キリエの誓い
「どわっ! なんじゃこりゃあ!」
大型の4WD車でコロッセオ不動に乗りつけてきた階枝なみのは眼を見開いた。死屍累々という言葉がこれ以上よく当てはまる光景もないだろう。どこにでもありそうなマンションは合戦場じみた惨状を呈していた。
「ナっちゃん、これどういうこと!?」
「安心しろ、峰打ちだ……ってさ」
なみのは夏輝の知り合いなので四季のことを「なっちゃん」と呼ぶ。四季も説明が面倒くさいのでそのまま夏輝として会話していた。
「まぁいいわ、プロは余計なことに首を突っ込まないもの。私は、自分のするべきことをするだけ……」
「いやお前の職業バーテンダーだろうが」
四季のつっこみには無視し、なみのは報酬――伊佐美紀奈子に熱視線を向ける。そう、何を隠そうなみのは真正のレズビアンである。彼女は自分の店を持ちバーテンダー兼マスターとして日夜働いているが、その理由からして「独りで来た女の子を口説く為」であり、夏輝と知り合ったのも、冬香に目を付けストーカーじみた行いをしていたなみのを撃退したためである。ちなみになみのはその一件から夏輝に女装癖があると誤解しているが、説明が面倒くさいので夏輝は放っておいている。そんな経緯から、冬香は彼女に対し極度の苦手意識をもっていたため、それを統合した四季もなんとなく苦手な人物である。できれば使いたくない手ではあった。
「よぅし、全員乗ったね?」
目的地をカーナビに打ち込み、なみのは言う。安全を考え、紀奈子にも同行してもらうことにした。助手席に紀奈子、後部座席に桐衛、ファナ、四季の順に座る。全員乗ったぞ、と四季が伝えるとなみのはおもむろにライダーグローブを取り出し手に装着した。なみのはなんでも形から入る人間なのだ。白ワイシャツに黒のベスト、ズボンというバーテンダールックに穴空きライダーグローブの取り合わせは異色だが、なみのの引きしまった長身と相まって不覚にもキマっていた。
「なみの、行っきまーす!」
華麗なロケットスタートを切った車体は乗員に恐ろしいGの圧力を課す。
「てめ、一体何キロ出してんだ!?」
背後の座席に押しつけられながら四季が叫ぶ。
「国家権力、上等っす!」
「あ、あそこにぃパトカーがぁ!」
「なんとぉー!」
急ブレーキを踏むなみの。てめ、国家権力上等じゃなかったのかよ! と四季はツっこもうと思うも、できない。
声が出なかった。
急ブレーキでファナがフロントガラスまで吹っ飛んでしまっていたからだ。
予想に反し、何らの襲撃を受けることもなく高速に乗れた。外出制限によって他の車が見当たらないこと以外、ただの平凡なドライブの様相を呈して来ていた。車内に弛緩した空気が漂い、桐衛彰などは眼を閉じて眠っている。そんななか、四季は先ほどからファナの手ほどきを受け、創生の練習をしていた。
「くぉっ……できぬ……」
飴玉一つ創生出来ないでいた。
「本当に無から有を作り出すなんてことができるのか? イカサマだよこんなのわぁ!」
「シキは自分のプライドを守るために非難する対象を外に見出すタイプ」
「分析やめぃ! 俺が嫌な奴みたいじゃないか」
「でもぉ、四季君になってから、ちょっーと嫌な奴になったよねぇ」
「紀奈子さんまで!」
「確かになっちゃん変わったね、前はなんとゆーか……うそくさい人だったからな、なっちゃんは。どっか欠けてる……っていうか。今は、なんか完成して人間としてのアクがでまくってるよね。あたしはこっちも好きだな」
「うるせぇよ窮地に颯爽とフォロー入れてんじゃねぇよ惚れちゃうだろ」
「冬香……だっけ? 女装バージョンなっちゃんならいつでも歓迎だよ!」
さすがに客商売で多数の人間を見てきた為か、なみのは事情を知らないのに本質を見抜いていた。
「ん……できたぞ」
わーわーと騒がしい車内で桐衛彰は閉じていた目を開き、ぼそりと呟く。
「お前寝てたんじゃなかったのか……って」
四季はそこで絶句した。桐衛の開かれた掌の上には真っ赤に熟した林檎がのっていたのだ。桐衛が予め林檎を持っていたわけではない。こんなものがポケットに入っていればそのふくらみに気付くはずだし、桐衛はほかに収納道具を持っていなかった。
「まさかお前……創生したのか」
「ああ……生野の奴が何回かやってたから俺なりに方法を探っていたんだが、そこの手品師のおかげでやっと感覚が掴めた。まだそこの手品師のようにはできそうにないが……」
林檎は口に入れようとした瞬間にすぅっと消えてしまった。イメージの構成はできても、保持に関してまだ難があるようだ。四季は惨めさに打ちひしがれていた。ファナが落第生を憐れむような目で四季をみているからだ。
「そう、気を落とすな」
意外にも桐衛が四季をフォローする。
「俺は武術の修練の一環として内観法を会得している。自らの心を操ることなら一日の長があると言っていいだろう。できて当然なんだ」
「お言葉痛み入ります……って、意外とやさしいんだな桐衛」
「……っ! そんなんじゃねーよ」
桐衛は窓の方を向いてしまう。
「その優しさに甘えて一つお前に聞きたいことがあるんだが、いいか」
四季は桐衛と会話がつながったタイミングを逃さなかった。桐衛は横目で四季の表情を伺う。四季はさきほどとは打って変わって、真剣な表情をしていた。
「……質問内容が分からない内は、なんとも答えられないな」
「いやそう構えないでくれ。簡単な話だよ。俺はただ、お前の動機が知りたい。なぜ、お前は僕達に関わるんだ?」
桐衛は目を閉じて四季の質問を受ける。
「それを知って、どうする?」
「学者肌なんでね。謎は解明しないと気が済まないんだ……っていうのもあるが、行動の動機が読めない人間は信用できないっていう方が大きいかな」
桐衛は静かに目を開き、四季に向き直る。
「……いいだろう。隠しておくような話でもない、つまらん話でお前の信用が買えるなら話しておくべきだな」
桐衛はその豊かな低音の響きをもって静かに語り始めた。
「まず、言っておかねばならないのは、俺は四季、お前自体には興味がない。俺の興味があるのはお前の体だけだ」
桐衛の発言に鼻血をだす紀奈子。彼女のたくましすぎる想像力は先ほどの発言からあられもない四季と桐衛の映像を展開してしまったのだ。「おー? 禁断の愛? それならあたしも混ぜれー」となみのは嬉々として顔を後部座席に向けた。四季はむぎゅうと力づくでその顔を前へ押し戻す。
「僕の体……つまりお前は春人の知り合いなのか」
「ああ……俺は春人の僕だよ」
紀奈子の四気筒BLエンジンがまた刺激されそうなワードがでたが、四季は構わず続きを急かす。
「桐衛の家は代々“桐衛流”という古武術を伝える武士の家系でな、俺はその十九代目当主として、ガキのころから道を修めていた。周りの奴らは武術の“ぶ”の字も知らない素人ばっかりだったから、俺は最強を気取ってた。猿山の大将やって有頂天になっていたんだな。
そんな時、ウチの道場に俺とちょうど同じくらいの背格好と歳の門下生が入ってきた。桐衛流は桐衛の直系血族のみに伝わる武術だから、普通門下生はとらない。ソイツは天狗になってた俺の鼻をへし折るために親父が特別に入門させたんだ。親父は速習でソイツに桐衛の技を叩きこんだ。親父の目算では、一年後くらいに俺といい勝負ができるようになると思っていたらしい……が」
「その予想は裏切られた」
桐衛は自嘲気味に笑って指を三本立てる。
「たった三週間だよ。一月にもみたない修練でソイツは俺を超えた。中学、高校生いや大人にだって負けたことのなかった俺が、同年代の奴にあっさり打ち負かされた。一回だけじゃない。それから何度も何度も挑戦したのに一度たりとも勝てなかった。俺は絶望して死のうと思ったね。大袈裟に聞こえるかもしれないが、力だけが俺の支えだったんだ。それを失ってもう立ってはいられなかった。親父にも先祖にも申し訳なかった。でもいざ死のうとすると、どこからともなくソイツがやってきて、いつもの何もかも悟ってるような面をしてこう言ったんだ」
『君の弱さを教えてあげるよ。君の力にはなんの理由もないから、弱いんだ。君と僕との差は、そこにある』
――どういうことか分からねぇよ!。
『君の力は誰の為の力でもないってことさ。だから僕に勝てない』
――なら俺も、誰かの為に力を使えば、お前に勝てるんだな?
『そうだね、その時は君の方が強い』
――なら、俺はお前の為に力を使う。
『え……?』
――親父が言ってた。侍は主君に仕えて初めてその力を発揮できるって。でも俺は自分より弱ぇ奴に仕えるなんていやだから、お前に仕えることにする。
『ははっ』
――なんだよ! おかしいかよ!
『いや、いいさ。君自身の闘う理由ができるまで、僕を守ってくれ……』
「俺は誓ったんだ。アイツを守るって、先祖にも、氏神にも。だけどアイツはそれ以来消えちまった。必死で後を追っていたら、なんだかわけのわからないことになってやがって、それで……ふん」
桐衛はこれで話は終わりだとでもいうかのように、瞼を閉じる。それは遠い記憶に思いを馳せているようにも見えた。四季は少年の日の誓いに殉じて生きる桐衛を陶然と見つめる。
そこには美しさがあった。その用途や目的を定められて産まれる“道具”とは違い、人間は白紙だ。白紙であることが人間の価値だ……と四季はそう思っていた。けれど今、自らの意思で一振りの剣と化した桐衛の姿を見て、考えが変わって行くのを感じていた。四季にはどうしてもこの美しさを否定できなかった。
「時に――四季」
突然に目を開き、呆けている四季に向かって桐衛は問いかけた。
「お前は今どの程度戦える? 倉庫街でやったときはなかなかだったが」
「え……ああ、そうだな――夏輝や冬香の時のような身体操作技術は統合時点で失っちゃったからな。今の俺は戦力的にただの男子高校生でしかない」
「なるほど。では手品師、お前は?」
「そうですね、剣での戦闘ではキリエには遠く及びません。ですが、遠距離攻撃能力ならこの世界で私に比肩するものはないと自負しています。私を戦術に組み込むのであれば移動式砲台とでも考えてください……敵が、近いのですねキリエ?」
ファナは気付いていた。先ほど桐衛が話を切って目を瞑ったのはノスタルジィに耽るのではなく、遠くから近付きつつある敵の気配を探るためのものであったことを。
「御明察だな。殺意をもった人間の気配が幾つか、それと――」
「魔物が一匹いる」
“魔物”人間とも野獣とも違う、今までに感じたことのない異質な殺気を放つ敵を、桐衛はそう表現した。恐らくは、生野萌華やファナのような、この世の摂理を超えた存在であろうことが予測できる。自分一人では手に余るかもしれない――それを考えて、桐衛は戦力を測る質問をしたのだった。今は魔剣があるとはいえ、生野萌華の側にいた桐衛は常識外の敵の恐ろしさをよく知っている。
「魔物……ですか。それの相手は私に一任して貰います」
「それは正直助かるが、いいのか」
ファナの見目形は少女にしか見えない。その強さは彼女の持つ凄まじいまでの気迫で桐衛にはわかっているものの、それでも戦場へ連れ出すのは抵抗があった。
「私の力は加減がききませんから、人間に向かって撃てば生命はおろか魂まで消し去ってしまいます。私はずっと我慢していたんですよ」
ファナは小刻みに震えていた。しかし、それは恐怖から来るものではなく――
「私は元来、やられっぱなしで黙っていられるような人間ではありません。『いいのか』ですって? もう誰にも止められはしませんよ……」
薄笑いの裏に赤熱する気炎をあげ、武者ぶるいするファナ。桐衛はその迫力に気押されながらも、頼もしく思う。感情というものは人間の身体能力と無関係ではない。武術の達人というものは決して静かには戦わず、怒りや闘争心を糧に身体のパフォーマンスをあげるのだ。
「ふん、いいだろう。――いくぞ手品師」
桐衛もスイッチを切り替え、脳内をアドレナリンで満たし、交感神経を活発化させる。
そして二人は走行中の車の窓を開け、そこから車上へと躍り出た。昂ぶった体に風が気持ちいい。
桐衛は鞘から剣を抜き、諸手に構える。刀身を抜いた鞘はズボンのベルトに差しておく。ダーインスレイヴの血を求める叫びが、全身の血を酸化させたような快楽を与えた。
(いいぜ、今はお前の求めるままに敵を斬り伏せる鬼になろう)
理性などいらなかった。今はただ、肉を裂く快楽だけを、血花だけを愛でる感性のみを持てばいい――。
一方、ファナは静かに瞑想するかのように瞳を閉じ、イメージを巡らしていた。瞼の裏でその輪郭をなぞり、手にした時の触感を想起する。
(ただ、憎む――)
自分に仇なす存在を憎む。全ての悪徳を滅ぼしたいと、渇くように欲する。
そして、凝集された破壊衝動を一筋の雷鳴となって結実させる――
《雷霆》創生完了。
突然の高電位の出現に、大気中の電子達が震え、放電現象が起こる。それはまるで、神の再臨を歓迎する祝砲のように見えた。
((さぁ――早く来い――))
二人の思いが重なる。
戦闘準備完了。開戦。