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世界外少女との対話。あるいは季節の完成


 秋人は心の海をひたすらに沈んでいった。

(いつもと同じだ……意識を失う時の)

 しかし何も分かっていなかった先ほどまでと違って、今は分かる。

 禁忌の記憶が蘇り、秋人を守るセーフティは全て打ち砕かれた。秋人は自分について隠されていたことを全て理解していた。

(今、僕が落ちて行っているのは、『魂の還る場所』)

(そう、僕は)

(死んじゃったんだな……)

 傍らには冬香と夏輝の姿も見える。二人は意識を覚醒させることができていないようだ。

 予想はできていた。三人格は三位一体であって、一人が死んで、後の二人が生き残るなんてことはありえない。

 ふと見ると、落ちゆく秋人達に代わって、彗星のように尾を引きながら、凄まじい速度で海上へと進んでいく光が見えた。

(あれが……春人君なんだろうな)

 『伊佐美春人』……秋人達人工人格とは違い、あの肉体に最初から宿っていたオリジナル。がらんどうになった肉体は強く魂を求める。今、彼がその深い眠りから解き放たれ、現世に帰るのだ。例えそれが、もう壊れて使い物にならなくなった魂だとしても。

(でも、これが自然なんだ。結局のところ、全てが元に戻るだけ)

 だから、悲しくはないと思った。借りていたものを返すだけなのだ。感謝こそすれ、恨むのはお門違いというものだろう。突然返還を要求されたとはいえ、それは貸主の当然の権利だ。

 そう、頭ではわかっている。

(なのに、なんでこんなに悲しいんだ……)

 感情は思考の前に起こるもの。理屈でどうこうできるものではないのだった。

 理屈はどうあれ、楽しかった今日はこれ以降、二度と紡がれることはない。冬香先輩の茶目っけに振り回されることも、夏輝と夜の街に繰り出すことも、真弓のあの笑顔を見ることも、もう二度とない。

 自分が死んだという事実は秋人の心を壊さんばかりに締めつける。

(これが、地獄か……)

 楽しき生の思い出が、死後も胸に残り続け、その喪失感が針の山を登るような苦痛を与える。だから、賢者は言うのだ。『この世に未練を残すな』と。死しても、感じる心は止まらない。意識の海の底、《シアーハートワールド》で、心は永劫の時を生きる。長い時の果てに魂が自壊してしまうまで……。

 秋人は眼を瞑る。もう、何も考えたくなかった。自分を無に近付けたい。消え去ってしまいたいと強く思う。

 しかし、思考は止まらない。考える言葉が、自分を存在させてしまう。

(幸福な生活すら、失う怖さで拷問になるなら)

(人はなぜ生きるのか)


(手に入れることができなかった輝かしい未来の可能性、その眩さが僕を苛むなら)

(人はなぜ望むのか)


(終点には不可避の絶望たる「死」)

(苦しみながらの終りが確約された世界は)


(正しいのか?)

 

(正しいはずはない)

(何をおいても守られなければいけないのは、人の心の幸福であるはずだ)

(だからこの世界は間違っている)

 秋人の人生の中で初めて、強い意志の力が芽吹く。

(世界を……変えたい)

(いや)

(僕が……変える!)

 烈火のごとく燃え上がる意思の炎。それはただ他人と合することを目的として作られた『秋人』にとって、禁忌の力だ。自分で考え、選び、決定するという、一個の自由存在として生きる為の翼――

 『意思』

 しかし、その翼を得るということは、必ずしも幸福なことではない。空を飛ばなければ、墜落することはないのだ。『意思』の力は、人を孤独にする。人を、間違わせる。独自の意思を持ってしまうなら、その意思は必ず他の意思とぶつかり、より強い方がもう一方を挫いてしまうのだ。当然、そこには不協和音が発生する。人が離れて行く。もう無邪気に、誰とでも分け隔てなく仲良くするということはできない。『意思』は争いを産む源だ。世界は全ての人間の意思を十全に満たせるほど豊かではないのだから。

さらに、自分が望んで行ったことなら、当然その責は自分で取らなければならない。それは重い重圧となって自らを縛る鎖となる。自分の『意思』で定めた通りに行動するということ――自由であること――はとても苛烈な生き方だ。人の意にしたがい、奴隷として生きるなら、誰も自分の責任で傷つけることはないのだから。自らの過ちを悔やんでしまうことはないのだから。

――『意思』を持たないならば、人は幸福だ。

――地に足をつけた人間がそれ以上落ちることはない。

――誰も傷つけず、

――何にも煩わされず、

――赤子のように全ての罪から逃れて生きていける。

――『楽園』だ――

――秋人、お前はまだ知恵の実を食べていない。原罪を知らない、唯一の人間だ。

――お前だけは『楽園』に住める。

――それでも、その翼を取って貴方は飛んでいってしまうの――?

 秋人はすっきりと笑って即断する。その顔に、今までの優柔不断な少年だった面影はない。

(自分だけが住める『楽園』なんて、何の価値もないよ)

(僕が欲しいのは、皆が幸せに生きれる世界なんだ――!)

 秋人の思いに呼応して、意思の翼が生える。

 秋人は今、作られた人格である事を止めて、自分だけの『楽園』から飛び出した。

 もう、製作者の目的に沿うだけの道具ではない。

 自分が望むものを望み、生きたいように生きる。

 そんな、一個の自由意思、一つの無限なる可能性……、

 一人の人間として、覚醒した。

 そしてそれこそが、欠けていた最後のピース。

 秋人が自由な意思を持ち、夏輝が思いやることを覚え、冬香が理屈では図れない人の感情を学んだ今こそ、

 『四季』への扉が開かれた。

 今、『秋人』『夏輝』『冬香』の三つの人格が、統合され完成し、「四季」という一つの存在になる――。

(冬香の奴は気にいらねーけど、アキ、お前とならうまくやっていけるさ。今までそうだったようにな)

(おのれ~。その言葉、そっくりそのまま返してやるわよ! 秋人! 夏輝の人格は反面教師として利用するのよ!?)

(テメー末妹のくせして生意気な! 兄として一つ指導が必要なようだな……)

(なんだと? やるかー!?)

 こんなところまできても、この二人は変わらないな、と秋人は苦笑する。

(願った世界を、皆で一緒に作ろう。僕たちなら、やれる)

 繋ぎ合った手と手の境界が段々とおぼろげになる。生えたばかりの未熟な翼が、大きく羽ばたいた。


 ――「四季」始動。



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