢。魂さえあれば、世界認識は生じうる」
「カントのコペルニクス的転回……」
見かけ上では明らかに太陽が地球を回っているのに、実際はその逆で、地球が太陽の周りを周っているように、あたし達の認識は根本的にズレていた……? 現実があるからあたし達が生きているのではなく、あたし達が生きているから現実はある……?
「まぁ屁理屈をこねたところで何の意味もねーさ。神にあらざる身の俺達が、真理に到達することは永遠にない。大事なのは、四季が頑張って、どうにかして世界を守ってくれたっていう事実だけだ。全力で親の尻拭いをしてくれたのさ」
「四季が、あたしを」
「どんなにひどい奴だって親は親だからな。簡単に切り捨てられるものじゃない」
桐衛はあたしの背後に向かって指を指し、言う。
「今度はお前の番じゃないのか」
振りかえった先には、あたしの母が、幼いころ一緒に暮らしていた時の姿のままそこに立っていた。自然と涙が零れる。
心と心が直接繋がっている今なら分かったのだ。あたしは愚かだ愚かだと思っていたけれど、母には「神」を信じなければ生きていけないほどの辛い記憶があった。理性や合理主義だけで生きていけるほど、人は強くない。そんな単純なこともわからず、あたしは――
弾かれたように、あたしは母に向かって駆け出す。
母に近づくごとに体が幼なかったあの頃のように小さくなってゆく。
母と暮らしていた幼いあの時へと時間が逆行してゆく。
あたしがみつけたせかいのしんじつをしゃべったら、お母さんはきっとよろこんでくれる! はやくいってつたえなきゃ!
あたしはお母さんのむねのなかにとびこんでおおきいこえでいった。
「ねぇねぇお母さん! 神さまはいたよ!」