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神を巡る戦い

「……」

 世界を統べる者の眼前に立っても、なんら委縮した様子を見せない萌華。無言をもって、統治者の挨拶に応ずる。

「残念です。私と話す舌などないと、そういうことですか?」

「こんなところまで来て儀礼的な会話をする気はないということよ」

 キッと少女を睨みつけて萌華は言う。

「あたしは《統治者》の任を引き継ぐ。引き継ぎにあたって連絡事項があるならすぐ言いなさい。聞いてあげるから」

「……傲慢ですね」

「……」

 萌華は答えない。統治者の少女は意地を張る幼い妹をからかう様におどけて言う。

「頑張っているのは認めますけど、それじゃあまだまだね、萌華」

「それは、私の戴冠を認めない……ということかしら?」

「素質はあると思います。自我をこの神殿まで保ちながら降りてきた人は貴方が初めてですよ萌華。ですが、貴方の視野はひどく狭窄的で、周りが見えていない。まだ早い……そう私は感じました」

「言ってくれるじゃない」

 萌華は挑戦的な笑みを浮かべて統治者を視る。

「逆に問うわ。貴方が貴方をして、統治者の任にふさわしいと考える理由はなんなの? 私には何千年もかけて未だ『世界』というパズルを完成させることができない哀れな落第生に見えるのだけど」

 鋭い目線で、少女は萌華を見る。

「貴方のそういう『自分で世界をどうにかできる』という思考を傲慢だというのです。統治者は世界を能動的に変えていく役職ではありません。人間が自律的に成長していく姿を見守るのがその仕事なのです」

「なるほど、貴方がそういう考えだから、地上では神の奇跡がなくなって久しいわけだ」

「奇跡は必要ないのです」

 ふぅ、と呆れたように萌華は肩をすくめる。

「一つ、勘違いしてるようだからいっておくわ」

「勘違い?」

「そう。私が世界の管理権限を欲しがっているのは、世界をより良くしようとか、人類を更なる進化へ導こうなんていう理由じゃない」

「私は世界を――」

 静かに萌華は宣言する。


「終わらせるために来た」


「ありえ……ません」

 統治者は両の拳を固く握りこむ。食い入るように見開かれた瞳は悲しみと怒りを撹拌させた紫色の輝きを放つ。

「そんな、そんな厭世的な信念で、この神殿まで降りてこられるはずはないんです! そんな全てを否定するような、悲しい諦めの重いが、何よりも強く貴女の心を守ってきただなんて……」

 統治者には信じられなかった。意識の海面から統治者の神殿までの道のりはとても長い。

浅層ではまだ、自意識という太陽が照らす温かい中を潜ってゆけるので、潜りゆく個は独自の考え、思想、すなわち自我を保っていられる。だが、深層となれば光はもはや届かない。 そこは集合的無意識の領域。異なる自我同士がまるで生存競争を繰り広げるように食い合い、殺し合う魂の戦場。肉体という基盤を失ったそこでは厳密な数学の証明に似て、正しい思いのみが残る。

 つまり、『統治者の神殿』まで魂が降りてくるということは、集合的な人類の意識―人類という種に認められた魂ということになる。

「ありえません……そんなことは」

 何がそんなにおかしいのかしら、と萌香は狼狽する統治者を冷めた目で見つめた。

「人類はね、もう耐えられないのよ。この、《生きて在ることの無意味さ》に」

 呆然とする統治者へ向かい壇上の教師のように萌香は喋り出す。

「現代になって急に生きることが苦しくなったわけじゃないわ。古代インドにおいて既に釈迦がこの世を《一切皆苦》と指摘していたように、人は常に生を苦しんできた。けれど、彼岸的世界……極楽浄土、エデンの園、プレローマ、千年王国といった、苦しみの果てに来るはずの楽園、幸福に暮らせる世界――《神》――を信じられたから、人は生きてこれた」

「――けど」逆接の接続詞が断頭台の刃のように振り下ろされる。

「人はもう、そんな甘い幻想を信じられなくなってしまった。その責任の一端は貴方にもあるわね。人はもう、自分が生きる意味を見いだせなくなったの。いや、自分だけじゃない、全てに意味はなかった。目的も根拠も理由もなく、ただ在る。無くても一向に構わないほど、世界は軽かった。進歩の名のもとに人はそれを知ってしまったから絶望した。いつのまにか《神》は死んでしまっていたわ。そして……すべての意識ある人間にとって、世界は意味のない拷問に堕したの」

「だからもう、終わらせるわ」

 一音階低い決意の声が、重く神殿の石畳を打つ。

「そんな終わりは、認められません!」

「高いところで見下ろして……。そんな人間には、決して分からないでしょうね」

 叫ぶ統治者に向かってあくまで冷静に萌華は言う。

「世界はもう意識を取り戻すこともなくただ生きる植物状態に陥ったの。誰かが終わらせてあげなくちゃいけないのよ」

「聞きたくありません! そんなこと認められません! 貴女が世界を滅ぼそうというなら、私は……貴方を……ッ!」

 叫ぶや否や、統治者の右手に短い杖状の武器が現れた。その名は《雷霆(らいてい)》今次世界の始まりから、神に弓引く反逆者をことごとく粉砕してきた、人類のイメージ可能な領域の範疇で最強の威力を誇る裁きの雷。一度放てば、懲らしめではすまない強大な威力。統治者はこれを、約二千年ぶりに取り出し、その先端を人に向けた。

 もちろん、精神の場である《深層領域》において、物理的に相手を消滅させることは不可能だ。睡眠中に見る夢のように、ここではあらゆる物理法則より個々人のイメージが優先される。撃たれても切られても死なず、飛ぼうと思えば、人の姿のまま宙に浮かぶことができる。しかし、イメージが優先するとは言っても、子供でもない限り現実で生きてきた“常識”が自由な想像に影を落とす。例えば心臓を潰された場合、“心臓は生命維持にとって欠くべからざる器官である”という知識が邪魔をし、心臓が潰されても尚生き続けるイメージをすることは難しくなる。“人は飛べない”という事実が、人を飛べなくするのだ。

 通常、人は自分の思い通りに世界が動くという事態に慣れていない。よって《雷霆》でその身を焼かれればまず助からない。萌華にとって、統治者と戦うのは分が悪い勝負と言えた。統治者は自分の思い通りになる世界で何千年も生き続けた存在であり、現実の法則を無視した、強力で奔放なイメージを練れるのに対し、萌華は学者だ。世界について詰め込んだ法則が荒唐無稽なイメージを許さない。

 しかし萌華は、向けられた《雷霆》を見ても、臆することなく統治者と対峙した。最初から、話し合いで決着するとは思っていない。

勝てる算段があるからここにきた。

「な……それは……?」

 統治者の瞳が困惑の色を宿す。それを見て萌華は快哉をあげそうになった。

(やはり……知らない!)

 萌華が切ったワイルドカードはこの世界全てを知り尽くした統治者の既知外にあった。それはつまり、世界の限界を超えているということ。この勝負に勝てるということだった。

 今、萌華の右手に纏わりつくように、絶無の空間が展開している。このイメージの世界に置いて物体が“絶無”であること、それはその物体を喚起する言葉がないということ。人間の思考で捉えられるものではないということだ。

 想像することすらできない、認識の埒外。

 それは《禁忌の達成》によって壊れた人の心。

 狂える伊佐美春人の魂だった。

 やはり、萌華の読みは間違っていなかったのだ。困惑から、段々と恐怖に濁る統治者の表情を見て、意図せず口角があがってしまう。

 萌華がこの《深層領域》の秘密を知り、統治者を打ち倒そうと決意したとき、考えねばならなかったのが『イメージの限界』だった。  

 統治者が人間のしうる限界ギリギリのイメージを持つのなら、自分は人間の限界を超えたイメージを作らなくてはならない。人でありながら人を超える……そんな矛盾を内包した問いを頭に思い描いた時、真っ先に出てきたのが自分の専門である精神病だった。

 萌華は長い臨床経験で精神病患者が常人には及びもつかないほど遠大で、理解できないほど難解な妄想を展開することを知っていた。萌華はそこからさらに考えを進める。ではなぜ、精神病患者は健常人より想像の面で優れているのか。その答えはすぐに出た。彼らは、普通人が持つ常識というものを持っていないから、想像の面で勝る、と。

 常識というのは形を変えた父母だとよく言われる。人は産まれいでてしばらくは、自分と世界との境界がみえず、自分が世界なのだという確信の下に生きている。しかし、そんな状態は長く続かず、すぐに赤ん坊は己がいかに無力な存在であるかを痛感する。世界そのものだと思っていた自分は、母親の気分次第で容易に殺されうる脆弱な存在であるという事実を認識するのだ。だから、赤ん坊は考える。いかにして自らの命運を握るこの巨人に見捨てられないようにするか。そういう思考錯誤の果てに、人は“言葉”を得る。言葉を得ることで、巨人たちの意向を知ることができるようになる。“これを食べてはいけない”“こういう場面で泣いてはならない”“ここで排便してはならない”など、言葉によって“やってはいけないこと”が叩きこまれる。教えを破れば、巨人たちは怒って行ってしまう。行ってしまった巨人たちが戻って来てくれる保証などどこにもないのだ。だから赤ん坊は、死に物狂いで言葉を覚え、“常識”を学ぶ。

『言葉』や『常識』そんな奔放なイメージを阻害する要因はどちらも『親』というキーワードにその起源を発している。ならば……と萌華は思う。

(幼児にとっての絶対者――『神』――である両親を征服した子供は、一体どうなるのか)

 萌華の脳裏に、物言わぬ一人の男の子の姿が浮かんだ。父を殺し、母を征服した鬼子。《禁忌達成者(エディプス)》の伊佐美春人。

 彼は犯行直後から、一切の外部刺激に反応しなくなり、全ての身体活動も止めた。

(私たちは彼を“発狂”したと判断した。けれど、本当は違うのかもしれない)

 ――ハッとする。散らばっていた点と点が一本の線で結ばれた。

(彼は『両親』が与えた鎖を断ち切り、再び世界との同一化を果たしたのかもしれない……!)

 世界そのものであること。それは紛れもなく人を超えたイメージ。恐らく、統治者ですら比肩することのない、最強……。

 そこで、萌華は決意した。自ら作った秋人たちを壊して、あの体に春人をもう一度戻らせる。そして、戻った春人の魂を使って自らが神になることを。

 そして今、念願は成就し、春人はその手の内にある。

 言語化不可能な領域にいるその存在に名前を付けるというのは滑稽ではあるが、萌華は世界存在と化した春人をこう名付けた。


「『終末幻想(ドゥームズデイ)』……これなら……!」


 勝利を確信した萌華が均衡を破り、統治者へ向かって走り出した。それに呼応し、『雷霆』が光を放つ。辺り一面を真昼に変える無尽光が神殿ごと萌華を焼き尽くす。

 だが――

 萌華は五体満足のまま、元の場所に立っていた。防いだ当の本人でさえ驚いて目を見開いている。そよ風ほどの衝撃も感じなかった。萌華の体に纏わりついた『終末幻想(ドゥームズデイ)』が全てを彼の世界に呑み込んだのだ。“世界そのもの”である彼を誰も、何も傷つけることはできない。世界内に存在する個物の事象ならばまだしも、“世界それ自体”を破壊することなど、どんな幻想によっても不可能なのだ。

(……あたしは、勝った!)

 凶暴な笑いを浮かべながら統治者へと向かってゆく萌華。統治者は驚愕と共に裁きの雷を放ち続ける。二度、三度……幾度となく眼も眩むような閃光が『雷霆』から放たれる。幾度も光の中に呑みこまれる萌華。それでも、悪鬼のように歩み続け、遂に一足飛びで相手の体に触れられる間合いにまで入る。愉悦と恐怖。狩るものと狩られるもの。お互いの視線が交錯する。決着の時を悟ったかのように、萌華の体を守るように纏わりついていた『終末幻想(ドゥームズデイ)』が、鎌のような形に己を変えた。統治者の命を狩り取るように大鎌がその口を開く。

 長い歴史が終わろうとしていた。

 今、ここに神は処刑され、終わりが始まる。

 『終末幻想(ドゥームズデイ)』が統治者の細く白い首に触れようとした、正にその時――

 一陣の風が吹いた。

 風にさらわれて統治者の小さな体は飛んでいく。突然の出来事に萌華はただ唖然とするしかなかった。

 統治者の命を救った風は夏のように力強く、秋のように繊細で、冬のように厳しい風だっ


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